3日目は糸魚川へ。まず、マリンドリーム能生の近くにある弁天島へ。恋人の聖地だそうです。そして、昨年の夏に息子達と訪れたフォッサマグナ・ミュージアムと天津神社奴奈川神社へ。マリンドリームに戻って昼食後、高田城址へ向かいました。夜は信州に戻って信濃町の道の駅で車中泊。
(左)能生港の灯台がある弁天島。恋愛成就の恋人の聖地だそうです。なら行かねば。中腹には厳島神社があるのですが、蜂が営巣していて近寄れません。てっぺんには海の神様「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」が奉られている能生白山神社の末社があります。(右)次に8号を糸魚川へ。糸魚川駅への角にある小さな公園に、奴奈川姫と幼少の建御名方命の像。衣服は呉服ですね。出雲系の人々が呉から渡来したことを偲ばせるもの。着物を売る店を呉服店といいますが、それも名残だと思われます。奴奈川姫は、糸魚川の土豪の妻で翡翠を象徴とする巫女だったらしいのですが、大国主命に見初められ夫を殺され略奪婚をしたと伝えられています。建御名方命は、信州一宮の諏訪大社の祭神です。その孫が妻女山麓にある上杉謙信も尊崇した会津比売神社の会津比売命です。出雲系。夫は崇神天皇に初代信濃國造に任命された武五百建命(たけいおたつのみこと)[古事記]と伝わっています。武五百建命は大和系。出雲系の後に入ってきた越のエリート達。つまり三国志で滅亡に追い込まれた国の高度な技術を持ったエリート達が来訪したと考えられます。弥生時代にはすでに製鉄技術があったのです。拙書ではそれを「みすずかる信濃の国の鉄バクテリアがずくを出す」というエッセイで紹介しています。
歴史人口学の研究者、鬼頭宏氏の推計によると、縄文時代の人口は約10万人~約26万人、弥生時代は約60万人。(古墳時代は400万人)奈良時代は約450万人。この急激な人口増は、生物学的には証明できません。大量の移民があったと考えるべきです。それが、呉越、徐福伝説、高句麗からの移民を意味するのではと考えます。日本史を世界史と分けて学んではいけないのです。日本の弥生時代にあたる古代中国の春秋戦国時代にそのヒントは隠されています。
●ヒスイと世界ジオパーク~奴奈川姫伝説と地球の営み~:非常に興味深い考察です。ただ、高志の国(越の国)と春秋戦国時代の呉と越に触れられていないのが残念です。魏志倭人伝にある、卑弥呼が平定する前に倭国大乱があった記述は、先に来訪した呉と後から来た越の戦いではなかったかと私は考えています。奴奈川姫は越の後裔、大国主命は呉の後裔とすると、大国主命が越の後裔である奴奈川姫を夫を殺害して妻としたことも、姫が子を生んだ後に入水自殺したということもさもありなんと思えてきます。翡翠だけがそれを知っているのでしょうか。
(左)フォッサマグナ・ミュージアムへ。昨年も息子達と来ましたが素晴らしいのでもう一度。開館時間に着きました。奴奈川姫の象徴ともいえる翡翠。(右)私が大好きな黄鉄鉱の結晶。立方体はまるで人工物の様です。後日、野尻湖畔のナウマンゾウ博物館で買いました。
(左)アメジストやら色々な鉱物が見られます。(右)宝石や鉱物好きにはたまらない博物館です。今回は、開館時に入ったので入館者も少なくゆっくりと観られました。
(左)凄いですね。この色彩は。(右)水晶の色々。今はデジタル全盛期ですが、昔はクウォーツ時計というものがありましたね。
(左)天津神社拝殿。茅葺きの拝殿は寛文二年建立。(右)拝殿内部。越後国一ノ宮です。
(左)拝殿後背の左に奴奈川神社。(右)右に天津神社。
