続き
9月3日(日) 朝
台所内。
まずは流し台下の収納。次に食器棚の下の収納。トースターを置いている下の収納。・・・・ない。
もしかして洗面台の下の収納?酔っ払ってたんだから常識は計算に入れないようにしよう。何気なしに何をしているか、分かったもんじゃない。
「片付ける」、という意識だけが働いているんだから、「どこに」は想定外の場所、ということも十分に有り得る。
階段下の収納。トイレの中の備品置き場。
まさかこんなところに、と思うような場所に「ここなら大丈夫」、と確信をもって片付ける。その人なりのボケ方で、その時はその人なりのベスト、となる結論を元に実行している。
そう考えると「まさか!そんなところに?」と思うようなところにこそ遺失物は鎮座しているに違いない。例えば神棚とか仏壇とか。玄関の下駄箱の中も怪しいぞ。
認知能力が低下している時は誰だってやってしまう。全く違って見えることだがパニックになった時の行動と同じだ。
問題は認知能力が低下した場合は、「次の瞬間、やったことを忘れてしまう」ということ。
火事騒ぎで大慌てで命からがら逃げだした。「とにかく一番大事なものを」、と何かをひっつかんで建物から逃げ出した。ふと気が付いて、何持ってるんだと自分の手を見たら、歯ブラシ一本持ってたとか。枕を抱えていた、とか。
箪笥を一人で運び出して、翌日は身体が痛くて起き上がれなかった、なんて話も昔はよく聞いた。まさか、と思ったけれど、まんざら嘘でもないらしい。
「火事場の馬鹿力」は突発的な認知能力の欠如によって引き起こされる。
色々な場所を探してみたが、ない。
シャンパンの瓶って意外に背が高いから、そんなに狭いところにはないだろう。結局見つからなかった。
では、と初めに戻って二巡目の捜索活動に入る。
今度はちゃんと灯りを点けて本気でやる。
まず、一巡目のトップ、ペットボトルや酒瓶、空き缶などを入れている袋をもう一度探す。
「シャンパンの瓶って意外に背が高いから、そんなに狭いところにはないだろう。」
一目見ただけで、背の高いシャンパンのボトルはない、と分かる。
念のために、横倒しになっている全ての瓶を立ててみた。
・・・・・・その中にあった。
「ここに入れた筈」だから、一番初めに探した。
瓶が空になったから、いつも通りに洗ってから捨てるべきか。それともこのまま袋に入れてしまうか。
ちょっと考えたこと、などがうっすらと思い出され始めた。
記憶をつなぐ糸を見つける。そのためには「なくなった!」と慌てて捜査を開始をするのではなく、ちゃんと手順を踏めるよう文字化し、順にしかも丁寧に探してみることが何より大事なんじゃないか。