いつの頃からだろう? 自分に変な癖があると気付いたのは。
時々、何かの風が頭をよぎった気がして、自分が、まるで違う星から来た人間のように、まるで珍しくてたまらぬというような顔をして、風景を見ている。そしていつしか、口の奥から、ほう?と声がもれている。
ほう?
そう、これだ。ほう、ほおぅ? ほっ、ほぅ、ふうぅ…。まるで梟のように、よくわたしは、何にでも驚いて鳴く。木の梢の緑が、風に揺れて空をかき回しているのを見ても、寝床で、夜明け前に鳴く鳥の声を聞いても、何かしら、本当に、今初めて見聞きした珍しいものごとのような気がして、いつの間にか自分の喉が、ほう?と鳴いているのだ。
あぁ…、という、感嘆に似たため息を吐くこともある。それは別になんでもないことなのだ。たとえば、ただ、わたしの机の上に、一冊の灰色の古語辞典がある。そういうことに、なぜか、わたしは驚いている。灰色の辞典が、まるで不思議な石でできた、なめらかな工芸品の小箱のように見える。確かに、それを開くと、それはきらびやかな言の玉が、たくさんまろびでてはくるのだが。
「おはよう。もう起きてたの?」母が、背後から呼んだ。わたしは後ろを向いて答える。「ああ、食事の準備はしておいたよ。いつものハム卵だけど」すると母は寝巻のまま、ありがと、と言って、台所に向かってゆく。朝食のスープはまだ温かいはずだ。母がトースターでパンを焼く気配がする。わたしは朝食をとったっけか。覚えていない。腹はそれほどすいてないところをみると、何かを食べたのかも知れない。
食事を済ませると、母は手早く着替えて化粧をし、仕事に出かける。この家には、母と、わたししか住んでいない。母は、わたしが子どもの頃に父とは離婚している。わたしは十歳くらいだったろうか。そのときから、父の顔を見たことはない。母はずっと、働きながら、わたしを育ててきた。わたしは、もうだいぶ大人にはなっているのだが、働いてはいない。働いたことはあるのだが、どうしても職場になじむことができず、職を何度か転々と変えたあげく、結局は、長い月日を、無職のものとして、家事などしながら、母に養ってもらっている。母は、半分、わたしが働きに出るのをあきらめているようだ。わたしが、心を患って、病院に通うようになってから。
母が仕事に出かけると、わたしは洗濯や掃除などの家事を手早く片づけた後、しばらく机に向かい、詩文を書いたり、ときには趣味の水彩画を描いたりする。描くのは主に風景だ。それも、夢の中に時々見る、不思議な風景。黒い空に月があり、足の下に白い大地がある。大地は虹のように光っている。道を歩いてゆくと、時折、白緑の草むらがあって、その間に、青白い蛍がとびかっている。その向こうには、川がある。川の水は透き通っていて、その底には水晶の砂利が、中に静かな火をともしながら、転がっている。いや、それは砂利じゃなくて、何かの透き通った魚かもしれない。わたしはしばし、川底のちらちらする光に見とれているのだが、突然、耳の奥に誰かが呼ぶ声が聞こえて、目を覚ましたかのように顔をあげるのだ。すると何かが見える。…だが、見えることはない。それが見える前に、夢は終わってしまう。
まだ見てはいけない、という誰かの声が聞こえる気がするときがある。幻聴かも知れない。わたしは少し気がおかしいから。でも、確かに、まだ見てはいけないような思いはする。もしや、それを見てしまったら、わたしは死んでしまうかもしれない。あの、夢の向こうにあるところへ、帰ってしまうかもしれない。
原稿用紙に書いた詩を推敲しながら、わたしはまた、ほう?と自分が声をあげているのに気付く。なぜだろう? ほう? 自分でもう一度つぶやいてみる。何か意味があるのかもしれない。それとも、生きるのに疲れ過ぎているから、ため息ばかりついているのだろうか。ほう?