「万葉集」に詠まれた「渟名河(ぬなかは)の 底なる玉 求めて 得まし玉かも 拾ひて 得まし玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜(を)しも」(巻十三 三二四七 作者未詳) の歌において、「渟名河」は現在の姫川で、その名は奴奈川姫に由来し、「底なる玉」はヒスイ(翡翠)を指していると考えられます。沼河比売はこの地の土豪の妻で、ヒスイを支配する祭祀女王であったと思われます。天沼矛の名に見られるように古語の「ぬ」には宝玉の意味があり、「ぬなかわ」とは「玉の川」となるといわれます。大国主命は、その評判を聞き東征の折に彼女の夫を殺し略奪婚をしたとも。諏訪大社の祭神・建御名方命はその子ですが、元の夫を殺害された奴奈川はふさぎ込んだ不遇の一生を終えたともいわれています。真相は遥か古代の闇の中です。
(左・右)マリンドリーム能生に戻りカニラーメンを食べたのですが、これが残念。蟹は入っていてもスープに蟹風味が全く無い。これは駄目です。蟹欠乏症になり、今夜は信州信濃町の駅の道に宿泊と決めていたので、夕食用にまたまた紅ズワイガニを購入。昨年からご贔屓の海富丸さんへ。一昨日来たのでおばさんが覚えていてくれました。また2000円でとお願いすると、3000円の蟹にもう一杯おまけを。保冷剤と発泡スチロール箱でプラス300円。スタンプも増えました。サービス感謝です。
(左)マリンドリーム能生でしばらく休憩の後で出発。6:00am〜9:00pmまでやっているコンビニもあるので、非常に人気があります。写真の後ろ5mはもう海です。(右)上越市から南下して高田城址へ。
(左)唯一現存する高田城三重櫓。(中)高田城址再現図。(右)紫陽花が美しく咲いていました。色変わりするので「移り気・七変化」ということで武士には好まれなかった様ですが、それはそれとして城跡に合いますね。
三重櫓の中には、色々な展示品があります。最上階からの眺めも特筆です。
(左)明治時代に描かれた春日山城絵図は必見。(中)ツツジも満開。お堀の美しい城址でした。信州に向かいます。(右)下道を辿って着いたのは野尻湖。信州に入ると快晴でした。
(左)野尻湖は周遊道路がありますが狭いです。ここは左回りが鉄則です。サイクリストやランナー向けの距離標識もそうなっています。ところが右回りの老人が。ネットで調べればすぐ分かるのですが、これはそういう標識を立てるべきでしょうね。ただ右回りですぐ近くのペンションやレストランに行く人や斑尾方面に向かう人は例外です。(中)まず苗名滝近くの苗名の湯へ。いい湯でした。水曜休館です。(右)信濃町の道の駅しなの。ここで車中泊します。
(左)夕飯は、道の駅マリンドリーム能生で買い求めた紅ズワイガニ。いや目立ちすぎるので駐車場の一番端っこの野菜売り場「いっさっさ」のテーブルで。またまた蟹でお腹いっぱいになりました。(中)車中泊の車内。ENKEEOの厚さ10センチのエアマットは2000円。必需品です。寝袋はジッパーでフルオープンできるのがスグレモノ。枕は必須ですが100円ショップのもの。全部で5000円ぐらいです。道の駅は宿泊所でもなくキャンプ場でもありません。基本的には24時間開いている休憩所。テントの設営やバーベキューは厳禁です。宿泊を歓迎しているところもあれば黙認しているところも。禁止しているところもあるので事前にネットなどで調査を。(右)暮れてきました。この夜は十数台が泊まったようです。売店は閉まりますが、自動販売機とトイレは24時間使えます。夕食後には、大好きなユキ・ラインハートのFMラジオを聴きながら、ビールやバーボンのハイボールで晩酌。ふと外に出て空を見ると、北の低い空に北斗七星とカシオペア座が見えました。絶品黒姫霧下蕎麦も堪能。続きはその4で。道の駅での車中泊は宿泊費がいらないので、その分食費や見学費にまわせます。今回は、歴史巡礼と博物館・水族館巡りの旅でした。
翌日は、小林一茶記念館やナウマンゾウ博物館へ。野尻湖の湖畔を堪能して無事に帰還しました。小林一茶記念館は、昔、小さかった息子達と訪れたときと違って改築され素晴らしいものになっていました。ナウマンゾウ博物館は、地味ですが素晴らしいものでした。鉱物や化石などを買いました。また行きたいですね。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
