「書」は内なるエネルギーの表現だと思っています。
「書」に出会い、自分の中のエネルギーを知ったのです。
4月の上野の書展に出す作品を書いたのですが、書いた時は全てを
出しきったと思ったのですが、昨日作品を選ぶのに改めて
書いたものをみたら、あれ?こんな作品だったっけと、がっくり
してしまいました。
もう、書き直すわけにはいかないし、仕方がありません。
でも、次なる意欲が出てきました。
次は「悲」を書いてみたいと思いました。
悲しみに負けない「悲」
この「悲」を観たら、悲しみなんか乗り越えてやるという
そんな力が出て来る「悲」が書きたいです。
深い悲しみと向き合うには、腹をくくらなければいけません。
だから、強い「悲」を書くためには、お腹の力で書かなければ
悲しみに負けない「悲」にはなりません。
1年かけてお腹を鍛え、「悲」に挑戦しようと思いました。
私は、何処から見てもおばちゃん!でも、内なるエネルギーは
まだまだ熱いものがあります。
下手っぴいですが、自分を信じて書いて行きたいです。
「書」に出会い、自分の中のエネルギーを知ったのです。
4月の上野の書展に出す作品を書いたのですが、書いた時は全てを
出しきったと思ったのですが、昨日作品を選ぶのに改めて
書いたものをみたら、あれ?こんな作品だったっけと、がっくり
してしまいました。
もう、書き直すわけにはいかないし、仕方がありません。
でも、次なる意欲が出てきました。
次は「悲」を書いてみたいと思いました。
悲しみに負けない「悲」
この「悲」を観たら、悲しみなんか乗り越えてやるという
そんな力が出て来る「悲」が書きたいです。
深い悲しみと向き合うには、腹をくくらなければいけません。
だから、強い「悲」を書くためには、お腹の力で書かなければ
悲しみに負けない「悲」にはなりません。
1年かけてお腹を鍛え、「悲」に挑戦しようと思いました。
私は、何処から見てもおばちゃん!でも、内なるエネルギーは
まだまだ熱いものがあります。
下手っぴいですが、自分を信じて書いて行きたいです。