モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

国宝「火焔型土器」と超有名な重文「遮光器土偶」が国内初共演:十日町市博物館(妻女山里山通信)

2021-06-09 | 歴史・地理・雑学
 清津峡渓谷トンネルを後にして、本格的な博多豚骨ラーメンの「天池屋」で昼食。その後、新館オープン1周年記念の特別展が開催されている十日町市博物館へ向かいました。
「形をうつす」ー文化財資料の新たな活用ーというテーマで、7月4日(日)まで開催されます。縄文時代は、13000年くらい前から2300年くらい前まで。世界史でも1万年も続いた文明は稀有なものです。決して未開な原始時代ではなく、優れた技術や精神性を持った成熟した文明でした。この前の旧石器時代が分かる、野尻湖畔のナウマンゾウ博物館も超オススメです。

 国宝指定番号4 火焔型土器(深鉢形)笹山遺跡 縄文時代中期。火焔型といいますが、四方に突き出ている突起物は、鶏頭冠突起と呼ばれます。考古学者の大島直行著『月と蛇と縄文人』では、「縄文土器は鍋として作られたものではなく、第一義的にはあくまで「月の水」を集めるという役割を担った祭祀道具の一つとして作られたのだ」と述べています。確かに触れるレプリカを触ってみると、日常使いにはとても不便な形です。何か呪術的な儀式に使われたのでしょうか。

(左)国宝指定番号6 火焔型土器(深鉢形)笹山遺跡 縄文時代中期。(右)国宝指定番号11 火焔型土器(深鉢形)笹山遺跡 縄文時代中期。よく残っていたと思います。日常使いの土器もあったのでしょうか。縄文土器でアマモと海水を煮詰めて塩を作ったそうですが、その時はシンプルなもので、一回で駄目になってしまうそうです。日常使いの土器は、おそらくシンプルな形で、ヒビが入ったり割れると壊して捨てたので残っていないのでしょう。

(左)十日町市博物館。雪の結晶のパンチングメタルの爽やかな外観。(右)国宝展示室。

(左)国宝指定番号21 深鉢形土器 笹山遺跡 縄文時代中期。(右)国宝指定番号3 浅鉢形土器 笹山遺跡 縄文時代中期。装飾的ですが、日常使いできる形です。料理を盛り付けて皆で食べたのでしょうか。あるいは特別な日の器か。

 国宝指定番号1 火焔型土器(深鉢形)笹山遺跡 縄文時代中期。鶏頭冠突起の下部には、水流の渦の様な文様が見られます。「月の水」を集めるの意味が込められているのでしょうか。精巧なレプリカがあり触ることができます。上部のカーブなどは指がちょうどはまるサイズで、手びねりの制作過程が想像できます。

 縄文土器の全国分布図。火焔型土器だけでなく、山梨県釈迦堂遺跡のものとか、長野県の曽利遺跡のものなど、驚嘆すべき造形美です。それぞれに交流があったのだなと分かります。信州和田峠の黒曜石が、青森や北海道まで流通していましたから。

 最も有名な土偶、重要文化財の「遮光器土偶」。本当に遮光器なのかも実は分かっていません。そのあまりに特異な形から宇宙人説まで飛び出しました。縄文人の豊かな感性、想像力と創造力に感服します。頭髪はもちろん、着ている服の文様も、我々が知っている縄文人のそれとは違います。なにか非常に特別なものなのでしょう。呪術師の出で立ちでしょうか。

 土偶の移り変わり。ドイツの日本学者、ネリー・ナウマンの最後の著者「生の緒―縄文時代の物質・精神文化」では、「土偶は女神」とする日本の考古学者の解釈は根拠が乏しいとし、縄文人は満ち欠けによる姿を変える月を「死と再生」になぞらえたと考え、そこに呪術宗教的な価値を見出したのだと指摘。てっぺんがお盆状や皿状のこうした容器が、中国や中近東、アメリカなどの牡牛や牡羊の左右の三日月の角がつくる湾曲した形と同様に、月の水を集める容器そのものと考えられることから、土偶の顔自体が月の象徴とみなしている。
 野尻湖畔のナウマンゾウ博物館には、旧石器時代の人がヘラジカの角で星を、ナウマンゾウの牙で月を表した呪術的な造形が残っています。太陽は命の源を、満ち欠けする月は命の始まりと終わりを象徴するものだったのでしょうか。

(左)常設展の「織物の歴史」。原始機。(右)美大時代に私も使ったことがある機織り機。我が家にもあり、祖母や母が、機を織っていました。奥は、機械化した機織り機。

(左)草木染のサンプル。左上から、アカネ、コナラ、ベニバナ、ヤマウルシ。左下から、ハンノキ、コブナグサ、ヌルデ、キハダ。(右)現代でも充分に通用する明石縮。

(左)昭和初期のポスターや表紙。(右)十日町の織物宣伝ポスター。着物を買っていすゞ・ベレットが二台当たるというもの。1963年(昭和38​年)から1973年(昭和48年)まで製造された名車です。

(左)先染めの糸二色を使って織られた生地。この柄は、どうやって織るのでしょう。図案が頭に入っているのでしょうか。縞や格子模様なら分かるのですが。ムサビでは造形学部工芸工業デザイン学科でテキスタイル専攻。一応織物もやりましたが、シルクスクリーンが専門。但し、社会人になってからは出版関係のアートディレクターやデザインプロデューサーになったので、テキスタイルのプロではありません。しかし、これは凄い。(右)常設展の「雪と信濃川」。赤ん坊がつぐらに入っています。記憶にはありませんが、私も入っていたそうです。

(左)雪と暮らす道具の色々。(右)江連舫(こうれんぼう)の12分の1模型。これで信濃川を行き来したのでしょう。

(左)越後妻有里山現代美術館[キナーレ]。現在は、大地の芸術祭2021に向けた展示室の改修に伴い休館中です。(右)道の駅クロス10の売店に吊るされた巨大な吊るし雛。今回は、魚沼酒造の天神囃子の純米酒と猪のピスタチオ入りハムを買いました。この後、皆をJR東日本信濃川発電所に案内。それは次の記事で。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 清津峡渓谷トンネル Tunnel o... | トップ | 宮彫りの名工・北村喜代松の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

歴史・地理・雑学」カテゴリの最新記事