世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

2012-07-20 07:30:15 | 月の世の物語・余編

「よう、おぼっちゃん、おれ貧乏なんだ。ちょっと金貸してくんない?」
髪を刺のように逆立てて、耳にピアスを三つ四つもつけた少年たち三人が、学校の近くの裏道で、ひとりの眼鏡をかけた少年を取り囲んで、にやにやと笑っていました。そのうちのひとりは、薄い灰色の目の周りを黒く塗って化粧までしていました。その顔が笑うと、それはまるで目を吊り上げた竜の怪物のようにも見えました。
「ぼく、ぼく、お金持っていません…」眼鏡の少年は灰色の冷たい壁にもたれ、カバンをしっかりと抱きしめ、震えながらも、返しました。すると化粧をした少年が、鼻息がかかるほど彼に顔を近寄せ、目をぎらつかせながら言うのです。「うそつけよ。たんまりもってたじゃん。休み時間に財布開けて札数えてたろう。見てたぜ。全部よこせよ!」「ここ、これは、だ、大事なお金で…」眼鏡の少年はカバンを抱きしめた手を強めながら、半泣きの顔で言いました。

彼を取り囲む少年たちは、神話や妖精話に出てくる怪物のように、舌舐めずりをしながら、彼の持っているカバンに手をかけ、それを引っ張って無理やり取り上げようとしました。眼鏡の少年はもちろん抵抗しました。するとカバンの留め金がばちんと弾け、中からたくさんの本やノートや筆記用具などがばらばらと落ちて道の上に散らばりました。三人のうち二人の少年が道に落ちたカバンの中身を探りましたが、財布らしいものは見つからず、化粧の少年は、ちっと舌打ちをすると、眼鏡の少年の胸ぐらをつかんで、ぐいとひっぱり、品のない罵声を眼鏡の少年の顔に浴びせました。そのときふと、どこからか強く胸に響く声が聞こえてきました。

「何してるんだ?そんなとこで」

少年たちは、一斉に、声のする方向に目をやりました。するとそこには、黒い巻き毛に青い目をした、肩の広いがっしりとした体躯の、美しい少年が立っていたのです。
「やべえ、ドラゴンだ」その少年の姿を見た途端、ピアスの一団は大慌てで逃げて行きました。眼鏡の少年は、ほっとしつつも、全身から力が抜けて、へなへなとそこに座り込んでしまいました。すると、黒い巻き毛の少年は彼に近づいてきて、言いました。
「大丈夫かい?」眼鏡の少年は、うつむいたまま、よわよわしい声で、答えました。「え、あ、大丈夫…」そうして、ほっと溜息をついて顔をあげたとき、黒い巻き毛の少年は、道に散らばった彼の本を黙って拾い集めているところでした。「いや、あ、ありがとう!」眼鏡の少年はあわてて腰をあげ、自分も道に散らばった本やボールペンを拾い集めました。

ふと、黒い巻き毛の少年は、何かに気付いたかのように、本の中の一冊を手に持って、しばし何か興味深げに見つめていました。それは小さな雑誌で、表紙には白い二羽の鳩の絵が描いてありました。黒い巻き毛の少年は、その本に何か強く引かれるようなものを感じたのですが、それが何なのかはわかりませんでした。眼鏡の少年は、雑誌の表紙を何やら真剣に見つめている黒い巻き毛の少年の横顔を見ながら、少しおっかなびっくりの声で、言いました。
「あ、そ、それ、詩の専門誌なんだ。ぼ、ぼくは、詩文が好きで…」「へえ、詩の…」「うん、ほんとは定期購読してる別の専門誌があるんだけど、その号だけは特別で、買ってきたんだよ。お、おもしろい特集があって」「ふうん、そうなのか…」言いながら、黒い巻き毛の少年は、集めた本を黙って眼鏡の少年に渡し、言いました。
「もう落ちてるのはないかな」「うん、全部拾ったと思う。あ、あの…」

