世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

星屑ポケット・1

2013-11-15 03:17:33 | 月夜の考古学・本館

☆ サーカス

 空は晴れて明るいのに、太陽の姿は見えなかった。
 どこかくすんで見える青空は、まるで色あせた絵葉書の中のようでも、古書の中の古びた印刷の挿絵のようでもあった。ぼくは町を散歩しながら、通りのはるか上空を、竜が飛んでゆくのを見た。
 「おや、今時珍しいなあ」と思って、よく見ると、それは竜ではなくて、サーカスの行列なのであった。天使の装いをしたきらびやかな少女たちや、ぎらぎらしたナイフをあやつるピエロの若者たちが、無言の仮面をまといながら、色とりどりのリボンと花吹雪を撒き散らして、竜のようにゆっくりと空をくねってゆく。
「いったい、どうやって空を行列しているのだろう?」
 ぼくが独り言を言うと、ちょうど後ろを通りかかっていた男が答えた。
「空にガラスがはってあって、それに命綱をかけながら、行進しているんですよ」
「ああ、なるほど」
 手を空にのばすと、ざらざらしたガラスの感触が、ひたと手のひらにふれた。


☆ 二十七夜

 珍しく夜明け前に目が覚めたぼくは、空け暗れの星を見るために、屋根の上に上った。すると、東の空で燃えるように光る明星が、ぼくに言うのだった。
「やあ、ちょうどいい、手伝ってください」
「何を手伝うんです?」
「月を釣り上げるのです」
 見ると明星は小さな細い釣竿を持って、下方の地平に向かい、かすかな光の糸を垂らしている。
「この時期、月が空に出るのは、えらく大変でしてね」
 言いながら、明星は竿の一端をぼくに渡した。ぼくは首をかしげつつ、それをちょいと上に引き上げてみた。すると、何やら鞭がしなるような音が空をひゅるひゅると飛んで、やがて、細い細い二十七夜の月が、息もたえだえのかっこうで、空に上ってきた。
「やあ、そんなにやつれていては、上ることもままならんでしょう」
 ぼくがなぐさめると、二十七夜の月は、ふらふらと空をはいのぼりながら、何かを答えようとしたけれども、ぼくがほんの少し力を抜いてしまったすきに、何も言葉にならぬままにまたつるりと沈んでしまった。

☆ 休館日

「気をつけなさい」
 と館長は言った。
「こういう日は、書鬼(しょき)が出やすいのです」
 古い図書館の窓には、一面の灰色の空が描かれていた。夜に似た昼が、古い書架のあちこちの隅に黒々と闇のたまりを作っている。
「ここは古い本ばかりが集まっているので、時々、だれにも読まれるあてのない恋文などが、本の中に紛れ込むのです。年月を経ると、そんなものから書鬼がでましてな」
「書鬼とはなんです?」
 ぼくがたずねると、館長は長々と一息たばこを吸った。暗闇の隅に火星のような赤い点が点った。
「意味を失った言葉が、意味のない悲しみを知ってしまうと、書鬼になるのです」
「意味のない悲しみ……」
 ぼくが繰り返すと、ふと背後の窓に、雷光が走った。瞬間、無人の図書館は昼のような光に満たされ、館長の影は活字が散るように消失した。

☆ 最大離角

 夜空には一面砂漠のように薄い雲がはかれていた。白いレースを透かして、中天に月がぼんやりと輝き、ために空は一面、ミルクの海のように見えるのだった。
 その果てしないミルクの中を今、半透明の白い龍が一頭、ゆったりと横切っていく。
 ぼくが、何をしにいくの? と尋ねると、竜はゆらりとこちらを振り向き、白いひげをわさわさと震わせながら言うのだった。
「水星を食べにいくのだ」
 水星は、いつも太陽の裾にひっついて離れないので、陽の神の目を盗んで食べることが、なかなかできないのだという。
「幸いにも今夜は最大離角なのだ」
 ぼくがその言葉にうなずいたちょうどその時、ふと雲が分かれて、軽率な星がちらりと顔を出した。それを見るや竜は波のように全身をしならせて、ぱくりと星を飲み込んだ。
 悲鳴もあげられなかった星は、竜の喉のあたりであらがうようにぎりぎり光ったが、やがて力尽きて暗くなり、長い竜の体の中を石くれのように沈んでいった。そして、とうとう溶けてなくなったかと思われた頃、星は竜のしっぽの辺りから、元と違わぬ姿でぷいと虚空にひり出された。
 星は、しばし何事もなかったようなふりをしていたが、一部始終を見ていたぼくの視線に気がつくと、まるで乳房をさらした少女のように震えて縮みはじめ、泣きながら雲のむこうに姿を消した。

