ある都会の片隅の、小学校の校庭の隅にある、大きな樫の木の枝に、二羽の小さな白い小鳥が並んでとまっていました。太陽は十一時の位置にあり、町を明るく照らしています。
「ああ、首のあたりがむずがゆい。ねえ、いつまでこんなかっこしとかなきゃならないんだい?」右側の小鳥が言うと、左側の小鳥が答えました。
「もうちょっとだよ。君は変身の術、苦手なのかい?」「苦手というわけじゃないけど、獣や鳥に化けるのってあまり好きじゃないんだ。その、体中の毛や羽が、肌にあわないみたいで、かゆいんだよ」
「まあ、慣れるしかないね。これも勉強だと思ってがんばりなよ」左側の小鳥は冷たく言いました。右側の小鳥は、羽をボールのように膨らませ、臍を曲げたように、ひとこと、ぴり、と鳴きました。
「こういう仕事、初めてじゃないけど、なんかいつも、妙な指定があるんだよな。小鳥に化けて待ってろとか、熊に化けて森に隠れてろとか。こっちは何の意味もわからないし、説明もない」「たぶん、ぼくたちにはわからない重要な意味があるんだろう。とにかく、やるべきことはちゃんとやらないとな」「うん、まあ、とにかく待っていよう。…君、そんなにかゆいんだったら、小鳥やめて、トカゲにでも化けるかい?」「いや、いいよ、小鳥に化けてろって役人さんに言われたんだから」と言いつつも、右側の小鳥は、いかにもかゆそうに足で何度も何度も首筋をかきむしっていました。
ふと、空の上の方から、くらん、という音が響きました。とたん、町じゅうの大気が一瞬、寒天のように固まりました。すぐに元に戻ったので、人間は誰も気づきませんでしたが、小鳥たちはそれに気づいて、大慌てで翼を広げ、空に飛び立とうとしました。しかし、右側の小鳥はうまく飛べずに、ころりと地面に転げ落ち、その拍子に変身がとけて、木の根元に茶色の髪の少年が、目を回しながら座っていました。
もう一羽の小鳥は、仕方ないなあ、と言って自分も変身をとき、黒髪の長いひとりの少年となって、茶色の髪の少年のところに降り立ち、その腕を引っ張って、空に飛び立ちました。
「来るぞ、もうすぐ」黒髪の少年が言いました。「ほら見ろ、もう印ができてる、あそこ」黒髪の少年が指差して言うと、茶色の髪の少年は驚いて「うわ、いつの間に!」と声をあげました。少年たちが空の高いところから町を見下ろすと、町のほぼ真ん中にある広場に、日照と月光を組み合わせて紋章化した魔法印が、青みを帯びた金色の線できっかりと描いてあったのです。
少年たちは再び呪文を唱えて、小鳥に姿を変え、ぴりぴりと鳴きながら空を飛んで時を待ちました。空はまるで深い青菫色の海でした。たなびく雲が美しすぎるほど清らかに白く澄みわたり、それは見る人の瞳を深くも清めてしまいそうでした。その青空の中天あたりを見ると、そこに、かすかな虹色の光の輪があって、それが揺れ動いているのがわかりました。二羽の小鳥は息を飲みながら、それを見つめました。虹色の光は空に溶けだすように次第に広がって、ふと風を受けた薄絹のようにゆらめいて、二人がまばたきをしている間に、そこに、美しい若者の姿をした大きな男神さまがいらっしゃったのです。二羽の小鳥はそのお姿を見るや否や、まるまると目を見開き、「う、うわああ!」と声を合わせて悲鳴をあげました。
神は、腰から下は目に見えず、上半身だけが空に柔らかな石英でできた巨大な彫像のように透き通って、雲の向こうから静かに下界を見下ろしていました。その御身は空の半分を隠してしまうかと思うほど大きく、御顔は清らかな女性のように美しく、長い髪を上空の風になびかせながらも、その表情は厳しく凍りついていました。瞳は青い太陽を燃やしているかのようで、その目で見られた者は、自分の胸を矢で射抜かれ、その目の炎に骨まで焼き尽くされるのではないかと思うほどなのでした。
