日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
日本国憲法前文
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立派なことを言ってはみたが、民主主義の世の中になり、自由に何をやってもいいんだということになってみると、人間は性欲の満足ばかりに走るようになった。
馬鹿が権利を得て、自分よりよい人間に嫉妬して、大勢の力でつぶしはじめ、馬鹿ばかりが権力を持つようになった。
馬鹿は、自分の性欲を満足させることを優先することを正当化するために、あらゆることをやるようになった。自分よりもてる男を馬鹿にするために、悪いことやずるいことをする馬鹿が賢くてかっこいいのだということに、大勢の力で無理強いして、世界の常識として設定した。
よいことをする、正しい男は馬鹿なのだ。みんなで殺してしまえばいい。人間はみんな馬鹿なのだ。だから好きなことをしていい。
それで馬鹿はすべてを自分の思い通りにするつもりだったのだ。
そして最大の山場である人類の進化試験の時に、男は女を追いかけるばかりで、大事なことは何もしなかった。
すべては、最後に残った女性の天使ひとりがやった。
よき男はすべて、民主主義によって殺されたからだ。
そして人類が馬鹿になり、すべてがおじゃんになったというのに、馬鹿は法則の反動におびえるばかりで何もしようとしない。何の責任もとらない。何もできないからだ。
それが民主主義の結末なのである。