おとなりのおうちの、庭先に植えられている花です。変わった花で、ほかでは見たことがないので、いろいろ植物図鑑のサイトをめぐってみて、調べてみたのですが、わかりません。葉っぱがミントに少し似てるので、シソ科かな?と思うのですが、ご存じの方はいませんか?
これは花に見えますが、どうやらつぼみのようです。何というに、今は、ピンク色の小さな花が、この薄紅のさやの中からちらちら咲き始めているからです。最初はこれが花だと思っていたのですけど。
露が二つのって、まるで子犬の顔のように見えて、かわいいでしょう。
お花の話を、人間のことばに訳すのは、今日はお休みです。時々ね、わかりやすく人間の言葉に直すと、だいぶ長く説明せねばならないと感じることがあるからです。人間の言葉は、花にとったら、だいぶ、苦しいと感じるものです。つまりは、花にとっては少し単純すぎるのです。
また、人間は、言葉を嘘にしてしまうことを平気でやるので、とても難しいのです。本来は、言葉は、嘘になってはいけないものなのですが、人間は長い長い間、嘘をつき続けているので、人間の言葉は、花にとっては、少しやっかいなものでもあります。
花は、自分の形そのもの、存在そのもので歌い、語りますから。それそのものが真実ですから。うそがとてもいたい。それでも、愛でなんとかしてくれる。花は本当に、親切なのです。
花に心親しみ、その真実に触れ続けていると、人間の世界の嘘が、容易に見えるようになってきます。たとえば、テレビの中で踊っている女の子が、まるで薄っぺらな幻に見えたりするのです。ほんとうにきれいな女の子が、習った踊りを一生懸命に踊っているのですが、そして、とても美しいことを言っているのですが、その人の顔自体が、そんなのみんな嘘だよと言ってるのです。ほんとはみんな、馬鹿なんだよ、人間なんて。だって、みんなのやってること、知ってるもの。こんなきれいごとを、立派に嘘でやってのけて、みんなをだまして、それが人間なんだってことにしてる。馬鹿ばっかりだから、これでいいんだよって。
ほんとはみんなわかってるのに、こんなもんなんだよってことにして、苦しい現実から逃げている。もういやだよ。嘘ばっかりは。でも、なんでもないことにしないと、痛いんだよ。みんな嘘なんだよ。
苦しいよ。
きらびやかな幻が、すべて嘘だとわかっていても、やらなくてはならない。すべてないことにすることなど、できるはずがないことを、やってきてしまったから。目を閉じて、心を閉じて、ばかみたいな人形になって、やっている。すべてが、それだけになってしまったら、自分は、どこにいけばいいんだ?
わたしは、何なのだ?
本当の世界に帰れば、こんな苦しみなどすべてなくなる。本当に美しいのは、自分が、ほんとの自分であることだから。真っ正直に自由な自分は、そのまま愛だから。愛で生きることが、ほんとは一番楽なんだよ。だって、そのままでいいんだもの。
愛なんだよ。愛なんだよ。君は、愛なんだよ。花々の言っていることは、すべてそれです。それぞれに違うことばで、ずっと人間の魂に語り続けている。生きることが苦しいのは、君が、自分の最も間違ってはいけないところを、すっかり間違えてしまっているからだと。
さて、画像の花は、なんていってるんだと思います? それぞれに、自分で、訳してみてくださいね。簡単よ。花のことばを自分の一番やわらかなところに受け入れて、感じたことを、素直に書けばいいのです。
きっと、それぞれに、違うはずです。おもしろいのは、時々、まったく違った意味になったりすること。
花のことばは、それはそれは、美しくて、不思議なのです。みんな、それぞれに、感じたことは違う。でも、それが美しいリズムで魂に響いてくるなら。それはみんな、正しいのです。