小鳥に化けた少年たちも、神を見るのは初めてではありません。というより、よくあることです。少年たちは、今日、この地で、ある神様が人間のために何か一つの仕事をなさるから、それを確かめて記録しつつ、人間たちの代わりに深く感謝の意を表して来いと命ぜられたのでした。
神はしばし、雲の上から眼下の都市を見下ろされた後、眼光を強め、頭の後ろに熱く白い光を燃やし、白く燃えている左手を眼下の町に向けて、それを拳にして握りしめ、何か、ふう、という声をおあげになったかと思うと、再び手を広げられました。
一瞬の間をおいて、だだーんん、という轟音が響きわたり、空気と地が振動しました。もちろん生きている人間には音は聞こえませんでしたが、どうやら小さな地震が起こったと思ったようで、少しの間人々の間にざわめきが起こりました。小鳥たちはしばし、空の上で目を回しながら、その音の衝撃にくらくらする頭が、おさまって来るのを待ちました。
そうして、ようやくめまいがおさまって、目を開けると、小鳥たちは、都市の真ん中の、さっきの紋章が描かれていた広場の上に、それは美しい白金水晶の、清らかな鋭い牙のようなものが一本、塔のように突き刺さっているのを見ました。その牙は、三日の月のように細長く優雅に曲がり、透き通りながらもほんのりと青く染まっており、その丈はあまりにも高く、てっぺんは町の周りを囲む山岳よりも、三倍も高かったのです。
小鳥たちは、大慌てで変身を解くと、空の上で姿勢を整え、人間たちの代わりに、深く神への感謝の儀礼をしました。神はしばし、厳しくも澄み渡る瞳で眼下の景色を眺めつつ、必死で感謝の祈りをささげるふたりの声を聞くと、おぅ…と声を空に響かせ、静かに目を閉じてうなずき、空の中にゆっくりと姿を消してゆかれました。
神が行ってしまわれると、ふたりはしばし呆然と目を見開いて、じっと黙って空を見あげていましたが、やがて何かあたふたとし始めました。茶色の髪の少年が牙を指差しながら言いました。「こ、これ、何だ、なんか、前にも見たことある…」すると黒髪の少年が震えながら言いました。「そう、ぼくも分かってるんだけど、今頭から言葉が出てこないんだ。と、とにかく、き、記録しなくちゃ」黒髪の少年が、呪文を唱えて、手の中に帳面を出しました。茶色の髪の少年も、帳面を出しました。そして牙の絵を描いたり、牙の表面を観察して気付いたことや、牙の周りの家々や地質の変化や人々の様子など、要点を、詳しく記録していきました。見えない牙の中を、ツバメが一羽、通り過ぎていきましたが、ツバメは牙の中に入るや否や、バランスを崩して、くるりと回り、目を回して落ちそうになったところを、ようやく体勢を取り直して、飛んでいきました。少年たちはそれも記録しました。
「うっわあ…」
あらかた記録が終わると、茶色の髪の少年が、帳面を抱きしめつつ、神が姿を消した空を見上げて、また言いました。黒髪の少年がそれを見て、言いました。「何驚いてるんだよ。あの神様を見るのは、初めてじゃないだろう?」「わかってるよお。でも、あ、あの神様が、どうして地球に、こんなことしに来たの?」茶色の髪の少年の声は震えてひっくりかえっていました。彼は、もっとちがうほかの神様が来ると思っていたのです。それは黒髪の少年も同じでした。彼は、眉を寄せ、真剣な顔になって、少し考えました。
