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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

中国正史の書を読む梅雨空の好日。『中国正史 倭人・倭国伝全釈』『中国正史の倭国九州説 扶桑国は関西にあった』『西暦535年の大噴火』(妻女山里山通信)

2023-06-13 | 歴史・地理・雑学
 梅雨空で撮影に行かれない日々が続いています。普段できない部屋の掃除やデータの整理整頓、少し手の込んだ料理をしたりしていますが、積読でなかなか読めない本やもう一度読みたい本を少しずつ読むようにしています。古代科野のクニは、ハイキングのガイドの時にも話しますが、出雲や倭国大乱などに触れると、やはり中国の古代史に触れざるを得ません。そんなわけで中国正史の本を二冊。さらに世界史の本を一冊読んでいます。とはいえ中国は広いし歴史は複雑でとても全部は覚えきれません。ただざっくりと紀元前1000年の西周から春秋戦国時代の呉越、秦の始皇帝、前漢、後漢、魏呉蜀、色々あって随、618年の唐までを覚えておけばなんとかなります。あとは300年以降の朝鮮半島の高句麗、百済、新羅、任那も。さらに世界史対照象年表をディスプレイに出しておくといいですね。

■『中国正史 倭人・倭国伝全釈』鳥越憲三郎
 最近吉野ヶ里遺跡から大きな石棺が発見され、卑弥呼のものではないかと話題になっています。これは倭人とはなにかということに新しい解釈を持ち込んだ書。『魏志倭人伝』にあるように、倭人とは当時の日本人のことですが、『晋書』には「自ら太伯の後(すえ)なり」とあります。太伯とは呉の始祖といわれる人物。つまり、日本からの使者は我々は呉の国の末裔であると言っているわけです。そして、各史書に書かれた倭人や倭国について記しています。越に滅ぼされた呉のエリートたちが日本に渡ってきた。そして後に滅びた越の人々も日本にやってきた。その後の秦の始皇帝の時代には、徐福の集団が大挙してやってきたというわけです。しかし、弥生時代の痕跡は1000年前からあるわけで、呉の滅亡以前から大陸から弥生の文化をもたらした人々がやって来ていたということも分かってきました。更に後には唐に滅ぼされた高句麗の人々も馬産と石の文化を持って主に信州に渡ってきたわけです。各史書の分析は非常に緻密で解説も分かりやすい。おすすめの一冊です。
漢字の歴史:文字として使用できる漢字ができあがったのは紀元前1500年ごろのことといわれています。象形文字ですね。弥生時代に渡来した人々が使っていたのが神代文字と思われます。吉野ヶ里遺跡の文様の様なものも、それだろうと思われます。さらに知りたい方は「漢字」で検索を。
人口の超長期推移:縄文時代の人口のピークは26万人。末期に8万に減少。弥生時代になると60万人にまで増加。さらに古墳時代には400万人へ。奈良時代には600万人を超えます。自然増に加えて渡来人の大量移入、稲作の伝来などで爆発的に人口が増えたものと考えられます。

■『中国正史の倭国九州説 扶桑国は関西にあった』いき一郎
 扶桑国という実は史実から永らく失われた日本のあるクニを紹介した書。「中国正史に記録されながら、いまなお日本正史から黙殺されつづける謎の国と大和皇国史観の作為に迫る」と帯にはあります。さらに「扶桑国は決して謎の国ではなかった。この国は九州倭国の東にあり、むしろ。中国との交流を遮られていたというべきである。九州倭国は委奴国王の金印以来、唯一の列島における正当政権を名乗り、誇っていたはずであり、外国の国々の中国への渡航を妨害していたとも考えられる。関西扶桑国説は九州倭国説を補うとともに、”近畿天皇家”の定説に再考を迫るだろう。」とあります。これも中国の史書からの引用が多く、緻密。中国から見た日本の記述が主で、史記には徐福の東渡が、後漢書には5-6世紀の日本について、倭国、扶桑国、文身国、女国、大漢国があるとの記述があります。序文とあとがきを読んでから本文に入るといいかと思います。

