まずは近所の杏の古木。杏の産地は、千曲市の森が有名ですが、元禄時代に、伊予宇和島藩主・伊達宗利公の息女、豊姫が、第三代松代藩主・真田幸道公に輿入れの際に、故郷を懐かしんで持ち込んだ苗が元と言われているので、松代藩の領地には至る所に杏の木があるのです。万葉の里・倉科、松代の東・奇妙山の山麓の東条、長野市北部の山際・安茂里の杏なども有名です。昔はどこの家にも最低一本は杏の木があり、干し杏や紫蘇巻き杏や杏のシロップ漬けを作ったものです。その杏の木が減った理由は、家の増改築や木の老化に加えて、昭和に流行ったアメリカシロヒトリの害虫の蔓延もあるかもしれません。また、在来種の杏の木は、大木となり危険なため、仕方なく切り倒したという事情もあるのです。
在京時代ほどではないのですが、花粉症が酷いのです。恐らく一日の気温差が例年より大きいため(最大はなんと20度!適応不可)、自律神経失調症が拍車をかけているのだと思います。指先がしびれたり、頭がボーっとしたり偏頭痛が起きたり、夜は三時間おきに目覚めたりと散々です。友人の医者も三時に目が覚めてしまったとこぼしていました。そんな訳で、プチ断食をしています。こうすると症状が軽減されることを経験上知っているからです。でも辛い!
さて、ほとんど何も食べずに昼食も抜くつもりで出かけたあんずの里。米の絵本作家であるバージニア・リー・バートンの絵本『小さいおうち』を彷彿させるような風景ですね。小学校低学年の頃に、大好きで図書館で何度も読んだ記憶があります。もっとも、ここが大都市になって引っ越しを余儀なくされることは恐らく永遠にないでしょうけれど。花見に来たご婦人が、桃源郷ですねと言っていたのも頷ける心象に残る風景です。
山懐を歩いて樹齢290年と言われる最も有名な巨樹へ。今回は一番ベタな定番アングルで撮ってみました(笑)。観光客を案内してきたバスの運転手が、これが豊姫が持ってきた杏の木ですと説明していましたが、思わず笑ってしまいました。講釈師見てきたような嘘を言いを思い出しましたが。まあ、でも、あながち間違いではないでしょう。以前はそんなことを書いた看板もあったような記憶があるのですが、さすがに撤去されました。森林学科の息子に言わせると、伐採して年輪を数えたならいざ知らず、推定樹齢というのも実はかなり怪しいのです。しかし、だからといってこの木の価値が下がるわけでもありません。やはり圧倒的な存在感があります。手前の新品種との花の色の違いもよく分かります。
豊姫伝説のせいでしょうか、杏の木には童女や美しい娘が似合うと思うのです。今回も童女や少女とのカットを撮影したかったのですが、来るのは熟女、老女ばかり。いやいや、基本私は大人の女性が好きなので熟女大歓迎なのですが、絵的にね。幼子や少女が欲しかったというだけで。でも美しい乙女たちが通ってくれました。まあスマホで撮影は今どきで仕方がないですが。スマホをスキニーパンツの後ろポケットに入れている女性がいましたが、これは止めた方がいいです。スマホは強力な電磁波を出すので、体からはなるべく離すべきです。大事な内蔵・生殖器がやられます。また、伸縮性のないパンツも体には非常によくないのです。私も登山の時は、体を締め付けるスパッツの上下を着ることがありますが、これはあくまで一時的なものにするべきです。
手前に見える一際濃いピンクの杏は、果実を収穫しない観賞用のものです。遠くに天才・立川和四郎富昌の山門「子持龍」のある大城山興正寺が見えます。千曲市にお願いですが、なんの効果もないばかりか、住民や生態系に致命的な被害をもたらす松枯れ病のネオニコチノイド系神経毒の空中散布を止めていただきたいのと、助成金を出して、杏畑に散見されるブルーシートをなんとかしていただきたい。せめてグレーとか。これを入れないで撮影しようとカメラマンは四苦八苦しているのです。あまりにも無粋で目立ちすぎるのです。
これは某所にある指定木の花です。かなり古い木で、樹勢も衰えているのですが、濃い桃色の色合いが好きで、毎年撮影に行くのです。でも、他にこの木を撮影しているカメラマンを見たことが一度もないので、知らないのでしょうね。種名は書いてないので分かりませんが、かなり古い木です。花びらに走る血管のような濃い桃色が好きです。
ずっとスバル車に乗ってきた私が思わず撮影したワンカットです。スバルサンバーの廃車ですね。田舎では、本当はいけないのですが、こんな風に廃車を畑や耕作放棄地に置いておくことがままあるのです。昔は、これで杏の実を運んだのでしょう。農道のポルシェと言われたスバル・サンバーも今は生産中止。本当にもったいない。友人が乗っていますが、積雪30センチの林道をものともせずに走り抜けたそうです。中古車での価格が高いのも分かります。雪国では能力の高い軽トラは必需品です。
