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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

スギ花粉にめげず椎茸種駒2000個を打ち込んだ妻女山里山デザイン・プロジェクト(妻女山里山通信)

2014-04-12 | アウトドア・ネイチャーフォト
 信州の春は寒暖の差が激しく自律神経がやられるのですが、今年は特に酷いのです。一日の寒暖差が20度もある日が何日もあると、体がついて行きません。もちろん心も体の一部、ついて行かないのです。加えてスギ花粉。東京よりはましとはいえ辛いです。そんな中、今回の妻女山里山デザイン・プロジェクトは、椎茸栽培の伐採木の玉切りと種駒打ち2000個。相当な仕事量です。作業日が二転三転して急遽決まり、前日に作業手順を決めるために下見をしましたが、大変そうなのは目に見えていました。とにかく腰を傷めないようにしようねと確認。ソメイヨシノがやっと開花したばかりです。山桜はまだ固い蕾。山上から見る千曲川河川敷は、ハリエンジュや柳が芽吹いて青々。

 8時に妻女山駐車場に集合で作業現場へ。妻女山は、今は亡き山仲間のKさんのログハウスの隣で作業開始です。ここは、2011年3月の放射性プルームが流れこんだ時も、山の陰で汚染を奇跡的に免れた場所なのです。地表で計測しても、0.04μSv/hぐらいでした。現在もほぼ同じ値です。まずは、冬に伐採したコナラを1mに玉切りしていき搬出します。40本は切りださなければなりません。おまけにこの冬の豪雪でコナラの大木が4本も倒れました。杉の大木も途中で折れていました。これらの撤去は次回に回して、とにかく玉切りと搬出。結構大変です。搬出は最初は一輪車を使いましたが、結局斜面を転がして落とすことに。

 搬出したホダ木にドリルで穴あけして椎茸の種駒を打ち込みます。最近、原木シイタケをほとんど見ませんが、当たり前です。原木シイタケの原木の産地が七割以上福島。そのため、全国のシイタケ産地のものがセシウム汚染されてしまったのです。そこで我々は自前でシイタケ栽培をすることにしました。2000個の種駒を打ち込む作業は、穴開け班と種打ち班に分かれて作業開始。単純作業ですが、午前中には終了。最後に足りないホダ木を三本ほど補充しましたが。思ったよりも早く終わりました。スギ花粉にめげずと書きましたが、作業は杉林の直下で行ったため、相当に厳しいものでした。ゴーグルでなんとか目は保護したものの、S氏はくしゃみが止まりませんでした。

 昼はKさんのログハウス前の周遊道路を使わせていただいて北アルプスを眺めながら。私が家で作ってきた自家製塩麹に漬けた豚バラ肉と白菜と野良坊菜と人参の蒸し物。そして焼き鳥と焼き豚。Kさんの話や、絶景の北アルプスの話、GW後に行いたいKさんを偲ぶ会の開催の話などをしながら、ゆるゆると昼食をとりました。時々シジュウカラの鳴き声。八重の紅梅と白梅が満開でした。Kさんがいた頃と変わらぬ春が通りすぎていきます。食後は、下の泉にイワナを見に。食べ残った鶏肉を小さくちぎって投げると飛び上がって食いついてきました。Kさん亡き後、餌をもらってないのですから当然です。これからは羽虫も出るので飢えることはないでしょう。

 ここから見る千曲川と北アルプスの風景は、本当に癒されます。眼下に見える千曲市の畑地は、ほとんどインターチェンジと工業地帯になってしまいましたが、古代は龍王といってこの地を治める大王の城があったと伝わる自然堤防の大地です。20日の長野マラソンの頃には、河川敷の桃の花と菜の花が咲き乱れるでしょう。西向きの明るい斜面では、オオイヌノフグリとナズナがたくさん咲いていました。

