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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

妻女山・陣場平の貝母(編笠百合)が開花。あんずの里は満開!(妻女山里山通信)

2017-04-16 | アウトドア・ネイチャーフォト

 前回紹介した妻女山陣場平の貝母が開花し始めました。異常に早かった昨年とは異なり平年並みです。満開は20日頃からゴールデン・ウィーク前半まででしょう。昨年は信濃毎日新聞の斜面でも紹介していただいたので、訪れる人が激増しました。すでに県外から開花情報の問い合わせもありました。
 左奥は昨年、妻女山里山デザイン・プロジェクトのメンバーや協力者によってヨシとノイバラの根を除去し、貝母の種や球根を植えたところなのですが、たくさん発芽しています。

 貝母の和名は編笠百合ですが、このカットを見ると納得がいくと思います。茶道を嗜む人はご存知でしょう。4月の茶花です。喉の薬になる薬草ですが、同時にかなり強い毒草です。持ち帰って庭に植えたいという方もいますが、危険なのでお断りしています。野草や山菜での事故が毎年ありまから。

 森のあんずが満開というので長男と出かけました。拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林でも載せている私が好きな撮影ポイントです。まだ9時なので花見客もまばらです。早朝に農薬散布をしているので、農薬の臭いがします。

 ツクシ(土筆)の群生。保育園の頃、祖母がこれの卵焼きを作ってくれてお弁当に入れて行きました。血糖値を下げたり、むくみ解消の効能があるそうですが、今ツクシを食べる人はほとんどいないでしょうね。アルカロイドを含むので大量摂取はいけません。ビタミンEは野菜ではトップクラスだとか。ビタミンCやカロテンも豊富。

 満開のあんずの木の向こうに白馬三山。葛飾北斎の様な外連味のある構図を意識して撮ってみました。あんずの枝の踊り具合がいいですね。

 樹齢が250年以上というあんずの巨樹。森のアンズは、天和年間(1681~1683年)元禄時代、伊予宇和島藩主伊達宗利侯の息女豊姫が、松代藩主真田幸道侯に興し入れの際、故郷の春を忘れじとして国許よりアンズの苗木を取り寄せ、松代東条地区に植え付けたのが始まりとされるのですが、それ以前にも少しはあった可能性はあります。安永年間(1772~1780年)松代藩は、森村・倉科村・生萱村・石川村などへ苗木を配布し、栽培を奨励しました。

 その巨樹の花のアップ。花びらが白く、雄しべの黄色が目立つため、遠くから見るとやや黄色みを帯びたコーラルピンクに見えます。私が高校生の頃に教室の窓から見えたあんずの里は桃色ではなくこの色でした。

 花見客やカメラマンがまず訪れない山際のあんず畑には巨岩がゴロゴロしています。樹下にはホトケノザ、ヒメオドリコソウ、オオイヌノフグリ、タネツケバナ、ミヤマハコベ、カキドウシなどが咲いています。

 毎年ついつい撮影してしまうあんず畑のスバルサンバートラックの廃車。今回は長男にいつ頃のどういうモデルかを詳しく教えてもらいました。普通のカメラマンはあんずを撮影に来ているので、こんなカットは撮りませんが、私はこういうところにも感性の琴線が震えるのです。

 長男が八十二銀行のカレンダーにありそうなベタなシチュエーションだねと言ったカット。レンギョウの向こうに菜の花。その向こうにあんず。アートディレクター時代の私なら、なにか特別な意図がない限り絶対に使わないだろうカットですが、今回はあえてアップしてみました。

 禅透院の鐘楼の周りに咲くサンシュユ(山茱萸)と在来種のあんずの花。

(左)どれでも四つ1000円の売店は人気でした。干しあんず、あんずの焼酎漬け、シロップ漬け、セロリの粕漬けなど。(中・右)昼食はおもてなし食堂で郷土料理の「おしぼりうどん」。美味でした。その隣にあったスバルサンバーの消防車。これはミニカーでも販売されているそうです。

 母方の祖母が眠る興正寺へ。山門の脇に咲く枝垂れ桜。

 興正寺山門の「子持龍」は、天才・立川和四郎富昌の作。一見の価値があります。和四郎富昌は八幡の武水別神社の再建中でした。そこで、森出身の弟子・宮尾八百重を案内役に住職、世話人、名主らが建築現場に赴き建築を依頼。引き受けた富昌は三月頃から、父富棟が寛政二年(1789)に建築した善光寺大勧進の表御門形式を参考に絵図面を制作。四月には八百重の家に投宿し近くの薬師山に登って酒宴を催し、満開の杏花を愛でたといわれています。夜は篝火の下で鼓を鳴らし謡曲の「鞍馬天狗」を吟じ、見事な龍を描き上げ、村人や近郷近在の話題をさらい、村では日本一の宮大工が来たと喜んだそうです。興正寺は、浄土宗西京大谷知恩院の末派で、創立年は不詳。
 彼の木彫は、京都御所の建春門の「蟇股(かえるまた)の龍」、遠州の「秋葉神社」、諏訪の「諏訪大社下社拝殿」、善光寺大勧進御用門「江梁の龍」、松代町西条の白鳥神社の「神馬」などがあります。また、同市屋代の須々岐水神社、土口の古大穴神社にも富昌の作があります。左右にある波の彫刻は、葛飾北斎の影響を受けたものともいわれていますが見事です。

 帰りに妻女山展望台へ立ち寄り、松代城へ行きました。『真田丸』効果が冷めやらぬか観光客が大勢訪れていました。(左)太鼓門への橋から尼厳山と奇妙山。いずれも拙書で詳しく紹介しています。(中)武者姿の人が二人いて観光客と記念撮影に応じていました。(右)松代城の櫓台越しに見る上杉謙信が本陣としたと伝わる斎場山(旧妻女山)。私の本やブログを見て訪れる人も増えました。現在の妻女山は往古は赤坂山といい、謙信の本陣と伝わる場所ではありません。そのことも拙書では詳しく記しています。

YouTubeに各年のあんずの里のスライドショーをアップしています。ぜひご覧ください。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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