毎年杏の古木の下に店を出すよろず屋さん。新潟三条の刃物が中心なんですが、手打ちのナタや鎌など欲しいものがたくさんありました。しかもすべて半額。欲しいものがあったのですが、財布を置いてきてしまいました。ネットでも買えますが、相場を知っていると、ものによってはかなりお買い得でした。この上には麻績村のおやきのテントがあるのですが、冷凍ではなく朝の手作りなので、あっという間に売り切れていました。
天才・立川和四郎富昌の山門「子持龍」のある大城山興正寺山門の枝垂れ桜。ソメイヨシノや山桜より先に、いつも杏と同じ時期に咲きます。私の母方の祖母が眠る古刹です。彼女は豪放磊落な女性で、大好きでしたが、よく私の名前を妹の名前と間違えていました。彼女が切る沢庵は全部つながっていました。彼女が作る丸茄子のおやきと茶碗蒸しは、戦中の砂糖不足の人なので甘すぎて閉口しました。でも大好きでした。
左に白馬連峰、右に戸隠連峰。真ん中に大ケヤキ。このケヤキが青々と茂る頃、杏の実がたわわに実るのです。左手前の里山の向こうの尾根には、古代科野国の大王の墓、森将軍塚古墳があります。今回は集落の中にある白塚古墳も訪れました。集落の中を歩くと、昔ほどではありませんが、在来種の古木に出会えます。
スケッチパークから周遊道路を巡って下りると、左手に小さな集落が見えてきます。西側に五里ヶ峯山脈があるために日没が早く、半日村と呼ばれた岡地集落です。しかし、ここの杏が実はもっとも静かで鄙びて趣に溢れていると、通は言います。上に高速道路ができてしまったのが、なんとも残念ですが。杏の見頃は短いのです。明日15日が最後でしょうか。それからは散り始め、花も黒ずんできます。花の命は短くて…。金曜日には花散らしの雨になりそうです。
千曲市の杏と里山が産んだ歌姫。
彼女の歌は本当に好きです。心の琴線に触れまくるのです。哀しくも圧倒的に優しい、その詞と澄んだ歌声。
彼女は恋人でもあったエディット・ピアフに才能を見いだされた吟遊詩人の日本のジョルジュ・ムスタキかもしれない。彼女は類まれなき詩人だ。彼女が大ブレイクしないのは、既存の大手広告代理店やテレビ局がいかに腐っているかを表している。彼らが日本を滅ぼす。これも愚民政策の賜物。愚民にはなんのことか全く分からないうちに売国奴による破滅政策が進行している。
もうひとつ。会いに会いに行けたら、こんなにも苦しくないのに。会えない時間や距離に僕らは試されている。
人生は一度しかない。想いを伝えなければ最後に後悔する。死んでも死にきれないとは、生ききれていない証。生ききるべし。
在京時代ほどではないのですが、花粉症が酷いのです。恐らく一日の気温差が例年より大きいため(最大はなんと20度!適応不可)、自律神経失調症が拍車をかけているのだと思います。指先がしびれたり、頭がボーっとしたり偏頭痛が起きたり、夜は三時間おきに目覚めたりと散々です。友人の医者も三時に目が覚めてしまったとこぼしていました。そんな訳で、プチ断食をしています。こうすると症状が軽減されることを経験上知っているからです。でも辛い!
さて、ほとんど何も食べずに昼食も抜くつもりで出かけたあんずの里。米の絵本作家であるバージニア・リー・バートンの絵本『小さいおうち』を彷彿させるような風景ですね。小学校低学年の頃に、大好きで図書館で何度も読んだ記憶があります。もっとも、ここが大都市になって引っ越しを余儀なくされることは恐らく永遠にないでしょうけれど。花見に来たご婦人が、桃源郷ですねと言っていたのも頷ける心象に残る風景です。
山懐を歩いて樹齢290年と言われる最も有名な巨樹へ。今回は一番ベタな定番アングルで撮ってみました(笑)。観光客を案内してきたバスの運転手が、これが豊姫が持ってきた杏の木ですと説明していましたが、思わず笑ってしまいました。講釈師見てきたような嘘を言いを思い出しましたが。まあ、でも、あながち間違いではないでしょう。以前はそんなことを書いた看板もあったような記憶があるのですが、さすがに撤去されました。森林学科の息子に言わせると、伐採して年輪を数えたならいざ知らず、推定樹齢というのも実はかなり怪しいのです。しかし、だからといってこの木の価値が下がるわけでもありません。やはり圧倒的な存在感があります。手前の新品種との花の色の違いもよく分かります。
