結局3月はすっかり春めいたという日は、啓蟄を過ぎてもほとんどありませんでした。それでもここ数日でやっと山は春の花が咲き始めました。といってもみな本当に小さな花ばかりなので、遠目には咲いている様には見えません。
写真にあるオオイヌノフグリ、カキドウシ、ヒメオドリコソウは、全て花の大きさが1センチもありません。オオイヌノフグリは、大犬の陰嚢という可憐な花とは似ても似つかぬ面妖な名前を与えられてしまいましたが、ヨーロッパ原産の帰化植物で、1890年頃に東京に帰化して全国に広まったものです。しかも、雄犬の玉々に似た実をつけるイヌノフグリに似ている大きな(イヌノフグリの花は3~5ミリ、オオイヌノフグリは6~8ミリ)植物という意味なので、オオイヌノフグリには、大きな犬の陰嚢のような実はつきません。ややつぶれた対のハート形に見える実がつきます。
イヌノフグリの実は、産毛が生えた小さな犬の陰嚢のようですが、よくもまあこんなところに目をつけて命名したものだと思います。オオイヌノフグリの命名者はやはりあの牧野富太郎博士なんでしょう。しかし、イヌノフグリは、もっと昔からこの名前があったのでしょうか。ちなみに、オオイヌノフグリの花言葉は「信頼」「神聖」「清らか」「忠実」です(笑)。
シソ科のカキドウシは籬通と書き、別名をカントリソウ(癇取草)といって、昔からゲンノショウコ(現之証拠)と並び民間薬として有名で、子供の夜泣きや疳の虫の薬として用いられました。葉や茎をとって匂いを嗅ぐとシソのような香りがあります。シソ科の似た花にはキランソウ(金瘡小草)がありますが、この別名は地獄の釜の蓋で、墓地などに行くと地面にへばりつく様に生えていることからそんな名前になったらしいのですが、鎮咳、去淡、解熱、健胃、下痢止めの民間薬です。
他にはヤブカンゾウ(美味しい山菜ですが、毒草のスイセンと間違えない様に)、バイモ(貝母と書き中国原産の薬草)、ノビル、ヨモギ、タチツボスミレ、ムラサキケマン(毒草)、クサノオウ(毒草)などが若葉を出していました。樹木ではダンコウバイが花の盛り。妻女山松代招魂社の裏にある梅がやっと咲き出しました。夏に透明感のある甘い赤い実をつけるミヤマウグイスカグラも若葉を出し始めました。タラノキの芽を覆っていた固い皮が破れてタラノメが顔を出し始めました。
こんな季節にもキノコは見られます。昨年40センチ近い大きさのコフキサルノコシカケ(低山にあるものは本当はオウミノコフキタケらしい)を採った跡に、新しいキノコが出てきました。しかもふたつ。これは将来は合体してしまうかもしれません。このキノコは制癌作用が非常に高いということで注目されています。非常に固いキノコで、採取には鑿(ノミ)と金槌が必須です。これを細かくして煎じたり、焼酎漬けにして飲用します。薬膳鍋にしてもいいでしょう。そして、面妖な大きな丸い塊はオニフスベです。これも幼菌は食べられます。写真のものは老菌で、軽く叩くとココアパウダーのような胞子がたくさん飛び散りました。実はキノコの胞子も大量に吸い込むと危険です。ただし、放射性物質の比ではありません。田舎では山だけではなく稀に庭に出て来て驚かせます。
自然も宇宙の構成員ですし、実に理不尽なものです。エコロジストの中には、自然を崇拝する余り、自然の中にモラルを見いだそうとする人達がいますが、それは完全な間違いです。自然には飽くなきニッチ(生態的地位)のせめぎ合いがあるだけです。適応できないものは絶滅していくだけなのです。そこにモラルの介在する余地は全くありません。里山でさえバリアフリーではなく、一歩足を踏み入れたら理不尽の世界です。だからこそ、小さい時からそれを経験させるべきなのです。さすれば机上の論理を振りかざす高慢な学者や官僚、政治家、企業家は生まれるはずはないのです。子供は容赦なく自然に解き放つべきなのです。そして10歳以下の子供は舐めて育てる。一日一回は思いっきり抱きしめてあげなさい。嫌がっても。