ふと、手元にある原稿用紙が、白く輝いて、わたしの目に映る。おや、紙とは、こんなに白く光るものだったか。こんなにも繊細な直線をしているものだったか。この印刷されたインクの色ときたらどうだ。まるで枯れかけたオレンジから盗みとってきたかのようだ。こんなものを見るのは初めてのような気がする。…こういうのを、なんて言ったか。そうだ、ジャメ・ヴュ。
ほう。またわたしは鳴いた。まるで、わたしの中に、見知らぬ異人がいるようだ。その人間は、わたしという衣をまとって、まるで別の世界からこの世界を見ていて、目に見えるすべてのものが、珍しくてたまらぬと言っているようだ。それはだれだろう? わたしか。わたし以外のものか。よくわからない。とにかく、わたしが少し気がおかしいのは、確かなようだ。しかし、わたしは、そういうことを他人にも母にも言わないようにすることが、賢いということはわきまえているし、常識というものも、はっきりととらえられていて、自分がそれからできるだけはみ出さないようにすることもできているので、すっかり狂っているわけではないと思う。病院から出される薬も飲んでいるし、担当医の質問にも、普通に答えることができている。
まあ、書いている詩文や、絵などは少々変わっているかもしれないが、それが詩人や芸術家というものだという世間の認識に甘えて、わたしはこの世界で生きることを許してもらっている。かろうじて、母の稼ぎと、祖父母の残した遺産に養われながら。
母が死んでしまったら、どうなるだろう? 時に考えることがあるが、まあその時には多分、わたしのほうが先に死んでいるような気がする。案ずることはない。何か、保証があるわけではないのだが、わたしは自分の前途に、そんなに暗い思いは抱いてはいない。抱くことができないのかもしれない。時に、わたしは奇妙に、ある種の感情が自分に欠落していることに気づくのだ。それは、ひどく、他人と変わっているらしい。わたしは、よく母にそれを指摘されて、気付くのだが。
「あなたときたら、どうしてそんなに、疑うということができないの?」
そういうときの、母のわたしを見る目は、愛情に染まってはいるが、何やら悲しそうだ。そう。わたしは、人を疑うという能力に、とても欠けているらしい。それで、仕事をしていたときは、いつも他人に騙されて、いかにも簡単な罠にはまって、とても悲しい目にあうことがよくあった。職を失っても、何度かそんなことが続いて、母もとうとう、わかったらしい。わたしは母に言われたことがある。
「あなたは、赤ちゃんね。ひとりではとても生きていけない。詩や絵で生きていければいいけれど、それもほとんど無理。詩集を出しても、売れやしなかったし。でも、お母さんが生きてる間に、何とかしてあげなくては」
わたしは、母だけによって、この世に生かされている。母がいなくては、生きていけない。なんでこんなわたしが、この世に生れてきたのだろう? それは、たぶん、何かをこの世でするためなのだが。そういう使命感と言うか、何か、忘れてしまった約束のようなものが、わたしのなかで常にうめき動いているような気がするのだが、それが何なのか、今のわたしには、まるでわからない。
ほおう。
おや、また言ってしまった。だれだろう? わたしの中で梟の鳴き真似をしているのは。わたしはふと、部屋の隅の書棚に目をやる。すると、少々乱雑な書棚に並ぶ本が、まるでそれなりに秩序だって背を並べた錦鯉の群れのように見える。なんと珍しいのだ。魚が書棚に詰まっている。それも白いのや、緑のや、赤いのや、太いのや、細いのやといろいろある。みな四角い。だがなぜか魚のように生きているように見える。ああ、そうとも、生きているのだ。あれらはみな、生きているのだ。ようやく気付いた。なぜ今まで、気付かなかった。あれらはみな、生き物だ。
わたしは書棚に近寄り、一匹の魚を、そこから出して見る。魚の腹は簡単に開く、ぱらぱらとめくると、活字が小さな青いテントウムシのように並んで光りながら、何かを自分に語っているのが聞こえる。それが何とも美しいのだ。菫青石の歌、と言う感じだ。そういうのが、なんとなくぴったりだ。インクの色のせいかもしれない。文字は生きていて、わたしに何かを語りかけている。わたしはそれに刺激されて、何かを書かずにいられなくなり、また原稿用紙に向かう。原稿用紙は、まるで真珠を打ちのめして箔にしたように白く光っている。わたしは小枝のようなペンをとり、虹のような言葉を書く。
しばらく夢中で詩を書いていたようだ。気がつくと、傍らに原稿用紙の山ができている。改めて読んでみると、おや、おもしろい。なんてことを書いてあると思う? こうだ。
いわいの おかを こえて
あほうが ゆくよ
なぞの はためく
おりの なかに
あいが あるの
