シュールな画像ですが、さてこれはなんでしょう? 実は、先日まで、パネルシアターの原画を制作していたのですが、その過程でできた、消しゴムのかすの塊です。いやあ、いっぱい描いたんだな。描く前には真新しかった消しゴムが、描き終える頃には半分になっていました。
机の上でまとめてみると、すごくいっぱいあるので捨てられなくなってしまって、今もまだあります。なんだか、こういうのって、ありますね。どんなものでも、立派な感じになると、いいものに見えるっていう。たとえば、子供の耳掃除で出てきた、大物の耳アカなんぞ、しばらく捨てられなくて、つい、「こんな大きなのでてきたよ!」なんて、ほかの人に見せてしまったり。
なんでも、いい感じにすると、おもしろいなってことです。消しゴムのかすくんは、しばらくの間、わたしの机の上でオブジェになってくれそうですよ。
これが、楽しむこつってこと。おもしろいなって思うこと。馬鹿に、しないこと。それで何かしてみるってこと。
たとえばね、なんでもいいんですが、長いことやってきた仕事が、まるごと、ばかみたいなことになってしまって、失敗したってことがあるとするでしょう。がんばってやってきたこと、すべてが、水の泡になって消えてしまったってことあるでしょう。やってもやっても、なんにもならなかったってこと、あるでしょう。
普通の人は、そこで落胆して、人生も自分もすべて捨ててしまって、慰めにもならぬことをして、苦しいだけの残りの人生て感じに生きるのですけど。そんなふうに、自分の人生を捨てると、大変なのは、周りの人ですから、やめましょう。自分の人生を、捨てないように、自分で工夫しましょう。それで、楽しんでみましょう。
消しゴムのかすは、もう消しゴムには戻れない。でも、全部、馬鹿なわけじゃない。消しゴムは、鉛筆で描いたものを消して消して、やってきたことがある。その中で、何かいいものがあるはずだ。使えるものがあるはずだ。それは何だろう。自分は、まるっきり馬鹿なもんじゃないだろう。
そうすると、やっている過程で味わってきた、自分の実感というものが、出てくるのです。そこを、なんとかしてみる。何かをやる、何かをできる、自分というものを、なんとかしてみる。
やれることを今、とにかく考えてみる。家にいるだけじゃだめだ。外に出てみよう。風景の中で、心ひかれるものは何かと考えてみよう。自分というやつは、何が好きなのか。花や虫に心ひかれるか。水の中の魚に心ひかれるか。空に流れる雲が好きか。そういう自分とずっと話をしてみる。
水の中の魚が好きで、ずっと見てしまうなら、それはなぜかと自分に尋ねよう。なぜ魚が好きなのか。それは、水の中を泳いでいるのが、気持よさそうだと感じるからだ。それを見るのが好きなのは、きっと自分が安らぎたいと考えているからだ。なぜ安らぎたいのだろう。それは、全然心が安らいだことがなかったからだ。自分の魂は、ずっときついことを意地になってがんばってきて、とんでもなく疲れているんだ。
そういう風に、自分と話をしてみる。そうすると、いろんなことが、変わってくる。そういうふうに何かをしてみたら、それを馬鹿なことと捨てずに、いいことにしてみるのです。
感じたことで、詩を書いてみよう。絵を描いてみよう。写真を撮ってみよう。雑文を書いてみよう。やりたいと感じることがあったら、まずやってみよう。下手だなとか、馬鹿だなとか考える癖がでてきたら、あっちにいけといって、相手にしないようにする。自分が、自分をしているから、いいんだと、自分に言う。そうやって、自分を、少しずつ、なんとかしていくんだ。
愛してみましょう。自分を。そして、まじめに、やってみましょう。
馬鹿なことをした。いっぱいした。でもそんな自分を、まったく馬鹿なんだっていって、捨ててしまっては、いやなことになるばかり。馬鹿だけど、おれは、こんなおれを、絶対に捨てないよ。なんとかしてみる、で、やってみたら、だんだんと、いいことになっていくのです。そういうことです。
簡単なんですよ。愛すればいいのです。やってみましょう。好きな自分を。その前に、自分と、ゆっくり、話をしてみましょう。
すべてが水の泡になるようで悲しい思いを抱いていたのですが、こちらを読んで、涙がにじみました。
そうですね、すべてが無駄になるわけではありませんね。
じぶんがすばらしいから、なんでもできるんだっていって、またやっていけばいいんですよ。
それでなんでも、よくなっていくんですよ。