3月22日が開花日だったそうですが、22日が夏日だったためか26日には満開になりました。桜(染井吉野)も開花しました。杏の花は花期が短いので撮影にでかけました。今週末には散り始めるでしょう。
樹齢300年を超えると伝わる杏の大木。森のアンズは、天和年間(1681~1683年)元禄時代、伊予宇和島藩主伊達宗利侯の息女豊姫が、松代藩主真田幸道侯に興し入れの際、故郷の春を忘れじとして国許よりアンズの苗木を取り寄せ、松代東条地区に植え付けたのが始まりとされています。安永年間(1772~1780年)松代藩は、森村・倉科村・生萱村・石川村などへ苗木を配布し、栽培を奨励しました。そのため、松代藩の領地だった集落にはどこでも杏の木があります。
皆さんはだいたい上の位置で撮影するのですが、ちょっと歩くとこんな感じ。太い根本から6本ぐらい幹が出ているのが分かります。手前の杏畑のものは手入れがしやすい様に剪定するので大きくはなりません。
花の付き方が桜とは違います。枝に密集する様に咲きます。桜と違って杏の花は童女のイメージがあります。
前の記事の同じカットと比べると七分咲きと満開の違いが分かります。テントの売店ではシロップ漬けや干し杏、漬物や乾物が三袋1000円で売られていて人気です。
在来種の杏。在来種は集落の庭によく見られます。我が家にも大きな杏の木があったのですが、蚕室を建てる時に伐採してしまいました。
その在来種の花のアップ。在来種は消毒をしないので香りを嗅いでも大丈夫です。
近づいたら皆逃げてしまいましたが、たくさんのヒヨドリが花の蜜を吸っていました。
一番標高が高い場所にある杏畑。例年あの一番上まで行くのですが、花粉がものすごくて今回は止めました。
集落の方を見下ろしたカット。煙は冬に剪定した枝を燃やしているのでしょう。
上信越自動車道の向こうに茶臼山山系。右奥に薄っすらと見えるのは虫倉山。左には北アルプスの白馬三山がかすかに見えています。風景が少し黄ばんでいるのは黄砂の影響かと思われます。当地は今頃は午後になると強風が吹くことが多いので、花見は午前中から午後2時ぐらいまでがいいと思います。ただ早すぎると消毒をしている可能性があります。
杏畑の下に咲いているシソ科のカキドウシ(垣通、籬通)。別名をカントリソウ(癇取草)といい、小児の疳や夜泣き、腎炎、尿路結石、糖尿病等の薬草です。またかき揚げやアク抜きしておひたしなどで食べられます。
根本に藁(わら)を巻いてあります。霜よけと虫よけでしょうか。
禅透院の鐘楼と在来種の杏の花。右奥はやはり満開のサンシュユ(山茱萸)。
レンギョウとあんずの花。あんずの実は6月から収穫します。集落のあんずが道路に落ちて杏の匂いで充満します。昨年作ったあんずジャム、干しあんず、あんずの焼酎漬けがまだたっぷりあります。売店ではあんずソフト、ワッフル、エード、シロップ漬けなどが売られています。子供の頃は祖母が作ってくれた赤紫蘇を巻いた干し杏のシロップ漬けが大好きでした。これは売ってないので自分で作るしかないですね。
最新式の杏畑。根元が白いのは、白塗剤で樹皮を保護しているのでしょう。
興正寺山門の枝垂れ桜。
その興正寺の山門にある「子持龍」は、天才・立川和四郎富昌の作。富昌は八幡の武水別神社の再建中でした。そこで、森出身の弟子・宮尾八百重を案内役に住職、世話人、名主らが建築現場に赴き建築を依頼。引き受けた富昌は三月頃から、父富棟が寛政二年(1789)に建築した善光寺大勧進の表御門形式を参考に絵図面を制作。4月には八百重の家に投宿し近くの薬師山に登って酒宴を催し、満開の杏花を愛でたといわれています。夜は篝火の下で鼓を鳴らし謡曲の「鞍馬天狗」を吟じ、見事な龍を描き上げ、村人や近郷近在の話題をさらい、村では日本一の宮大工が来たと喜んだそうです。興正寺は、浄土宗西京大谷知恩院の末派で、創立年は不詳。
鐘楼の脇に見事な五葉松。我が家にも幼木があるのですが手入れが非常に難しいです。
興正寺の上から見るあんずの里。私がいた高校の3階の窓からは、あんずの里がよく見えるのですが、当時は茅葺屋根がほとんどで、屋敷の中にももっとたくさんの杏の木がありました。
周回道路の最後にあるのは半日村といわれる岡地地区。右上に軽トラが止まっていて荷台に黄色いタンクが見えます。消毒作業をしているのでしょう。ここに鎮座する天満宮にも立ち寄りたかったのですが、花粉でもう体が限界です。温泉に入って帰ることにしました。