豊姫伝説のせいでしょうか、杏の木には童女や美しい娘が似合うと思うのです。今回も童女や少女とのカットを撮影したかったのですが、来るのは熟女、老女ばかり。いやいや、基本私は大人の女性が好きなので熟女大歓迎なのですが、絵的にね。幼子や少女が欲しかったというだけで。でも美しい乙女たちが通ってくれました。まあスマホで撮影は今どきで仕方がないですが。スマホをスキニーパンツの後ろポケットに入れている女性がいましたが、これは止めた方がいいです。スマホは強力な電磁波を出すので、体からはなるべく離すべきです。大事な内蔵・生殖器がやられます。また、伸縮性のないパンツも体には非常によくないのです。私も登山の時は、体を締め付けるスパッツの上下を着ることがありますが、これはあくまで一時的なものにするべきです。
手前に見える一際濃いピンクの杏は、果実を収穫しない観賞用のものです。遠くに天才・立川和四郎富昌の山門「子持龍」のある大城山興正寺が見えます。千曲市にお願いですが、なんの効果もないばかりか、住民や生態系に致命的な被害をもたらす松枯れ病のネオニコチノイド系神経毒の空中散布を止めていただきたいのと、助成金を出して、杏畑に散見されるブルーシートをなんとかしていただきたい。せめてグレーとか。これを入れないで撮影しようとカメラマンは四苦八苦しているのです。あまりにも無粋で目立ちすぎるのです。
これは某所にある指定木の花です。かなり古い木で、樹勢も衰えているのですが、濃い桃色の色合いが好きで、毎年撮影に行くのです。でも、他にこの木を撮影しているカメラマンを見たことが一度もないので、知らないのでしょうね。種名は書いてないので分かりませんが、かなり古い木です。花びらに走る血管のような濃い桃色が好きです。
ずっとスバル車に乗ってきた私が思わず撮影したワンカットです。スバルサンバーの廃車ですね。田舎では、本当はいけないのですが、こんな風に廃車を畑や耕作放棄地に置いておくことがままあるのです。昔は、これで杏の実を運んだのでしょう。農道のポルシェと言われたスバル・サンバーも今は生産中止。本当にもったいない。友人が乗っていますが、積雪30センチの林道をものともせずに走り抜けたそうです。中古車での価格が高いのも分かります。雪国では能力の高い軽トラは必需品です。
毎年杏の古木の下に店を出すよろず屋さん。新潟三条の刃物が中心なんですが、手打ちのナタや鎌など欲しいものがたくさんありました。しかもすべて半額。欲しいものがあったのですが、財布を置いてきてしまいました。ネットでも買えますが、相場を知っていると、ものによってはかなりお買い得でした。この上には麻績村のおやきのテントがあるのですが、冷凍ではなく朝の手作りなので、あっという間に売り切れていました。
天才・立川和四郎富昌の山門「子持龍」のある大城山興正寺山門の枝垂れ桜。ソメイヨシノや山桜より先に、いつも杏と同じ時期に咲きます。私の母方の祖母が眠る古刹です。彼女は豪放磊落な女性で、大好きでしたが、よく私の名前を妹の名前と間違えていました。彼女が切る沢庵は全部つながっていました。彼女が作る丸茄子のおやきと茶碗蒸しは、戦中の砂糖不足の人なので甘すぎて閉口しました。でも大好きでした。
左に白馬連峰、右に戸隠連峰。真ん中に大ケヤキ。このケヤキが青々と茂る頃、杏の実がたわわに実るのです。左手前の里山の向こうの尾根には、古代科野国の大王の墓、森将軍塚古墳があります。今回は集落の中にある白塚古墳も訪れました。集落の中を歩くと、昔ほどではありませんが、在来種の古木に出会えます。
スケッチパークから周遊道路を巡って下りると、左手に小さな集落が見えてきます。西側に五里ヶ峯山脈があるために日没が早く、半日村と呼ばれた岡地集落です。しかし、ここの杏が実はもっとも静かで鄙びて趣に溢れていると、通は言います。上に高速道路ができてしまったのが、なんとも残念ですが。杏の見頃は短いのです。明日15日が最後でしょうか。それからは散り始め、花も黒ずんできます。花の命は短くて…。金曜日には花散らしの雨になりそうです。
千曲市の杏と里山が産んだ歌姫。
彼女の歌は本当に好きです。心の琴線に触れまくるのです。哀しくも圧倒的に優しい、その詞と澄んだ歌声。
彼女は恋人でもあったエディット・ピアフに才能を見いだされた吟遊詩人の日本のジョルジュ・ムスタキかもしれない。彼女は類まれなき詩人だ。彼女が大ブレイクしないのは、既存の大手広告代理店やテレビ局がいかに腐っているかを表している。彼らが日本を滅ぼす。これも愚民政策の賜物。愚民にはなんのことか全く分からないうちに売国奴による破滅政策が進行している。
もうひとつ。会いに会いに行けたら、こんなにも苦しくないのに。会えない時間や距離に僕らは試されている。
人生は一度しかない。想いを伝えなければ最後に後悔する。死んでも死にきれないとは、生ききれていない証。生ききるべし。