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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

あんずの里・千曲市の森のあんずの花2014。満開です!(妻女山里山通信)

2014-04-13 | アウトドア・ネイチャーフォト
 朝食もそこそこにあんずの里へ。ここは母の育った村でもあるので小さい頃から馴染みがあり、また高校の頃は三階建の校舎の窓から遠くに満開の杏の花を観ながら授業中にうたた寝をしたものです。大きなキャンバスを持って油絵を描きに行ったこともありました。しかし、その記憶の底にある色と、今の杏の色は少々、いやだいぶ違うのです。今はやや青みの入ったピンクが主ですが、昔は在来種が多くやや黄みがかったコーラルピンクだったのです。今回、集落の中も回ってみましたが、在来種の杏はずいぶん少なくなりました。屋根も昔は藁葺きでした。そういう我が家も昔は何本も杏の木があったのですが、今は一本もありません。お隣さん達の花を愛でている状態です。昔は、梅雨時になると採りそこねた杏の実が道々に落ちて潰れ、集落中が杏の果実の甘酸っぱい匂いに包まれたものです。

 早朝の杏畑は、まだ人も少なく空気も冷たく手袋をしないとカメラも持てないほどなのですが、この時間は果樹農家の方々が農薬散布をする時間でもあるのです。風下に行かないようにしないといけません。日中、花の香りを嗅ごうとしている女性を数人見かけましたが、あまりおすすめしません。桃ほどではないにせよ、杏も農薬散布が必要なのです。在来種は、病害虫に強く木も大きくどっしりしていました。反対に実は小さめで酸味が強く杏干しに向いていました。新品種は、生食に向いている大型の実が多いのです。「あんずを知る・学ぶ

 杏の里は、とにかく歩くことに尽きます。山麓や、集落の中、畑道など、車では入れないところも歩いてなら行けます。写真は禅透院の杏の花とサンシュユ。1495年(明応四)清野伊勢守長続(伊勢守国基か)の頃、英多庄(松代、東条、西条、豊栄)を支配していたことが記されています。16世紀のはじめ(国俊の頃か)節香徳忠和尚を請し森村に禅透院を建てたということです。詳細は、私の「清野氏と戦国時代」をお読みください。

 禅透院から杏畑の中を歩いてスケッチパークへ。ここには色々な種類の杏の木が植えられています。夜はライトアップもされます。「あんずを知る・学ぶ」に種類の説明があります。

 端午の節句を前に、のぼり旗が(左は鯉のぼり)。戦前はむしろ鯉のぼりよりものぼり旗の方が多かったといいます。そういえば我が家にも、父が生まれた時ののぼり旗が昔ありました。杏の花とのぼり旗と飯綱、戸隠連峰。のぼり旗に真田の六文銭が見えますね。

 楊貴妃という杏の品種があります。楊貴妃は若さと美貌を保つために、全身に杏仁油を塗っていましたが、杏仁にはシアン化合物が含まれています。現在はそれを取り除く技術があるそうですが、楊貴妃の頃はどうしていたのでしょう。シアン化合物は青酸に変化しますから身体に毒です。保湿抗菌清浄作用があるそうなので果実を食べるだけでなく杏仁油も利用したのでしょうが、楊貴妃からはいつも杏仁の香りがしたのでしょうね。楊貴妃の体臭は杏仁豆腐の香りだったのでしょうか…。

 雨宮からこの森に来る途中に富士見橋という橋があるのですが、ずっと不思議に思っていました。なぜならこの橋から富士山の方角には鏡台山があり、とても富士山など見えないからです。ちなみに鏡台山からは、運が良ければ富士山が見えます。私も二度だけ見たことがあります。ある時、森からの帰りにこの橋を渡った時に、正面に富士山が見えました。そうです。戸隠富士と呼ばれる高妻山です。納得しました。満開の杏の花と戸隠富士。

 森の杏でおそらく一番有名な在来種杏の巨木。樹齢290年ぐらいらしいです。元禄時代、伊予宇和島藩主・伊達宗利公の息女、豊姫が、第三代松代藩主・真田幸道公に輿入れの際に、故郷を懐かしんで持ち込んだ苗が森の杏の元と言われていますが、この木がそれだとも言われているようです。プロからアマチュアまで色々なカメラマンが撮影に来る樹なんですが、撮影者を見ていると、どうにも撮っている絵の構図が分かってしまい、もうひとつ意欲がわかない木でもあるのです。それだけ狙える場所が限られているというのもあります。今回はといいますか今回もなんですが、誰も入らない杉林の中に登って撮影してみました。杉の幹で三分割される構図が好きです。遥か遠くに連なる白馬三山の白も好きです。こんなところで撮影していると、すぐ裏山で雉がケーン!と鳴いたりします。

 そして、集落の中の小路を通って、祖母の眠る大城山興正寺へ。ここを訪れたら、やはり山門の天才・立川和四郎富昌の「子持龍」を見ないわけにはいきません。「子持龍」については、以前の記事「満開の節分草を求めて万葉の里・倉科へ。ほころび始めたあんずの里へも」に詳しく書いてありますので、そちらをお読みください。何度見てもその造形には心を打たれます。友人の医師が、立川流の作品めぐりをしていますが、いずれブログでアップするそうです。私も楽しみにしています。

 最後に、先ほどの在来種の古木ですが、帰りしなに新品種と合わせて撮影してみました。これだけ色味が違うのです。天気予報によると、来週の金曜日までは、花散らしの雨はなさそうです。但し、今の季節は午後になると寒風が吹き荒れるので、午前中の花見をおすすめします。この春の一日の気温差が20度もあることには、皆閉口しています。心身が適応できません。自律神経が崩壊します。開き直るしかありませんね。どうかご自愛を。

 千曲市出身のシンガーといえば熊木杏里さんですね。彼女の透明な歌声が大好きです。心の琴線に触れる歌を歌う素敵なシンガーです。歌はあんずではなくて桜ですが。妻女山の桜の見頃は、次の日曜日、20日頃でしょう。小学生の時に遠足で来た人が多いのでしょうか、訪れる人が激増します。20日は長野マラソンです。
熊木杏里 - 恋のあとがき 』これも本当にいい歌です。

以前は彼女の歌をよく聴いていたのですが、今はあまり聴かなくなっていました。彼女の歌を聴くと、いい年して涙が出そうになるのですよ。本当にやばいんです。『熊木杏里/誕生日 歌詞入り』『長野電鉄屋代線90年 24.4kmの思い出 ありがとう屋代線 熊木杏里 』私はこの沿線に住んでいます。鉄オタだけでなく、涙無くしては観られないムービーです。これはいい番組。中学のサッカー部の練習後で、空腹に耐え切れず先生の目を盗んで、駅前の母の同級生がやっていたラーメン屋に駆け込んだあの日。終わったのは長野電鉄屋代線だけではないのです。今、日本が終わるかもしれない程の試練の中に我々はいるのです。原価がたった30円の紙幣を一万円と信じ続けてきた共同幻想の砂上の楼閣に我々はいたのです。なんの疑問もなく生きてきた資本主義経済の時代が終わるかもしれない。私の賢明な友人たちは、自給自足の道を既に探し始めています。愛する人をどう守るか、自分がどう生き延びるか。そういう時代に我々は生きているのです。



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★妻女山山系の自然については、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。

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