われらの政体は他国の制度を追従するものではない。ひとの理想を追うのではなく、ひとをしてわが範を習わしめるものである。その名は、少数者の独占を排し多数者の公平を守ることを旨として、民主政治と呼ばれる。わが国においては、個人間に紛争が生ずれば、法律の定めによってすべての人に平等な発言が認められる。だが一個人が才能の秀でていることが世にわかれば、無差別なる平等の理を排し世人の認めるその人の能力に応じて、公けの高い地位を授けられる。またたとえ貧窮に身を起そうとも、ポリスに益をなす力をもつ人ならば、貧しさゆえに道をとざされることはない。われらはあくまでも自由に公けにつくす道をもち、また日々互いに猜疑の眼を恐れることなく自由な生活を享受している。
ペリクレス
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民主主義すなわちデモクラシーの語源は、古代ギリシャ語のデモクラティアだが、古代の民主制と近代の民主制は違う。
古代の民主制は一応全市民の政治参加を旨としたが、近代ほどの限定化はされておらず、また当時の民度も高かったことによって、力高い人間が為政者に登れる可能性が高かった。
人間はまだ、独裁の究極の悲劇を知らなかったので、いい人間と見れば信頼を寄せて、自分たちの王と仰ぐべく、投票したのである。
ペリクレスはそのような形で選出されたアテナイの王であった。
糞みたいな人間が実権を握り、人をむさぼるような政治をする可能性は低かった。そこまで人間の馬鹿が発展していなかったからだ。
だが嫉妬を起因にして起こったフランス革命によってもたらされた近代民主制は、ひどく汚れていた。無知が人間をむしばみ、きつい馬鹿ができる人間ばかりがよいものとみなされ、人民はそんな人間に票を入れるようになったのだ。
いやらしい人間ばかりがいる世界では、いやらしいことが平気でできる人間の方が有用だと考えられたのだ。
確かにそれである程度の政治はできるだろう。だが法則はきつい。いやなことをすれば必ず痛いものが返ってくる。金がかかる民主制には贈収賄がはびこり、政治が金で汚れ、法則の反動によって政権は安定せず、きついことになるたびにくるくると変わる。人民は政治を信頼せず、いやなことばかりするようになり、その害を防ぐためにやたらと法律ができる。
平等主義は馬鹿に権力を与え、卑怯なことが平気でできる馬鹿ばかりが発展してゆき、よき人材はまっこうから嫉妬されてつぶされるようになる。
結局は、愛がないからこうなるのだ。
民主制とは言うが、これは実に、馬鹿による独裁ともいえるのである。なぜなら、政治家になるのは馬鹿ばかりになり、馬鹿の特権ばかり太らせるようになるからだ。