神と一言に言いましても、いろいろな神がいらっしゃいまして、春の花園に吹く風のようにだれにでもお優しい神さまもいらっしゃれば、よからぬことをした者には容赦なく鉄槌を下すお厳しい神様もいらっしゃり、彼らが今日見た神さまは、その中でも、厳しすぎるほどお厳しい神様でいらしたのです。それはそれは、男神様なれどお顔は乙女のようにお美しいのですが、その神のなさることの厳しさと言ったら、とてつもないのでした。愚かな罪びとがふらふら近寄っていこうものなら、どんな目にあわされるかわかったものではないのです。その神のお姿を見て、震えあがらぬ罪びとはおらず、もちろん、少年たちも、その神のなさることを見て、震えあがったことのないものはおらず、その神は、事実上、彼らの知っている限りの神の中で、最も恐ろしい神なのでした。
「ど、どうなるんだ。これ?」少年たちは、都市に刺さった牙の周りを飛びながら、言いました。するとそこに、一すじの涼しい風が流れてきて、ふたりが振り向くと、いつの間にか後ろに一人の役人が立っていました。
「やあ、やっているかい」役人が言うと、少年たちは挨拶をし、それぞれの帳面を出して、役人に見せました。役人は帳面を受け取り、それらをぺらぺらとめくりながらしばし読んでから、ふむ、よし、と言いました。
「さて、もうそろそろだ」と役人は言いつつ、町に刺さった巨大な青い牙を見あげました。そして役人は少年たちに、少し牙から高い所に離れているように言い、役人自らもまた、空高く飛び上がりました。彼らが牙よりも高い位置から牙と町を見下ろしていると、いつしか、牙を中心にして、正方形の形をした大きな陣が光の線で町に描かれているのが見えました。役人は、その陣を帳面に描き写しながら、ほう、と感嘆の声をあげました。
数秒の時間が経ちました。すると、正方形の陣の真ん中に突き刺さった巨大な白金水晶の牙が、上の方から、まるで水のように崩れ出し、音も立てずに滝のように水晶が流れ始めたのです。
水晶の水は、正方形の陣を底面とした目に見えない四角すいの器の中にだんだんとたまってゆき、しばらくすると、牙は消えて、その代わりにそれは大きくてりっぱな、白金水晶のピラミッドができていました。ピラミッドは透き通って、町の上にふわりと浮かんでおり、方向を微調整しているのか、しばしの間、何か不思議な音をたてながら微妙に全身を揺らしておりました。
少年たちは、無言のまま、目を見開いてそれを見ていましたが、やがてやっと我に返ったように、茶色の髪の少年が言いました。「わお。新しいピラミッドができた」
すると黒髪の少年が少々ふぬけたような声で答えました。「うん。神様が人間のために造って下さった」「しかし、なんでよりによって、あの神様がおいでになったんだろう。すばらしい神様だけど、一体何が起こるか分からないぞ。人間はみんな、神様の中ではあの神様が一番こわいんだ」「おい、失礼なことはいうなよ。…でも言われてみれば、そうだ。なぜあの神様が、いらっしゃったのだろう?何か深い理由でもあるんだろうか」
少年たちが小鳥のような早口で会話していると、役人が近付いてきました。役人は少年たちに、しばらくここにいて、ピラミッドと町の様子を細かく調査するようにと言いました。
「ぼくたちがずっとここを管理するんですか?」ひとりの少年が問うと、役人は言いました。「いや、管理の精霊が決まるまでだ。まあ、ひと月くらいの間だ。君たちはここで、その間、この町のあちこちを調べて、気付いたことがあれば帳面に書いておいてくれ。神への感謝の儀礼も毎日忘れないように」
「わかりました」黒髪の少年が礼儀正しく言いました。茶色の髪の少年は、まだ驚きから抜け出せず、目をぱちくりさせて、少し悪寒でもするのか、体を抱いて震えていました。