どういう意味だろう? 自分でもよくわからない。いつの間にか、書いてしまった。たぶん、わたしの気がおかしいせいだろう。
さて、そろそろ昼食の時間だ。腹もすいてきた。冷蔵庫にある残りものでも温めて食べよう。その後は、少し外に出て散歩でもしてみるか。夕食の買い物もせねばならない。家事はほとんどわたしの仕事だから。
昼食をすまし、外に出ると、青空が広がっている。透き通った白い雲が青いカンヴァスに見事な絵を描いている。神の御技には、どんな画家にもかなわない。この絵ときたら、この上なく美しい上に、生きているのだ。どんどん動いて、止まっていてはくれない。瞬間瞬間、全てが美しいので、どれも見落としては、とても大切なものを見失う気がして、いつまでも見てしまう。もちろん、そればかりしていては、本当に気が違ってしまうので、いつも途中でやめて、ちゃんと地上の常識の中に帰っては来るのだが。
わたしは、しばし町の細道を歩き、道端の花や、友人の小さな林檎の木に挨拶などしたりした後、いつもゆく、小さなスーパーに向かってゆく。今日は母のために、魚を買って来よう。母の好きな魚をジンジャーで煮つけよう。そう思って、わたしが、細い道の角を曲がったところだった。わたしは突然、何かやわらかいものにぶつかって、ほ、と、また梟のような声をあげてしまった。見ると、目の前に、白いブラウスを着て、黒いスカートをはいた女の子が立っている。どうみても小学生のようだが、それはおかしい。今日は学校は休みではないはずだが。
女の子は、わたしの顔を見て、何か宇宙人でも見ているかのような顔をして、驚いていた。別にわたしは驚かない。だいたい、人は初めてわたしを見ると、こんな顔をする。わたしの風体はどうやらよっぽど変って見えるらしい。わたしは、女の子は、すぐにわたしから目をそらして逃げてしまうと思ったが、予想に反して、彼女は丸い小さな目で興味深そうにわたしの顔を見つめ、わたしに声をかけてきた。
「おじさん? おにいさん?」
どうやら、わたしの年齢が知りたいらしい。わたしは答える。「そうだな。君からみれば、おじさんだろうな」
「じゃあ、おじさん。わたし、困ってるの。学校をさぼって、知らない道ばっかり歩いてきたら、どこまで来たのか、わからなくなったの」「なんだい?学校さぼったの?どうして」「それは言いたくない。だって馬鹿にされるから」「わたしは馬鹿にしたりはしないよ。人にはいろいろ事情があるって知ってるから」「でも言わない。わたし、馬鹿にされたくないから」「だから、馬鹿にしたりしないって言ってるのに」「うそ。だって、こんなこと、言ったら、みんなおかしいって言うにきまってる」「おかしいってことは、わたしもよく言われるよ。変わったやつだって。でも、君が言うのが嫌なのなら、言う必要もない。で、君は道に迷って、困ってるんだね」「そうなの。薬屋さんがあったところまでは、知ってる道だったの。でもそこからめちゃくちゃに歩いてきて、わかんなくなったの。おじさん、ザイテって町、知ってる?」「ああ、知ってるよ。隣町だ。よかったら、連れていってあげようか?」「いいの?」「ああ、いいよ」
そういう感じで、わたしは女の子と並んで歩きだした。後で考えると、ちょっとうかつだったかとは思う。変質者か、誘拐犯だとかに間違われる可能性もあった。でも、わたしときたらいつも、こうなのだ。疑うということができない。目の前の真実を、ありのまま飲み込んでしまうのだ。女の子が道に迷っている。連れて行ってあげよう。それだけしか考えられない。こういうものが自分だと言うことは、もうとっくに知っている。それが少し、悲しみを帯びているのは、多分、この性質がいつも母を悲しませるからだ。
女の子と一緒に歩いている途中で、彼女はわたしに少し気を許したらしく、学校をさぼった理由を教えてくれた。それによると、学校の自分の席に、幽霊がとりついているという。
「へえ、幽霊が?」わたしが問うと、女の子は少し身を震わせて言う。「うん、そうなの。昔、あの席に座っていた女の子がね、学校の窓から落ちて死んだの。それでね、今もその女の子は、その席に座ってるの」「で、君はその幽霊が座っている席に、座らされているんだね」「そう、北から三番目で、後ろから二番目の席。あそこに座っていると、呪われるの。だから、学校さぼったの」「ふうん。そうか。でもそれは困ったね。学校に行けないじゃないか」「うん。どうしよう。先生に言っても、ともだちに言っても、馬鹿だって言われるだけだし」
わたしはまた、ほふう、と声をあげる。とにかく、この女の子のために、良い知恵を考えてあげよう。何か、幽霊をやっつけてあげられるような。するとわたしは、今日書いた自分の詩のことを思い出し、彼女に言った。
