最低気温が-8度という朝、信州は千曲市の倉科氏の鷲尾城跡から-6度ぐらいの中をトレッキングを開始。厳寒なのに急登を20分足らずこなすと汗をかいてしまいました。鷲尾城跡の本郭の中央で汗を拭いていると誰かの視線を感じました。視線を感じた方を見ると真っ黒な動物が。熊か!?とドキッとしましたが、大きな真っ黒いニホンカモシカが本郭の縁からジッと私を見ています。
ニホンカモシカは、個体によってグレーのものと真っ黒なものがいるのですが、真っ黒なものは一瞬熊に見えるので本当に驚きます。あわてて服を調えカメラを構えると、彼は(なんとなく雄)本郭の縁を伝って向こう側へ下りてしまいました。残念に思い荷物を仕舞ってザックを背負い、本格の西にある土塁に登ると、なんと深い堀切の向こうに彼がいるではありませんか。彼はそこで3分ほど私を待っていたのです。
ちょっと待っててくれと言って本郭を8mほど駆け下りました。微動だにせずにこちらをジッと見る彼を撮影すると、やはり向こう側へ下りていってしまいました。
堀切を登り、もうひとつの堀切を超え、倉科将軍塚古墳を越えて、さらに深い堀切を超え、急登をこなして北山に登りました。途中で月の輪熊のものと思われる大きな糞を発見。そして北山の頂上を過ぎて鉄塔にさしかかった時。鉄塔の向こうの林の中にニホンカモシカがいたのです。最初の出合いから18分後です。同じ個体のようにも見えますが、少し小さいような気もします。つがいか親子か。すぐに茂みに消えてしまいました。その後、月の輪熊の足跡も発見しながら天城山へ。
そして約1時間後。清野氏の鞍骨城跡の南面の岩の下で巻き道を探しているときに、また上の方から誰かに見られている視線を感じました。見上げるとグレーがかった大きなカモシカがこちらをジッと覗き込んでいます。動かないでねと話しかけながら接近し撮影。暫くすると急斜面を巻くように下りていきました。すると谷から鳴き声が。子供が母親を呼んだのでしょうか。何度か鳴き声が谷に響いていました。一日に三度も出会えるという幸運に恵まれました。
それにしても野生動物は、気高く美しいものだと思います。下卑たところが一切無い。特にニホンカモシカは、森の孤高の人という感じがします。人間のように精神を病むこともないだろうし、子育てに失敗してトラウマを植えつけACにしてしまうこともないでしょう。人間は野生動物に学ぶべきかもしれません。人間の引き起こす戦争と野生動物の生存競争とは根本的に違います。
ニホンカモシカ。日本に分布する野生では唯一のウシ科動物。せきつい動物亜門哺乳類(哺乳綱)偶蹄目ウシ科ニホンカモシカ(日本羚羊)。定着性の動物でなわばりを持ち、普通単独で生活します。複数のときは、繁殖期か子供と一緒の時です。秋に交尾をして7ヵ月の妊娠期間の後、春から初夏に一頭出産します。母親は子供と2~3年は一緒に行動するようです。角を木の幹にこすりつけマーキングをします。眼下腺や蹄腺から酸っぱい臭いのある分泌液をつけてなわばりを主張します。イネ科の笹や草木の葉、樹皮や新芽を食べます。
角は雄雌ともにありますが、骨が発達したものなので鹿のように毎年生え替わることはありません。なので角の大きさで大雑把な年齢を判断することはできます。また、角研ぎをするので、大きな個体は角の前部がすり減っています。ウシ科の動物のせいか好奇心も強いようです。
縄張りは食性の豊かさや雄雌により違うようですが、直径1キロから2キロということです。溜糞をする習性があり、糞場は決まっています。また、縄張りには必ず岩場やガレ場があり、避難や休息の場所とします。平均寿命は5年前後ということです。非常にデリケートな動物で、ストレスに弱く飼育が困難でしたが、関係者の長年の飼育研究で人工的な繁殖もできるようになりました。
古来ニホンカモシカは、重要なタンパク源として狩猟の対象でしたが、乱獲によって絶滅しそうになり天然記念物に指定されて保護され増えました。逆に今度は増えすぎて林業などに重大な損害を与えるようになり、捕獲や射殺が行われています。野生動物の人工的な保護管理は、非常に困難な命題で、ニホンジカやニホンザル、月の輪熊などと同様に色々な意味で危機的な状況にあることには変わりないのです。
★このトレッキングは、フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】にアップしました。ご高覧ください。