(左)能生港の灯台がある弁天島。恋愛成就の恋人の聖地だそうです。なら行かねば。中腹には厳島神社があるのですが、蜂が営巣していて近寄れません。てっぺんには海の神様「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」が奉られている能生白山神社の末社があります。(右)次に8号を糸魚川へ。糸魚川駅への角にある小さな公園に、奴奈川姫と幼少の建御名方命の像。衣服は呉服ですね。出雲系の人々が呉から渡来したことを偲ばせるもの。着物を売る店を呉服店といいますが、それも名残だと思われます。奴奈川姫は、糸魚川の土豪の妻で翡翠を象徴とする巫女だったらしいのですが、大国主命に見初められ夫を殺され略奪婚をしたと伝えられています。建御名方命は、信州一宮の諏訪大社の祭神です。その孫が妻女山麓にある上杉謙信も尊崇した会津比売神社の会津比売命です。出雲系。夫は崇神天皇に初代信濃國造に任命された武五百建命(たけいおたつのみこと)[古事記]と伝わっています。武五百建命は大和系。出雲系の後に入ってきた越のエリート達。つまり三国志で滅亡に追い込まれた国の高度な技術を持ったエリート達が来訪したと考えられます。弥生時代にはすでに製鉄技術があったのです。拙書ではそれを「みすずかる信濃の国の鉄バクテリアがずくを出す」というエッセイで紹介しています。
歴史人口学の研究者、鬼頭宏氏の推計によると、縄文時代の人口は約10万人~約26万人、弥生時代は約60万人。(古墳時代は400万人)奈良時代は約450万人。この急激な人口増は、生物学的には証明できません。大量の移民があったと考えるべきです。それが、呉越、徐福伝説、高句麗からの移民を意味するのではと考えます。日本史を世界史と分けて学んではいけないのです。日本の弥生時代にあたる古代中国の春秋戦国時代にそのヒントは隠されています。
●ヒスイと世界ジオパーク~奴奈川姫伝説と地球の営み~:非常に興味深い考察です。ただ、高志の国(越の国)と春秋戦国時代の呉と越に触れられていないのが残念です。魏志倭人伝にある、卑弥呼が平定する前に倭国大乱があった記述は、先に来訪した呉と後から来た越の戦いではなかったかと私は考えています。奴奈川姫は越の後裔、大国主命は呉の後裔とすると、大国主命が越の後裔である奴奈川姫を夫を殺害して妻としたことも、姫が子を生んだ後に入水自殺したということもさもありなんと思えてきます。翡翠だけがそれを知っているのでしょうか。
(左)フォッサマグナ・ミュージアムへ。昨年も息子達と来ましたが素晴らしいのでもう一度。開館時間に着きました。奴奈川姫の象徴ともいえる翡翠。(右)私が大好きな黄鉄鉱の結晶。立方体はまるで人工物の様です。後日、野尻湖畔のナウマンゾウ博物館で買いました。
(左)アメジストやら色々な鉱物が見られます。(右)宝石や鉱物好きにはたまらない博物館です。今回は、開館時に入ったので入館者も少なくゆっくりと観られました。
(左)凄いですね。この色彩は。(右)水晶の色々。今はデジタル全盛期ですが、昔はクウォーツ時計というものがありましたね。
(左)天津神社拝殿。茅葺きの拝殿は寛文二年建立。(右)拝殿内部。越後国一ノ宮です。
(左)拝殿後背の左に奴奈川神社。(右)右に天津神社。
「万葉集」に詠まれた「渟名河(ぬなかは)の 底なる玉 求めて 得まし玉かも 拾ひて 得まし玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜(を)しも」(巻十三 三二四七 作者未詳) の歌において、「渟名河」は現在の姫川で、その名は奴奈川姫に由来し、「底なる玉」はヒスイ(翡翠)を指していると考えられます。沼河比売はこの地の土豪の妻で、ヒスイを支配する祭祀女王であったと思われます。天沼矛の名に見られるように古語の「ぬ」には宝玉の意味があり、「ぬなかわ」とは「玉の川」となるといわれます。大国主命は、その評判を聞き東征の折に彼女の夫を殺し略奪婚をしたとも。諏訪大社の祭神・建御名方命はその子ですが、元の夫を殺害された奴奈川はふさぎ込んだ不遇の一生を終えたともいわれています。真相は遥か古代の闇の中です。