「そうだ。幽霊ばらいの良いおまじないがある。それを教えてあげるよ」「え?おまじない?」「うん。わたしはそんなのにはくわしいんだ。おまじないみたいな言葉を書くのが、仕事だからさ。気取って言うと、詩人と言うんだけどね」「へえ、おじさんて、詩人なんだ。で、そのおまじないって、どういうの?」「うん、こういうのだ」
いわいの おかを こえて
あほうが ゆくよ
なぞの はためく
おりの なかに
あいが あるの
「それが、おまじない?」「うん、そうだ」「変なの。どういう意味?」「つまりは、馬鹿なことはやめなさいって意味さ」「それで、幽霊はいっちゃうの?」「ああ、いっちゃうとも」「もう一回言って、覚えるから」
わたしは女の子に言われて、何度か詩を繰り返し暗唱した。女の子は、それを覚えたようだった。短いし、簡単だから、覚えやすいだろう。
やがて、行く手に、彼女の知っている薬屋が見えてきた。女の子は、ほっと安心したような息をついて、言った。「ありがと、おじさん、ここからなら、家に帰れる」「学校には行かないの?」「うん、今日は休む。ママに謝って。明日はいくけど」「おまじないで、少しは安心したかい」「うん、ありがとう。わたし、るみっていうの、名前。おじさん、なんていうの?」
名前を聞かれて、わたしは少々慌てた。変わった名前だから、いつも不思議な顔をされてしまうのだ。でも聞かれたからには、素直に答えるしかない。
「ああ、おじさんは、じゅうっていうんだ」「じゅう?なあにそれ」「にんべんに漢数字の十っていう字を並べてね、『什』っていうんだよ。変な名前だろう。おばあちゃんがわたしにつけたんだ。由来を、教えてあげようか」「教えて、聞きたい」「君はわかるかな。おばあちゃんによると、『什』っていう字はさ、十字架に、人間がはりつけられてる形なんだそうだ。要するに、十字架にはりつけられたイエス様って感じで、おばあちゃんがわたしにつけた名前なんだ。わたしの家は昔からキリスト教徒でね。おばあちゃんはイエス様が大好きで、何かイエス様に由来する名前をわたしにつけたかったらしい。それでね、何かしら、夢で神さまのご啓示みたいなのがあったそうでね、なんだかそういう名前になってしまったんだ。什、じゅう。おばあちゃんはよく、わたしを『什さん』と呼んでいた。そう呼ぶと、イエス様の英語読みの、ジーザスに少し音感が似てるからだそうだ」
「ふうん、よくわかんない。でもおもしろい。おじさんは、什さんていうんだ」
「そう、そんな名前の人は、多分、世界中でわたしだけだろうね」
薬屋のところまできて、わたしは女の子と別れた。名前の由来を聞かれてからかわれなかったのは、久しぶりだな。
ほう?
おや、また言ってしまった。わたしは道を歩きながら、足の下のアスファルトを見る。灰色に乾いた道の色が、一瞬、薄青い石の板のように見える。おや?まるでここは異世界のようだ。なんでこんなに道が青いんだろう。なぜこんなに、硬いんだろう?
わたしは、夢の中にいるのかもしれない。時々、そう思う。ここは、わたしの住む世界ではないのだ、本当は。だが、ここに生きている。確かに、生きている。心臓は動いているし、時間がくれば腹が減る。
スーパーにより、鮮魚売り場に向かう。するとわたしはまた、ふう、と声をあげている。驚く。ここは一体、こんなに暗いところだったろうか?照明はいつもどおりに明るいはずだが。売り場の魚に、目を落とす。また驚く、魚が、みな、生きているからだ。生きている。みな、生きている。周りを見る。野菜や、果物がある。みな、生きている。ああ、あれを、食べるのか?食べねばならないのか?みんな、生きているのに。生きているのに。どうして食べねばならないのか?食べたくない。食べたくない。生きているのに、食べたくない。
そのとき、だれかがわたしの頭を、こんと、叩いたような気がした。わたしははっと我を取り戻す。何を考えているのだ。食べねば、生きていけないではないか。
魚とジンジャーと少しの野菜と調味料を買って、わたしはスーパーを出る。神が空に、白い雲で絵を描いている。一瞬でも見るのを逃したら、一生後悔しそうな風景が一秒一秒、続いてゆく。永遠に、続いていく。いつまでも目を吸い込まれてしまう。ああ、生きている間じゅう、空ばかり見てしまいそうだ。
什さん。
誰かに呼ばれた気がして、わたしはまたはっと我を取り戻した。周りを見まわしたが、人影はない。空耳だったのか。
わたしは買い物袋を持って、家路につく。傾きかけた日がわたしの背中を照らしているのだが、それが誰かがわたしを見ている視線だと感じるのは、多分気のせいだ。
ほう。
おや。また言った。いや待てよ。これはわたしの声ではない。わたしが言ったのではない。どこから聞こえてきたのだろう? わたしは振り向く。
一瞬、目に見えないものの影が、空気の中で揺れ動いたのを、見たような気がした。