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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

妻女山陣場平の貝母・真田信之の御霊屋の長国寺・松代夢空間(妻女山里山通信)

2019-03-17 | アウトドア・ネイチャーフォト
 拙書や当ブログ、信濃毎日新聞の記事で知られるようになって、毎年何百人もの人が訪れる様になった妻女山奥の、上杉謙信が陣小屋を建てたと伝わる陣場平の貝母の生育状況を観に行きました。下山後は長男と待ち合わせて松代の長国寺へ。祝神社も参拝した後、こむぎ亭へ餃子を食べに。その後、御霊屋が寺になった清野の林正寺へ。戸倉上山田の万葉超音波温泉に入って帰宅。花粉の飛散もほとんどなく、平穏な一日でした。

 まず、妻女山奥の陣場平へ貝母(編笠百合)の生育状況を観に行きました。昨年と同じく早いです。この状態だと、見頃は4月の15日から20日頃になるでしょう。拙書にも当ブログにも満開の写真を載せていますが。それは見事なものです。妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーと保護活動をしています。今日は、天城山へ向かう父娘かなと邂逅。斎場山や貝母の陣場平、拙書や当ブログも紹介しました。これからハイカーが激増します。里山好き、歴史マニア、山城マニア、サイクリスト、トレラン愛好者、野鳥マニア、山菜刈りなどなど。

(左)早いですね。薬草として中国から古くに持ち込まれたものですが、誤って食べると死亡することもある強い毒草です。慎ましく可憐な花ですが、決して持ち帰らないでください。(中)貝母の手前に山蕗。ビタミンちくわとかき揚げにすると馬鹿旨です。(右)セリバオウレンの小花。これも薬草であり毒草です。

 長男と待ち合わせて、松代の真田家の菩提寺、長国寺へ。御霊屋と呼ばれる長国寺の真田信之の霊廟へ。以前も雪降る日の参拝を記事にしました。黒漆塗の荘厳な建物です。今後修復作業で2,3年観られなくなるので、今が見頃です。格天井の絵は、可能探幽作。
松代藩の祖 真田信之の御霊屋と墓所のある長国寺へ。真田宝物館へも(妻女山里山通信)
長国寺公式サイト

(左)左甚五郎作と伝わる二羽の鶴。(中)両側の木鼻には、内向きに唐獅子、外側には麒麟。見事な木彫ですが、誰の作でしょう。(右)四代真田信弘公御霊屋。

(左)真田信之の墓。ここだけ鳥居があります。(中)真田信綱、幸隆、昌幸の供養碑。(右)真田幸村父子の供養碑。上田から松代に転封されたのは、左遷とガイドの話。徳川との結びつきが強かったにもかかわらず、戊辰戦争でいち早く新政府軍についたのは、真田の身代わりの速さとか。

(左)開山堂。もとは三代真田幸道公のために享保12(1727)年に建てられた御霊屋。明治5年(1872)に同寺が伽藍諸堂を焼失したため、同19年(1886)本堂再建の際、この霊屋を現在の場所に移築して開山堂としたものです。方三間の宝形造、桟瓦葺。肘木などの細部には見事な細工が残っており、長野県宝に指定されています。(中)紅梅が咲き始めていました。遅い信州にも春の兆し。(右)近くにある祝神社へ。
松代の祝神社と皆神山の皆神神社(熊野出速雄神社)へ参拝と撮影に行った小春日和の好日(妻女山里山通信)
 この長国寺と千曲市森の岡地にある天満宮には、不思議な関連があります。
 −−−菅原道真を祀る岡地天満宮。この神社には、菅原道真の木像と、法華経妙荘蔵王品一基が所蔵されていますが、菅丞相書『法華経並びに親作木像記』によると、どちらも菅原道真自作のものと伝えられています。 岡地に安置されるようになった経緯は非常に複雑です。もともとの所有者は、江戸城を築城した太田道灌(「七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)ひとつだになきぞ哀しき」の逸話で有名)が足利学校で学んだ折りにもらい受けたとされています。ただし、道真公からどういう経緯を辿って足利学校に所蔵されるようになったかは不明です。
 第四次川中島合戦の折に、ここ岡地には観音堂の大伽藍があったそうですが、戦火のために焼失したと縁起には記されています。その後、湯島天満宮に納めようとしたのですが、不慮の変があり果たせず、徳川家康の手に渡り、三代将軍家光へ、さらに幕府の官医であった土岐長庵の手に渡ります。土岐長庵は松代藩の真田家と懇意だったようで、真田家の菩提寺の松代長国寺(曹洞宗)に遺贈されました。更にその後しばらくは、松代の長国寺にあり、長国寺十七世千丈寛厳和尚が千曲市森の岡地に華厳寺を開いて隠住したとき(1785年)に森の岡地に天満宮を造って安置したのが始まりということです。
 現在では華厳寺は檀家も途絶えて廃寺となり(母はここで演芸会をしたそうです)、天満宮だけがあります。天満宮には、かの米山一政氏が驚嘆したという平安末期-鎌倉初期の作といわれる一刀彫の像があります。さらには、幻の善光寺五重塔建立のための試作品とされる名工・立川和四郎富棟作の「惣金厨子」があります。---
 詳しくは、下記の記事で御覧ください。

信州千曲市森のあんずが開花しました。見頃は今週末。妻女山の貝母もすくすくと成長(妻女山里山通信)

(左)昼は近くの「こむぎ亭」へ。餃子20個1200円。美味です。(中)昔ながらのやさしいラーメン600円。実は松代中学の同級生でサッカー部で一緒だった同級生の店です。(右)「松代夢空間」。拙書も売られています。ハイキングのインタープリターもしています。つるし雛が飾られていました。真田十万石の松代を散策する際は、ぜひ訪れてください。貴重な情報が得られます。色々なパンフレットや書籍、土産グッズがあります。
NPO法人夢空間松代のまちと心を育てる会

(左)その後、温泉に行く前に、清野にある林正寺へ。ここには松代藩二代藩主、信政の御霊屋があります。なぜここに移築されたかは不明です。相当寂れて傷んでいます。早急に修復が必要です。(右)波風の唐獅子。

木鼻の、かなり風化が激しいですが、左は貘、右は唐獅子と思われます。
来週末は、誰も知らない上杉謙信の山城がある拙書でも詳しく紹介の髻山へ、人知れず咲くセリバオウレンの群生地に撮影に行きます。場所を公開できないのは、保護もありますが、登山道から遠く離れた藪山の中で道もなく遭難する恐れもあるからです。里山を甘く見てはいけません。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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