(左・右)マリンドリーム能生に戻りカニラーメンを食べたのですが、これが残念。蟹は入っていてもスープに蟹風味が全く無い。これは駄目です。蟹欠乏症になり、今夜は信州信濃町の駅の道に宿泊と決めていたので、夕食用にまたまた紅ズワイガニを購入。昨年からご贔屓の海富丸さんへ。一昨日来たのでおばさんが覚えていてくれました。また2000円でとお願いすると、3000円の蟹にもう一杯おまけを。保冷剤と発泡スチロール箱でプラス300円。スタンプも増えました。サービス感謝です。
(左)マリンドリーム能生でしばらく休憩の後で出発。6:00am〜9:00pmまでやっているコンビニもあるので、非常に人気があります。写真の後ろ5mはもう海です。(右)上越市から南下して高田城址へ。
(左)唯一現存する高田城三重櫓。(中)高田城址再現図。(右)紫陽花が美しく咲いていました。色変わりするので「移り気・七変化」ということで武士には好まれなかった様ですが、それはそれとして城跡に合いますね。
三重櫓の中には、色々な展示品があります。最上階からの眺めも特筆です。
(左)明治時代に描かれた春日山城絵図は必見。(中)ツツジも満開。お堀の美しい城址でした。信州に向かいます。(右)下道を辿って着いたのは野尻湖。信州に入ると快晴でした。
(左)野尻湖は周遊道路がありますが狭いです。ここは左回りが鉄則です。サイクリストやランナー向けの距離標識もそうなっています。ところが右回りの老人が。ネットで調べればすぐ分かるのですが、これはそういう標識を立てるべきでしょうね。ただ右回りですぐ近くのペンションやレストランに行く人や斑尾方面に向かう人は例外です。(中)まず苗名滝近くの苗名の湯へ。いい湯でした。水曜休館です。(右)信濃町の道の駅しなの。ここで車中泊します。
(左)夕飯は、道の駅マリンドリーム能生で買い求めた紅ズワイガニ。いや目立ちすぎるので駐車場の一番端っこの野菜売り場「いっさっさ」のテーブルで。またまた蟹でお腹いっぱいになりました。(中)車中泊の車内。ENKEEOの厚さ10センチのエアマットは2000円。必需品です。寝袋はジッパーでフルオープンできるのがスグレモノ。枕は必須ですが100円ショップのもの。全部で5000円ぐらいです。道の駅は宿泊所でもなくキャンプ場でもありません。基本的には24時間開いている休憩所。テントの設営やバーベキューは厳禁です。宿泊を歓迎しているところもあれば黙認しているところも。禁止しているところもあるので事前にネットなどで調査を。(右)暮れてきました。この夜は十数台が泊まったようです。売店は閉まりますが、自動販売機とトイレは24時間使えます。夕食後には、大好きなユキ・ラインハートのFMラジオを聴きながら、ビールやバーボンのハイボールで晩酌。ふと外に出て空を見ると、北の低い空に北斗七星とカシオペア座が見えました。絶品黒姫霧下蕎麦も堪能。続きはその4で。道の駅での車中泊は宿泊費がいらないので、その分食費や見学費にまわせます。今回は、歴史巡礼と博物館・水族館巡りの旅でした。
翌日は、小林一茶記念館やナウマンゾウ博物館へ。野尻湖の湖畔を堪能して無事に帰還しました。小林一茶記念館は、昔、小さかった息子達と訪れたときと違って改築され素晴らしいものになっていました。ナウマンゾウ博物館は、地味ですが素晴らしいものでした。鉱物や化石などを買いました。また行きたいですね。
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