昨日のブログに、飯舘村の「までい」のことを書いたら
「までいの力」という本が、私の処にやってきました。
読書量の少ない私ですが、この本は今年読んだ本の
中でも、トップになるくらいガツンときました。
この本は、2011年初春に発売になるはず
だったようです。
発売直前に襲った東日本大震災と原発事故。
ですから、この本には原発事故以前の飯舘村が
あるのです。
人口6000人の小さな村が、周辺自治体との
合併をせず、体を使い、知恵を出し合い、
心を熱くし、夢を持ち続け、そしてその夢を
叶えていく行動力、それが飯館村なのです。
飯館村の全てを貫くのは「までい」
「までい」とは、真手(まて)の古語が語源で
左右揃った手、両手の意味で、手間ひまを惜しまず
丁寧に心をこめて、つつましく、と言う意味で
東北地方で使われている方言だそうです。
読んでいて、初女先生の生き方が「までい」そのもの
だと感じました。
本を読んでいると、飯館村に行ってみたい、出来るなら
そこで暮らしてみたいと思いが押し寄せてきますが
2011年3月11日以前の、この本にある飯館村は
もうないのです。
そのことを思うと、失われたものの余りの大きさに
途方にくれます。
飯館村の菅野村長が本のまえがきに
「戦後、一貫して大量生産・大量消費・大量廃棄に
よって作られてきた今日の日本経済の中に少し
スピードを緩めてみようと。走っている人は歩く、
歩いている人は立ち止まる。立ち止まっている人は
しゃがんでみる。そうすると足元の花の美しさが
見えてくるような気がする。
戦後一貫して効率一辺倒、スピーディーに、お金が
全てという価値観を進めてきた結果、人と人との
関係が希薄になり「自分さえ良ければ病」になって
しまった。「お互い様」のまでいの心が必ずや
新しい日本を再生する基礎になると思う。」と
震災直後の3月28日に書いているのです。
そして、2011年8月8日には、
飯館村「未来の翼」事業、第1回実施で、中学生
18人がドイツへ「持続可能な社会」の研修へ行って
います。
何が起きても、先祖代受け継がれてきた「までい」は
飯館村の人の生きる力になって行くのを感じました。
そういう核のない、私たちは焦り、自分を失い
来た道に戻ることが、この国の再生だと信じて
いるのではないかと、この本を読んで思いました。
出会って良かった「までいの力」