大切なお子さんを亡くされた方から、メールを頂き、私も
苦しかったあの頃を思い返してみました。
息子を亡くした苦しみから立ち直るために、のた打ち回っていた
自分がいました。
子供を亡くした人の手記を何冊も読み、飯田史彦氏の本や
キュブラーロスの本を読みまくり、「死」について、子供に
先立たれるという運命の意味を、必死で知ろうとして
いました。
「死」について答えて下さる老師さまがいると聞き、福井県の
禅寺を訪ねたこともありました。
「生と死を考える会」の子供を亡くした集いに参加したり
深い悲しみを抱えても、前を向いて歩いて行きたい!
その思いだけは、手放さないようにしながら、苦しみと
悲しみの中でもがいていました。
本などで気づいたことを生かそうと、こう考えよう、
ああ受けとめようとやってみましたが、立ち直ったと思うと
次なる悲しみが押し寄せて来て、今まで以上にボロボロになって
一層打ちのめされて、立ち直れなくなっていくのです。
その繰り返しでした。
あの時は分かりませんでしたが、今思うと
これ程の難題に答えられるほど、頭は賢くないと
いうことなのです。
頭を過信してはいけないということです。
実際、この悲しみとしっかり向き合うと腹を決めた時から
道がひらけて来たのです。
答えが分からない時は、頭で考えるのでなく、目の前の生活を
丁寧にやっていると、見えてくるものがあり、それが大きな
支えになってくれるのだと思います。
初女先生が、体験ほど尊いものはないと言われていますが
この、辛い体験が私の礎となってくれています。
これは、きっと子供と共に生きているということに
なるのだと思います。
苦しかったあの頃を思い返してみました。
息子を亡くした苦しみから立ち直るために、のた打ち回っていた
自分がいました。
子供を亡くした人の手記を何冊も読み、飯田史彦氏の本や
キュブラーロスの本を読みまくり、「死」について、子供に
先立たれるという運命の意味を、必死で知ろうとして
いました。
「死」について答えて下さる老師さまがいると聞き、福井県の
禅寺を訪ねたこともありました。
「生と死を考える会」の子供を亡くした集いに参加したり
深い悲しみを抱えても、前を向いて歩いて行きたい!
その思いだけは、手放さないようにしながら、苦しみと
悲しみの中でもがいていました。
本などで気づいたことを生かそうと、こう考えよう、
ああ受けとめようとやってみましたが、立ち直ったと思うと
次なる悲しみが押し寄せて来て、今まで以上にボロボロになって
一層打ちのめされて、立ち直れなくなっていくのです。
その繰り返しでした。
あの時は分かりませんでしたが、今思うと
これ程の難題に答えられるほど、頭は賢くないと
いうことなのです。
頭を過信してはいけないということです。
実際、この悲しみとしっかり向き合うと腹を決めた時から
道がひらけて来たのです。
答えが分からない時は、頭で考えるのでなく、目の前の生活を
丁寧にやっていると、見えてくるものがあり、それが大きな
支えになってくれるのだと思います。
初女先生が、体験ほど尊いものはないと言われていますが
この、辛い体験が私の礎となってくれています。
これは、きっと子供と共に生きているということに
なるのだと思います。