■『西暦535年の大噴火』人類滅亡の危機をどう切り抜けたか デイヴィッド・キーズ
 火山の本ではなく歴史書です。空前絶後の大噴火が世界の気候をドラスティックに変え、その結果、文明や文化がどう影響を受けたか、歴史がどう変わったかを検証しています。目次から抜粋すると、ペストの猛威、東ローマ帝国の動揺、イスラムの剣、東洋の悲劇、アメリカ大陸の変貌、人類の未来・九つの「時限爆弾」など。大地震や大洪水など大規模な自然現象から人類は絶対に逃げることはできない。そして打ちのめされ戦い立ち上がり生き抜いてきた。その壮絶な歴史が分かります。そして、我々も現在その真っ只中にあるのだと思い知らされます。

 もちろんこれらの書にかいてあることが全て正しいとか真実であるとはいえませんが、日本の古代史を探求する上で中国はじめ海外の古代史を学ぶことは、実は長年タブーでした。日本史と世界史を分けて教えるという奇妙な教育もそれ。特に明治政府の天皇制を強固に確立するために弥生時代以前はまるで原始時代だったかの様に貶められた感があります。そのタブーが無くなりましたが、一部ではまだ記紀一辺倒の人々もいます。弥生時代といえば古代ローマ帝国とも重なります。その高度な文明がシルクロードを伝って伝播したと考えるのが普通です。人類は旧石器時代から世界を大きく動いていたわけで、日本の旧石器時代人はオーストラリアやニューギニア高地人の様な骨格をしていたといいます。縄文人はどこから来たのかなど。歴史観というものも新たな見方を求められているのだと考えます。
「全盛期の縄文土器」ー圧倒する褶曲文ー 長野県立歴史館:尽きない縄文の魅力(妻女山里山通信):2021年に行われた展示のレポート。非常に感動的で興味深い展示でした。空前の縄文ブームで来場者も大勢でした。写真をたくさん載せています。


『富嶽と徐福』藤原祐則筆(北斎)北斎館所蔵
 大和王権の祖ともいわれる徐福集団の渡来。徐福は江戸時代でも相当に知られていた様で、かの葛飾北斎も徐福の肉筆画を描いています。徐福は伝説上の人物とされてきましたが、1982年に中国江蘇省の徐阜村が古くから徐福村と呼ばれ、徐福に関する遺跡や伝承があることが分かり、実在の人物であることが証明されました。徐福については、『阿曇族と徐福 弥生時代を創りあげた人たち』亀山 勝著もおすすめです。ヤマト王権や天皇が尊崇した伊勢神宮の灯篭に六芒星(ダビデの星)があるのは有名ですが、そのヤマト王権は先に渡来し定着した出雲を恐れたといわれています。科野のクニの崇神天皇に初代科野國造に任命された神武天皇の後裔の武五百建命(たけいおたつのみこと)の妻は、妻女山麓の会津比売神社の祭神の会津比売命(あいづひめのみこと)ですが、曽祖父は大国主命で出雲系。古代科野のクニはヤマト系と出雲系が結婚してできたといえます。ヤマト王権が出雲を取り込もうとする政略結婚だったのでしょうか。武五百建命は、森将軍家古墳に埋葬されていると思わます。
中国の歴史:見応え読み応えのあるサイトです。
徐福:ウィキペディア:秦の始皇帝に不老不死の薬を探すと少年少女3000人と多くの百工(技術者)、武士とともに、五穀の種と繭を持って来訪。結局帰らず全国に散らばり、稲作、製鉄、養蚕を伝え、クニをつくり王となり弥生時代を拓きました。全国各地に徐福伝説が残っています。徐福の村は古代に失われた10のユダヤ部族のひとつの末裔ともいわれています。帰らなかった理由は、不老不死の薬が見つからなかったというものと、最初から秦の始皇帝を騙して帰るつもりはなかったというものがあります。程なく秦は滅び、徐福集団は完全に定着したと思われます。
扶桑国の歴史的地理的な位置づけ