「じゃあ、後は頼む。これらの帳面は持って帰るから。ひと月後にはまた来るよ」そう言って役人がそこから姿を消そうとしたとき、茶色の髪の少年が、あっと言って、急いで役人に尋ねました。「あの、このピラミッドは、ちゃんと機能するんですか?」すると役人はすぐに答えました。「ああ、もう機能している。これでだいぶ、人類が生きて行くことが、楽になるはずだ。深い毒が痛く清められる。まことに神はすばらしい。本当に大切なことを、何でもないことのようにやって下さる。それに人類が気付いてくれたら、どんなにかいいだろう」役人はピラミッドを見ながら、感嘆の息をつきました。少年たちはしかし、胸からひとつの疑問を拭い去ることができず、言いました。「それは、わかりますけど…なぜ、あの神様が、造って下さったんですか…」「何か、特別なことでもあるんじゃないですか?だってあの神様が何かをなさるときは、いつも人間は大変なことになって…」とひとりの少年が言いかけた時、役人がぽかりぽかりと二人の少年の頭を次々に叩きました。
「失礼なことをいうんじゃない。神のおやりなさったことに、軽々しく口をはさむものではない。それくらいわからない君たちではないだろう」
そう言われるとふたりは、はっとして、うつむき、身をひきしめました。自分の未熟さが恥ずかしくなって、申し訳ありませんと言って頭を下げました。役人は少年たちに、穏やかにも厳しく言いました。「神のなさることはいつも、我々の予想をはるかに超える。というより、神は風のように水のように自在で、人間が思いもしなかった陰の小さな穴から、とんでもない大水のようにあふれ出てくるものだ。人間はいつもこうして神に翻弄される。このピラミッドも、人類に恵みを与えるだろうが、君たちの感じる通り、確かにあの神のお考えが十分にしみ込んでいるだろう。それが何かは、我々のわかることではない。それが起きるまでは。我々にできることははただ、神の導きのもと、我々の仕事をすることだけだ」少年たちはうつむいて、役人の話をじっと聞いていました。
役人が去ったあと、少年たちは神への儀礼を静かに行い、自分たちの過ちを深くお詫びしました。そして再び小鳥に姿を変え、人間には見えない巨大なピラミッドのそばの、小さな家の屋根に止まって、少し休みました。
「…神さまはただ、愛でこれを造ってくれたんだね」「うん。推測することはあまりいいことじゃないけれど、きっとこのピラミッドはいつか、あの神さまの、なんらかの御計画に使われるんだ。きっとそのとき、人間はとても辛い目に会う」「たぶんそうだろう。でも、人間のためには、その方がいいんだよ」「ああ、わかってる。それが、神の愛なんだ」「ああいう神様が、必要なんだよ。人間にも、ぼくたちにも」「うん、ぼくもそう思う。悪いところは、ちゃんと叱ってくれる、正しい人が、必要なんだ…」
「ところで君、首はどう、平気かい?」一羽の小鳥が言うと、もう一羽の小鳥が言いました。「うん、あれ?なんだろう。かゆくないや」「…きっと、怒られて過ちを改めたから、少し魂が進歩したんじゃないかい」「ああ、そうだねえ、そういえば、なんか自分が少し強くなったような気がするよ」片方の小鳥は、胸の羽をふくらませ、ぴい、と鳴きました。
話をしているうちに、夜になりました。暮れて行く空の下で、白金水晶のピラミッドは、幻のように青い光を発し、町の上に夢幻のように浮かびながら、かすかに震えて無数の鈴を揺らすような音をたてています。こうしてピラミッドがあるということは、人間たちには、たいそうよいことなのでした。大昔には、人間たちが造っていたのですが、もう人間たちが大事なことをすっかり忘れてしまったので、時々こうして、神様が、地上に見えないピラミッドを造って下さるのです。小鳥は身を寄せ合いつつ、ぴりぴりと小鳥の声で歌い、今日会った神様に、深く礼をし、感謝し、間違いを改めて学び進むことをもう一度誓いました。
本当に何でも、一生懸命に勉強して、様々な試練に耐えて学び、すべてのことを、正しくやっていきますと、少年たちは目を閉じ、深く頭を下げて、神に誓ったのでした。