 右に鹿島槍ヶ岳、その左に爺ヶ岳の勇姿。何度見ても見飽きることのない美しい風景です。しかし、こんな美しい風景も福一の放射能で確実に汚染されているのです。森のあんずジャムから50Bq/kg、松代のじゃがいもから20Bq/kg。犀川以北の山菜やキノコは要注意です。詳細は、長野県のHPで。個人で調べてブログにアップしている方もいます。放射能は足し算。情報弱者から病気になり死んでいくのは、チェルノブイリで既に証明済みです。福一はもう収拾できません。太平洋は死にます。東京湾と仙台湾は既に死にました。江戸前を食べたら確実に死にます。確実に情報弱者や安全バイアスにかかった人から死んでいくのです。チェルノブイリ同様に、2年後に東京では必ず放射能パンデミックが起きます。

 昼食後は、種打ちしたホダ木を積んで山を下り、うちの山に地伏せしました。とにかくホダ木が重いので苦労しました。普通はこんな太いホダ木を使いません。いいことといえば長持ちすることでしょうか。10年以上経ってもまだ椎茸が出続けているものもありますから。そんなわけで作業は順調に進み、寒風が吹き始めた3時前には終了しました。腰が痛いので、明日は温泉にでも行こうかと思います。森の杏は満開だそうです。妻女山の桜の見頃は、次の日曜日20日頃だと思います。長野マラソンの日です。

上の写真の右上のカットは、写真の少し右にある我々が作った現代芸術「虫のゆりかご」なのですが、実際この中にアオカナブンかコガネムシの幼虫がいました。右下に見える板で囲ったものは、カブトムシの飼育場で、きのこ栽培のおがくずが50センチぐらい入っています。実際に昨年の夏は、ここからかなりの数のカブトムシが旅立った跡がありました。


◉臨床発達心理士の山口創氏の『子供の「脳」は肌にある』という興味深い本があります。
今回は、その一部を引用します。
「イヌやウマといった哺乳類は、出産してまず初めに、赤ん坊の全身を舌でなめる。これは、赤ん坊の皮膚の表面についた羊水などを拭うのと同時に赤ん坊の全身に舌で刺激を与えてマッサージをしているのだそうだ。」
「赤ん坊の循環器系、消化器系、泌尿器系、免疫系、神経系、呼吸器系などあらゆるシステムを正常に作動させるために必要なことなのである。全身を舐められることで赤ん坊は正常に呼吸し、排泄できるようになる。」
「人間の場合は、母親は赤ん坊を舌で舐める代わりに、出産のときに子宮の中でマッサージしているのだという学者もいる。長時間続く陣痛による子宮の収縮が、 胎児の全身に皮膚刺激を与える。すると胎児の皮膚の末梢の感覚神経が刺激され、それが中枢神経に届き、自律神経系を経てさまざまな器官を刺激するという。 ゆえに産道を通らずに帝王切開で生まれた子供は、後に情緒不安定など、情動面での問題が生じる可能性が高いとの指摘さえある。」
「『皮膚は露出した脳である』ともいわれる。体性感覚(触覚と温痛覚)は視覚や臭覚とは異なり直接脳を刺激していることになる。」
 スキンシップというのは、実は言葉以上の会話なのだと分かります。

 切れる子供。執拗なストーカー。恋人に振られたぐらいで相手を殺す。家庭内暴力。拒食症。その根底にスキンシップの欠如があり、求める愛と与える愛の決定的な乖離があると思うのです。江戸時代の日本人や戦後でも田舎では、お乳は欲しがるだけ与え、赤ん坊は常に誰かに抱っこかおんぶされていたものです。常にスキンシップがありました。愛に満たされた子供は、言われなくても自ら自立していくものです。外で遊ぶ様になっても、昔はおしくらまんじゅうとか馬跳びとか、スキンシップの多い遊びが豊富でした。同学年だけでなく、上下の世代ともよく遊んだものです。そういう中で育った人間がコミュニケーション障害になるはずがありません。モラルではなく、思いやりが育たないわけがありません。モラルを声高に言う輩に碌(陸:ろく)な人間はいません。思いやりで充分なのです。
 問題は、スキンシップを知らずに育てられた連中が大人になり、今や政財界官僚マスコミの中枢にいるということなのです。本当に愛されたことのない人は。また人を愛することを知らない。学生時代、村上春樹さんが面白いよと教えてくれた作家・カート・ボネガットは言いました。「愛もまた学ばれるものだ」と。今ほど愛が必要とされる時代も、ないと思うのです。

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