モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

野尻湖から希望湖へ。飯山で古刹めぐり、飯山城址。高橋まゆみ人形館、富倉そばを堪能して小布施の岩松院。空っぽの菅平ダム(妻女山里山通信)

2020-11-12 | アウトドア・ネイチャーフォト
 ノープランの旅最終日の四日目は、飯山へ行くことを決めていました。幕末から明治にかけての宮彫りの名工、北村喜代松の木彫を求めて、富山、糸魚川、上越、野沢温泉と巡ってきましたが、その続編です。名物の富倉そばも楽しみです。

 早朝の道の駅しなのを出て、野尻湖へ。朝日が昇ってきました。気温は3度ですが、寒くはありません。犬を連れて散歩する人やランニングをする人。車中泊のいいところは、宿泊代がかからないということですが、実は最大のメリットは、夜更けに着いたり夜明け前に出発したりと、自由な時間に移動できるということなのです。

 斑尾山。紅葉は終わっています。スキー場が開くのもまもなくでしょう。1982年に始まった、ニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾 (Newport Jazz Festival in Madarao) には、友人達と度々訪れました。B.B.キング、ジャッキー・マクリーン・アンド・マル・ウォルドロン・カルテット、ウェイン・ショーター・カルテットとか、学生時代にアルバイトをしていた村上春樹さんの国分寺ピーター・キャットで聴いていたジャズメンの演奏を、夏の高原で生で鑑賞できるのですから、それはもう最高でした。演奏とバドワイザーで酔いしれました。(そのブログは、左のブックマークの国分寺・国立70Sグラフィティ 村上春樹さんのピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクルで)

 そこから標高850mにある希望湖【のぞみこ】へ。鏡面の様な穏やかな水面に紅葉が映ります。ここで東御市から来られたSさんご夫婦と邂逅しました。東御市で開業医をされているそうですが、お二人共写真が大好きで、展覧会も開催され、本も出されているようです。山の話や、湿原の話やその情報など、大変有意義なお話ができました。

 バスのルアーフィッシングで有名で、この朝もアングラーが首都圏からも訪れていましたこういう閉じられた湖ならいいのですが、千曲川にいるブラックバスやブルーギルなどは、生態系を破壊し在来種を滅亡に追い込むので、非常に問題です。昔はいたメダカやドジョウ、人絹と呼ばれたオイカワ、ナマズなどは、今もいるのでしょうか。飯山へ下ります。

(左)飯山の本学寺。北村正信(喜代松)の作です。(右)大きくはありませんが、迫力のある見事な獅子が両方の木鼻にあります。

 なかなか複雑な歴史を持つ古刹です。

(左)次いで大聖寺へ。(右)飯山でも古い歴史を持つ曹洞宗の寺院です。

 本堂正面向拝の龍の木彫。両脇に小龍が二頭。左右に長く伸びる髭の木彫。これを一本の欅から彫り出しているのですから見事というしかありません。

 その中央のアップ。木目を見るとその限界まで彫っていることが分かります。欅の特性を限界まで知り尽くし造形していることに驚嘆します。

 木鼻の獅子と貘(ばく)。貘は想像上の動物です。中国の想像上の動物で、人の悪夢を食うという伝説があります。 象と似ていますが、象は大きな耳が垂れ笑っています。貘は悪夢を食べるためか、荒ぶって表現されています。

 獅子のアップ。鬣(たてがみ)の造形が凄い。残念ながら現在、これだけの技術を持った宮彫り氏はいないかも知れません。ただ、いなみ木彫りの里 太田彫刻や井波で修行をされた信州の中牧一展氏などは、非常に高レベルの木彫を手掛けています。この伝統が継承されていくといいいのですが。

 飯山城址へ。古い絵図を元に再現されたものです。穏やかな日だったので、小さな子を連れた家族が何組も遊びに来ていました。

(左)飯山城見取り図。これを元に復元された様です。(右)城址の脇はすぐに千曲川。「明治元年(1868年)の戊辰戦争では、藩主の本多助成は新政府への態度が曖昧であるとして叱責を受けている。越後高田藩方面から旧幕府軍の衝鋒隊が飯山藩領に侵入し、飯山を拠点化しようとした。この動きに対しても藩は当初は日和見的な態度を取っていたが、突然衝鋒隊に対して発砲し、城下は戦火の被害を受けている。その後北越戦争、会津戦争に参戦した。翌年、第9代藩主・本多助寵は版籍奉還により飯山藩知事となる。そして明治4年(1871年)の廃藩置県により、飯山藩は廃藩となって飯山県となり、同年末には長野県に編入された。 」(Wikipedia)

(左)本丸。(右)飯山線の列車が通過しました。

(左)すぐ近くの「高橋まゆみ人形館」へ。(右)郷愁と親しみを感じる人形がたくさんあります。展示品は度々交換される様です。孫を自転車の後ろに乗せたお祖父さんの絵葉書を買いました。

 昼は「奥信濃 まぼろしのそば処 富倉そば」へ。休日で混むことが分かっていたので開店時間に到着。頼んだのは盛り蕎麦と海老の天ぷらと舞茸の天ぷら。天ぷらは抹茶塩で。オヤマボクチの繊維を練り込んだ蕎麦は、細くても歯ごたえがもの凄い。何もつけずにいただくと、霧下蕎麦のおがわの様な新蕎麦の甘みとか香りはありません。しかし、強めの汁をつけていただくと口中に蕎麦の甘みと旨味が充満します。汁は何か普通のかえしとは違います。なんだろうと思いましたが、もしかして煮干しを入れているのかなと。帰りにお店の女性に聞くと、ええ使っていますと。なるほど、この強い汁は富倉そばに非常に合うと思いました。そして秋山郷でも思いましたが、舞茸の味が濃い。天然ではないけれど、栽培方法が大メーカーのものとは違うことが分かります。大満足でした。

(左)403号を南下。そのままだと小布施の混雑に巻き込まれるので山際の道へ。拙書でも紹介の雁田山の小城へ昇りました。北信五岳が見えるかなと思ったのですが、霞んだ四つしか見えませんでした。(右)麓の北斎の鳳凰の天井絵で有名な岩松院。拙書でも写真をお借りして載せています。

 そこから須坂の街に入ったのですが、左に菅平の看板を見つけて、そうだ菅平に行こうと決めました。さすがに紅葉は終わっていましたが、大松山の麓から見る根子岳と四阿山。両山とも拙書にその歴史とともに載せています。別荘地で、最近引っ越してきたという旦那さんが外国人のご夫婦と邂逅。冬は地獄ですけど夏は天国ですと笑いながら言っていました。まもなくこの畑もゲレンデになります。湿原も見るものはなかったので、上田に下ります。

 途中の菅平ダム。なんと水が抜かれてありません。管理事務所にダムカードをもらうのと話を聞くために向かいました。ダムは50年経っているので補修が必要なので抜いて作業をしているとのこと。管理を委託されている方と、色々なダムの話をしました。前回訪れたJR東日本の信濃川ダムの話は非常に興味深そうに聞かれました。

 ダムとダムの下流部の景色。標高が下がっていくほど紅葉の鮮やかさが増していきます。これからが、拙書にたくさん載せている信州の里山の紅葉の盛りになります。戸倉上山田温泉の万葉超音波温泉に入って帰宅しました。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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