そういう意味でニーチェが神は死んだと叫び、哲学さえその意味を失った今、広い意味での生物学(ヒトゲノムやバイオ、農学やう~ん幅がありすぎ)や天文学、素粒子物理学とか、日本では完璧に送れている精神医学(深層心理学とかトラウマの問題)が今後極めて重要な基礎になると私は思っているのです。特に原爆を落とされ空爆で叩きのめされた日本人が受けた精神的打撃と復活に際し起きた精神の変容。それに伴う機能不全家族の増大と社会と家庭の病理。ボードリヤール、スーザン・ソンタグ、グスタフ・ルネ・ホッケ、R.D.レイン、JG.バラード、ホイジンガー、ライアル・ワトソン、ピカート、バックミンスター・フラー、アラン・ジュフロワ、G.バタイユ等々辺りをもう一回読み直してみようかなと思っている今日この頃です。
この期に及んでまだ原発が最も安上がりだとか、不安を煽るなと言っているのは、間違いなく電事連か国際犯罪企業東電の工作員か御用学者とその一派でしょうが、科学者や技術者が絶対使ってはならない「絶対安全」を標榜した結果の地球規模の大事故。放射性廃棄物の再処理工場は満杯。最終処分廃棄物は子孫に丸投げ。要は、すべて後は知らないよと子孫に押し付けて繁栄を謳歌してきたわけです。原発は実は最も高価な、しかも人類を滅亡にしかねないものだと分かりました。そんなこともまだ分からない大人が大勢いるのが非常に不思議ですが、今話題になっている中学生タレントのブログを読むと、改めて知的レベルや社会的地位、人生経験や年齢と人間性や洞察力は、まったく関係ないということを思います。ただし、政府や東電の上に世界的な原発マフィアの存在があることを知らなければならないのですが・・。
●藤波心『ここっぴーの★へそっぴー』という14歳中学生のブログ記事。
先にも書きましたが、あるアマゾンの先住民は、「ジャングルは子孫からの借り物だから大切にしなければならない」といっています。彼らを未開人という資格は私達文明人?にはないような気がします。
写真にあるオオイヌノフグリ、カキドウシ、ヒメオドリコソウは、全て花の大きさが1センチもありません。オオイヌノフグリは、大犬の陰嚢という可憐な花とは似ても似つかぬ面妖な名前を与えられてしまいましたが、ヨーロッパ原産の帰化植物で、1890年頃に東京に帰化して全国に広まったものです。しかも、雄犬の玉々に似た実をつけるイヌノフグリに似ている大きな(イヌノフグリの花は3~5ミリ、オオイヌノフグリは6~8ミリ)植物という意味なので、オオイヌノフグリには、大きな犬の陰嚢のような実はつきません。ややつぶれた対のハート形に見える実がつきます。
イヌノフグリの実は、産毛が生えた小さな犬の陰嚢のようですが、よくもまあこんなところに目をつけて命名したものだと思います。オオイヌノフグリの命名者はやはりあの牧野富太郎博士なんでしょう。しかし、イヌノフグリは、もっと昔からこの名前があったのでしょうか。ちなみに、オオイヌノフグリの花言葉は「信頼」「神聖」「清らか」「忠実」です(笑)。
シソ科のカキドウシは籬通と書き、別名をカントリソウ(癇取草)といって、昔からゲンノショウコ(現之証拠)と並び民間薬として有名で、子供の夜泣きや疳の虫の薬として用いられました。葉や茎をとって匂いを嗅ぐとシソのような香りがあります。シソ科の似た花にはキランソウ(金瘡小草)がありますが、この別名は地獄の釜の蓋で、墓地などに行くと地面にへばりつく様に生えていることからそんな名前になったらしいのですが、鎮咳、去淡、解熱、健胃、下痢止めの民間薬です。
他にはヤブカンゾウ(美味しい山菜ですが、毒草のスイセンと間違えない様に)、バイモ(貝母と書き中国原産の薬草)、ノビル、ヨモギ、タチツボスミレ、ムラサキケマン(毒草)、クサノオウ(毒草)などが若葉を出していました。樹木ではダンコウバイが花の盛り。妻女山松代招魂社の裏にある梅がやっと咲き出しました。夏に透明感のある甘い赤い実をつけるミヤマウグイスカグラも若葉を出し始めました。タラノキの芽を覆っていた固い皮が破れてタラノメが顔を出し始めました。