 春秋戦国時代の呉と越。越の人物。髪は結わず散切りで体には入れ墨。入れ墨を除いては、まるで現代のその辺にいる青年の様です。造船技術の高さがうかがえる外洋も航海可能な船。ベトナムまで交易をしていたそうです。まず滅びた呉の人々が出雲族として、ついでやはり滅びた越の人々が渡来し、徐福集団が渡来して定着し弥生時代の基礎を作ったとされる。さらに後には唐と新羅に滅ぼされた高句麗の人々もたくさん渡来しました。信州には彼らがもたらした馬産の証の馬具と石の文化を象徴する積石塚古墳がたくさん残っています。旧石器時代から1万年続いた縄文時代へ。琉球人とアイヌ民族。そして渡来人の弥生時代へと。日本は単一民族どころか多種多様な民族の集合体といえるのではないでしょうか。日本人はハーフどころか複数の民族の混血児なのです。縄文人に加えて敗残者の集団がひとつになってバイタリティのある世界でも稀に見る特徴のある日本文化を生み出したのです。神話というのは、敗残者のトラウマを払拭するために作られたと私は考えています。


 古代史は専門書が多くとっつきにくいのですが、これは2019年宝島社のムックです。書店にはもう無いかもしれませんが、ネットの古書店では見つかるかも知れません。この手の本では比較的新しいのがいいですね。旧石器時代や縄文時代のページも多く写真が多いのも分かりやすい。入門書としてお勧めです。


「淡竹と新玉葱と牛豚合いびき肉のおやき」味付けは、手作り信州麹味噌、鰹出汁粉、貝出汁、牡蠣ソース、花椒辣醤、胡麻油。皮は、夢力と幻の小麦・伊賀筑後オレゴンにとろろ。両面に胡麻油で焼き目をつけてから20分蒸してできあがり。想像以上の旨さ。手が止まりません。おやきの原型は中国の餅(びん)です。餅は日本では米粉ですが、中国では小麦。古代からある食べ物です。小麦は紀元前7000年ぐらいからメソポタミアで栽培されていてシルクロードを通って広まった様ですが、紀元前400年頃の戦国時代の中国から石臼が発見されています。日本では縄文時代後期には稲作が始まっており、弥生時代中期には小麦の栽培も盛んになった様です。おやきは古代食といえるでしょう。
「馬柵越し 麦食む駒のはつはつに 新肌触れし 子ろし愛しも」万葉集 東歌 巻14-3537
(馬の柵越しに少しずつ麦を食べる小馬のような、ほんのわずかだけ肌に触れたあの娘のことが愛おしい)


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2 コメント

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こんにちは (かたくり)
2023-06-15 08:45:11
先日伺った話と関連してますね。旺盛な読書量ですね。

私も読書は好きでしたがもう、登場人物が右から左に忘れていくのでちんぷんかんぷん。

頭に内容が入ってきません。

以前「善徳女王」の還流ドラマを放映されたとき、対応する日本の飛鳥時代と比較しながらどんな交流があったのだろうかと思いをはせました。
NHKの大河ドラマも特にそうですがドラマは史実と異なることが多いので、いつも裏をとりながらの鑑賞になります。
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同じです (モリモリキッズ)
2023-06-15 09:20:00
なかなか頭に入って行かないのは同じです。何度もおなじところを読んだり、専門用語はいちいち調べたり。古代史の本は読めない旧字が多いので、辞書の『新字鑑』は手放せません。読む速度は恐ろしく遅いです。

古代史は新しい発掘がどんどん進んでいるので、できるだけ新しい本や文献にあたるのがいいですね。全国の埋蔵文化センターもツイッターでフォローしてぼちぼち調べています。
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