☆ 神さまの家

 学校のそばに石切り場があった。校庭には、バレーボールのような灰色の丸い岩を幾つも積んだ山があって、そのそばで灰色の顔をした教師たちが、黙々と岩を磨いていた。
 何をしているんですかと尋ねると、こどもの頭を作っているのです、という。
「こどもたちには頭がないので、こうして作ってやらねばならないのです」
 ぼくは何やらとても重苦しい気持ちになって、足早にそこを離れた。校門を出ると、体のどこかがきりきり痛んで、心臓が押し潰されそうになって、立っていられないほど目眩がした。
 学校の塀に寄り掛かって休んでいると、どうしたんですか? と声がする。見ると目の前にひとりのこどもが立っている。糊のきいた白いシャツを着て、折り目のきれいなズボンをはいているが、教師たちの言ったとおり彼の肩から上には、透明な風とただ声ばかりがあって、確かに頭はないのであった。
 少し目眩がするんだと答えると、こどもはすっとぼくのひじに手をかけて言った。
「つれていってあげる」
「つれて? どこに?」
「神さまの家だよ。きっと直してくれるから」
 ぼくは彼に手をひかれるままについていった。学校を過ぎると、緑の高い山があって、頂上に向かってまっすぐ白い石の階段が通っていた。ほら、あそこだよ、とこどもが指し示す方を見上げると、確かにはるかな山のてっぺんに、光る家が一軒たっている。
「あそこに神さまが住んでいるんだよ」
 重い頭をひきずりながら、ぼくは石段を登っていった。だが登っても登っても、石段はちっとも短くならない。一体いつまで登るんだろう。引き返して、他に医者でも探した方がよくないかと、思うのだが、こどもがぼくの体を支えながら、もう少しだよと、何度もささやくものだから、仕方なくぼくは、石に根をはる思い足を、何度も引き千切り、引き千切りしながら、一足一足やっとのことで登るのだった。
 やがて、ふとぼくは、かたわらで、ぼんやりした光が灯ったのに気づいた。見ると、いつの間にか、さっきまで何もなかったこどもの肩の上に、白いまりのような、かあいい頭が、今はちゃんとのっかっているのだった。そして登ってゆくにつれ、まるでたそがれの月のように、頭はだんだんと光をあらわして、かわいらしい目鼻立ちさえ、少しずつ見えてくるのだった。
「やあ、かわいいな。こんなにちゃんとした頭があったのになあ」
 ぼくはぜえぜえあえぎながら、やっと声に出して、言った。こどもは賢そうな瞳をくるりとぼくに向けて、笑った。ぼくはしみじみと言った。
「あの灰色の先生たちに、教えてあげたいなあ」
 こどもはそれには答えず、もうすぐ神さまに会えるよと言った。するとなぜだか、ぼくは無性にうれしくなって、浮き浮きしてきて、涙さえ、こみあげてくるのだった。そして、こうして体を引きずりながら、ぜえぜえ階段を上っていくことも、不思議におもしろい仕事だと、思えるのだった。
 ようやく石段は終わって、平らな広い所に、ぼくはどさりと体をおいた。体を横たえながら、ごうごう荒い息をしていると、ひやりと澄んだ空気が、一息ごとに喉を癒した。風が吹いて、汗にまみれた顔をあげると、目の前に、こじんまりとした庭があって、その向こうに、小さな引き戸がたっているのが、うっすらと見える。
「ほら、ここが神さまの家だよ」
「ああ……」
 神さまの家は、天をつくような伽藍でも、御殿でもなくて、てんで普通の家だった。なんだか周りは光ばかりで、ひどくまぶしいのだが、玄関は本当に簡素な作りで、こんにちはぁって声をかけると、どこかのおかみさんの声が、はぁいとでも答えそうなくらい。
「神の門は狭いっていうけど、本当に狭いんだなあ」
 ぼくが呆れていうと、こどもは、今はもうはっきりと見える、やわらかな黒髪をなびかせて、鈴が風にゆれるような笑い声を、くちびるからころころ転がしながら、からりと、玄関を開けた。
 鍵はかかって、いなかった。





 (1996年11月、ちこり8号所収)





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