





天岩戸に隠れた天照皇大神(アマテラスオオミカミ)もびっくりの皆既日食狂想曲も終わりました。ツアー会社が企画して大賑わいの悪石島は暴風雨で観測どころではなかったとか。天宇受賣命(アメノウズメノミコト)が踊らなかったせいでしょうか。北信濃では、夜半の雨から曇り空で、これは部分日食も見られないなと半ば諦めていました。
ところが、高曇りの空から時々陽も差し始めなんだか見られそうな気がしてきました。といってもなにも見る準備をしていないので、どうすることもできません。そうこうするうちに日食が始まる時間になりました。しばらくすると、低空に黒いレースのような雲が、次々に流れ始めました。
高曇りの雲だと太陽はぼやけてしまって日食は見られませんが、低い雲だとフィルターの役目をするのではないかと思いカメラを出して待ちました。そして午前10時55分。部分日食がかなり進んだところで調度具合のいい黒雲が通りました。肉眼でも太陽が欠けているはっきりと確認できます。早速撮影。すぐに雲ははずれて眩しい太陽が顔を出しました。確認すると掲載写真のようにフィルターもつけずにちゃんと写っていました。わずか20分ほどのツアー料金もなしの部分日食撮影会でした。
古事記の天岩戸伝説は、日本各地にありますが、宮崎県高千穂町に天岩戸神社(本殿は聖域天岩屋戸で岩戸がある)と天岩屋に隠れられた天照大神を巖から出てもらうため、神々が集まって相談したといわれる天安河原があり、最も有名です。戸は手力男の命が投げ飛ばし、遠く信濃の戸隠に落ちたといわれています。というと戸は二枚あったのでしょうか。両開きか?
尚、北信濃には宮崎とは別に天岩戸伝説があり、川中島合戦で上杉方の東条氏が最後まで守り、武田方の真田幸隆に攻略された尼厳山の中腹に天岩戸洞窟があり、山登りのついでに見学できます。乱暴狼藉をはたらき天照皇大神(卑弥呼説もある)を隠れさせた建速須佐之男命(スサノオノミコト)は、旧来の狩猟採集を標榜する武闘派の部族で、最後はこれを追放し復活した天照皇大神は、大陸からの進んだ循環型農耕文化を確立したと解釈するひともいるようです。タイムマシンが欲しいところです。
それよりも、太陽が約100年ぶりの活動の極小期に入っているという太陽の黒点異常減少が気になります。また、NPO大気イオン地震を予測研究会の、この夏から秋にかけての南関東大地震の注意報も大変気になるところ。科学が進んだといわれる現代においてさえ、まだまだ分からないことの方が多いこの世界です。