![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/42/e04e3d0a0d6b89e1d2ee77516d6869c1.jpg)
賢治がテーマの作品になりましたが、最初は手をつないで見つめあう天使の図になるよていでなかったかと記憶しとります。
落書きは、いつもテキトーに途中でテーマを変えておりますが。
前にシグナルとシグナレスのときにもふれたかったのだけど、賢治の作品はあまりにテーマが大きすぎてそして繊細すぎて時々悲しくなります。
彼は軽便鉄道の小さなシグナルの明かりにすら、魚の口の形のネビュラを思いおこすんだ。それは彼の理想が絶望的に遠い所にあるという意味にとれる。だからこそこうして今も読まれているんでしょうが。
深く考えすぎると、心が重くなるのでここらへんでやめて、話は変わりますが、入院中、病院の図書室で見つけたある一冊の本にも、似たような悲哀を感じました。全部は読んでないけど(読めるはずないけれど)、岩波文庫から出てる「ゴッホの手紙」(中)です。
今でも出てるのかな。ゴッホがどんなことを書いているのか興味をもってひらきましたが、ゴッホの魂のあまりにもまっすぐな視線、無邪気な理想への信頼に、耐えられず、途中で本を閉じました。
それと比すと、賢治は、ゴッホの理想が、魚の口の形の星雲よりも遠いことを知っている。それで、全体をわびさび仏教的な無常観に似た、あるいは固まって食べられなくなった青いアイスクリームのような大気の中にとじこめて、目を閉じ、ただ、生きている。
メルヘンという岸辺の小さな泡のなかに。
今日はちょっと暗かったかな。