こんな季節にもキノコは見られます。昨年40センチ近い大きさのコフキサルノコシカケ(低山にあるものは本当はオウミノコフキタケらしい)を採った跡に、新しいキノコが出てきました。しかもふたつ。これは将来は合体してしまうかもしれません。このキノコは制癌作用が非常に高いということで注目されています。非常に固いキノコで、採取には鑿(ノミ)と金槌が必須です。これを細かくして煎じたり、焼酎漬けにして飲用します。薬膳鍋にしてもいいでしょう。そして、面妖な大きな丸い塊はオニフスベです。これも幼菌は食べられます。写真のものは老菌で、軽く叩くとココアパウダーのような胞子がたくさん飛び散りました。実はキノコの胞子も大量に吸い込むと危険です。ただし、放射性物質の比ではありません。田舎では山だけではなく稀に庭に出て来て驚かせます。
自然も宇宙の構成員ですし、実に理不尽なものです。エコロジストの中には、自然を崇拝する余り、自然の中にモラルを見いだそうとする人達がいますが、それは完全な間違いです。自然には飽くなきニッチ(生態的地位)のせめぎ合いがあるだけです。適応できないものは絶滅していくだけなのです。そこにモラルの介在する余地は全くありません。里山でさえバリアフリーではなく、一歩足を踏み入れたら理不尽の世界です。だからこそ、小さい時からそれを経験させるべきなのです。さすれば机上の論理を振りかざす高慢な学者や官僚、政治家、企業家は生まれるはずはないのです。子供は容赦なく自然に解き放つべきなのです。そして10歳以下の子供は舐めて育てる。一日一回は思いっきり抱きしめてあげなさい。嫌がっても。
そういう意味でニーチェが神は死んだと叫び、哲学さえその意味を失った今、広い意味での生物学(ヒトゲノムやバイオ、農学やう~ん幅がありすぎ)や天文学、素粒子物理学とか、日本では完璧に送れている精神医学(深層心理学とかトラウマの問題)が今後極めて重要な基礎になると私は思っているのです。特に原爆を落とされ空爆で叩きのめされた日本人が受けた精神的打撃と復活に際し起きた精神の変容。それに伴う機能不全家族の増大と社会と家庭の病理。ボードリヤール、スーザン・ソンタグ、グスタフ・ルネ・ホッケ、R.D.レイン、JG.バラード、ホイジンガー、ライアル・ワトソン、ピカート、バックミンスター・フラー、アラン・ジュフロワ、G.バタイユ等々辺りをもう一回読み直してみようかなと思っている今日この頃です。
この期に及んでまだ原発が最も安上がりだとか、不安を煽るなと言っているのは、間違いなく電事連か国際犯罪企業東電の工作員か御用学者とその一派でしょうが、科学者や技術者が絶対使ってはならない「絶対安全」を標榜した結果の地球規模の大事故。放射性廃棄物の再処理工場は満杯。最終処分廃棄物は子孫に丸投げ。要は、すべて後は知らないよと子孫に押し付けて繁栄を謳歌してきたわけです。原発は実は最も高価な、しかも人類を滅亡にしかねないものだと分かりました。そんなこともまだ分からない大人が大勢いるのが非常に不思議ですが、今話題になっている中学生タレントのブログを読むと、改めて知的レベルや社会的地位、人生経験や年齢と人間性や洞察力は、まったく関係ないということを思います。ただし、政府や東電の上に世界的な原発マフィアの存在があることを知らなければならないのですが・・。
●藤波心『ここっぴーの★へそっぴー』という14歳中学生のブログ記事。
先にも書きましたが、あるアマゾンの先住民は、「ジャングルは子孫からの借り物だから大切にしなければならない」といっています。彼らを未開人という資格は私達文明人?にはないような気がします。