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樹齢300年を超えると伝わる杏の大木。森のアンズは、天和年間(1681~1683年)元禄時代、伊予宇和島藩主伊達宗利侯の息女豊姫が、松代藩主真田幸道侯に興し入れの際、故郷の春を忘れじとして国許よりアンズの苗木を取り寄せ、松代東条地区に植え付けたのが始まりとされています。安永年間(1772~1780年)松代藩は、森村・倉科村・生萱村・石川村などへ苗木を配布し、栽培を奨励しました。そのため、松代藩の領地だった集落にはどこでも杏の木があります。
皆さんはだいたい上の位置で撮影するのですが、ちょっと歩くとこんな感じ。太い根本から6本ぐらい幹が出ているのが分かります。手前の杏畑のものは手入れがしやすい様に剪定するので大きくはなりません。
花の付き方が桜とは違います。枝に密集する様に咲きます。桜と違って杏の花は童女のイメージがあります。
前の記事の同じカットと比べると七分咲きと満開の違いが分かります。テントの売店ではシロップ漬けや干し杏、漬物や乾物が三袋1000円で売られていて人気です。
在来種の杏。在来種は集落の庭によく見られます。我が家にも大きな杏の木があったのですが、蚕室を建てる時に伐採してしまいました。
その在来種の花のアップ。在来種は消毒をしないので香りを嗅いでも大丈夫です。
近づいたら皆逃げてしまいましたが、たくさんのヒヨドリが花の蜜を吸っていました。
一番標高が高い場所にある杏畑。例年あの一番上まで行くのですが、花粉がものすごくて今回は止めました。
集落の方を見下ろしたカット。煙は冬に剪定した枝を燃やしているのでしょう。
上信越自動車道の向こうに茶臼山山系。右奥に薄っすらと見えるのは虫倉山。左には北アルプスの白馬三山がかすかに見えています。風景が少し黄ばんでいるのは黄砂の影響かと思われます。当地は今頃は午後になると強風が吹くことが多いので、花見は午前中から午後2時ぐらいまでがいいと思います。ただ早すぎると消毒をしている可能性があります。
杏畑の下に咲いているシソ科のカキドウシ(垣通、籬通)。別名をカントリソウ(癇取草)といい、小児の疳や夜泣き、腎炎、尿路結石、糖尿病等の薬草です。またかき揚げやアク抜きしておひたしなどで食べられます。
根本に藁(わら)を巻いてあります。霜よけと虫よけでしょうか。
禅透院の鐘楼と在来種の杏の花。右奥はやはり満開のサンシュユ(山茱萸)。
レンギョウとあんずの花。あんずの実は6月から収穫します。集落のあんずが道路に落ちて杏の匂いで充満します。昨年作ったあんずジャム、干しあんず、あんずの焼酎漬けがまだたっぷりあります。売店ではあんずソフト、ワッフル、エード、シロップ漬けなどが売られています。子供の頃は祖母が作ってくれた赤紫蘇を巻いた干し杏のシロップ漬けが大好きでした。これは売ってないので自分で作るしかないですね。
最新式の杏畑。根元が白いのは、白塗剤で樹皮を保護しているのでしょう。
興正寺山門の枝垂れ桜。
その興正寺の山門にある「子持龍」は、天才・立川和四郎富昌の作。富昌は八幡の武水別神社の再建中でした。そこで、森出身の弟子・宮尾八百重を案内役に住職、世話人、名主らが建築現場に赴き建築を依頼。引き受けた富昌は三月頃から、父富棟が寛政二年(1789)に建築した善光寺大勧進の表御門形式を参考に絵図面を制作。4月には八百重の家に投宿し近くの薬師山に登って酒宴を催し、満開の杏花を愛でたといわれています。夜は篝火の下で鼓を鳴らし謡曲の「鞍馬天狗」を吟じ、見事な龍を描き上げ、村人や近郷近在の話題をさらい、村では日本一の宮大工が来たと喜んだそうです。興正寺は、浄土宗西京大谷知恩院の末派で、創立年は不詳。
鐘楼の脇に見事な五葉松。我が家にも幼木があるのですが手入れが非常に難しいです。
興正寺の上から見るあんずの里。私がいた高校の3階の窓からは、あんずの里がよく見えるのですが、当時は茅葺屋根がほとんどで、屋敷の中にももっとたくさんの杏の木がありました。
周回道路の最後にあるのは半日村といわれる岡地地区。右上に軽トラが止まっていて荷台に黄色いタンクが見えます。消毒作業をしているのでしょう。ここに鎮座する天満宮にも立ち寄りたかったのですが、花粉でもう体が限界です。温泉に入って帰ることにしました。
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