用が終わったと思ったのか、何も言わずに去っていこうとする黒い巻き毛の少年を、眼鏡の少年があわてて呼びとめました。

「あ、ありがとう。助けてくれて…」すると黒い巻き毛の少年が、振り向いて言いました。
「いや、特に何もしてないし。別に気にしなくていいよ」
「あの、あの、ぼ、ぼくはアーヴィン、アーヴィン・ハットンていうんだ」眼鏡の少年が、勇気をふりしぼって自己紹介すると、黒い巻き毛の少年も言いました。「ああ、ぼくは、ドラゴン・スナイダー」
「知ってるよ。ハイスクールで君を知らない人なんていないから」
「まあ、珍しい名前だからね」
そう言うと、ドラゴンはアーヴィンに背を向けて、黙って行ってしまおうとしました。するとアーヴィンはあわてて彼を追いかけて、言いました。
「君の家、シヴェル地区だろう。ぼくも同じなんだ。わりと家が近くなんだよ。と、途中まで一緒に歩いて、いいかい?」
「うん?まあいいけど…?」
ドラゴンは別に気にもせず、アーヴィンと並んで歩き始めました。

歩きながら、アーヴィンは何やら嬉しそうに頬を紅潮させつつ、茶色の目をきらめかせてドラゴンに話しかけてきました。
「カ、カラテやってるんだってね?」「うん?ああ、親父がやってたから、小さい頃から習わされたんだ」「優勝したこともあるんだって?」「うん、二度くらいかな。ガキんときだけど」
アーヴィンは、ドラゴンの隣を歩きながら、弾む胸を抑えきれずに、言いました。「ど、ドラゴンて、す、すごい名前だよね。なんかぼく、好きなんだ、そういうの。どうしてそういう名前になったの?」するとドラゴンは、少々口の端を歪めて困ったような顔をしながらも、今まで何度も聞かれたことのあるその質問に、落ち着いて静かに答えました。「…ああ、親父がね、生まれたばっかりのぼくを抱いた時、言ったんだってさ。『こいつはドラゴンだ!』って。直感的にそう思ったんだってさ。それでドラゴンて名前になったらしい。おふくろは最後まで反対したそうだけど」「へえ、へえ、そうかあ」

アーヴィンはドラゴンと一緒に歩いているうちに、胸がうれしくてたまらず、歌でも歌いたくなってきました。彼にとってドラゴンはあこがれの人だったからです。その美しい容貌や変わった名前などが、詩作の好きな彼の想像力を痛く刺激して、一度でいいから、話がしたいといつも思っていました。そのチャンスが思いもしないときに振ってわいたように落ちてきて、彼はうれしくてなりませんでした。

「ぼくは、詩作が好きなんだ。読むのも書くのも好きだけど、今、ちょっと変わった詩人に凝っててね。外国の詩人なんだけど、おもしろいんだ。これなんだけど」
そう言うとアーヴィンはカバンの中からさっきの雑誌を出し、ページの端をおって印をつけてあるところを開き、ドラゴンに渡しました。ドラゴンは、あまり詩には興味なかったのですが、他人が気を悪くするようなことがあまりできない少年でしたので、その詩の雑誌を受け取りました。

「ここだよ、Camphor Tree。初めて読んだとき、なぜかすごいショックを受けた。なんだか言葉が弾丸みたいに胸に飛び込んで全身にしみ込んでくるようなんだ。好きで何度も読んでるうちに、暗唱できるようになってしまった。君はどう思う?」アーヴィンが、はしゃぎ気味に言うのに少し戸惑いながらも、ドラゴンはその詩を読んでみました。

Camphor Tree

この壁は
乗り越えられる壁だ
たとえどんなに難しい壁でも
無理にでもそう思うことだ
気持ちで負けてはだめだ

今はまだ力が足りなくても
いつか必ずそれを
乗り越えられる自分になる
そんな自分を信じることだ
そして一歩を踏み出すことだ
少なくとも
今何をやるべきなのか
やれるのか
考え始めるべきだ
背を向けてはならない

私があきらめたら
この世界はもう終わりなのだ
だからあきらめてはならない
そう思うことだ
背骨を千切られるような
心の痛みに出会っても
自分を見捨ててはだめだ

絶望と怠惰の沼に
自分の旗を捨ててはならない
それは乗り越えられる壁だ
乗り越えられる壁なのだ

読んでいるうちに、ドラゴンの目の色が変わって来ました。何か、熱いものに心臓をがっしりとつかまれたような気がして、彼の目は自然に詩人の名前の方に向かいました。

「…ジュウ・シノ…ザキ…?」「いや、それ、本当は、シノザキ・ジュウっていうのが正しいんだ。その詩人の国では、ファミリーネームの方を先に呼ぶのが習慣だから」「へえ、いいね、これ」「そうだろう!君ならわかるって思ってた!でも残念ながら、シノザキの詩は、これ一作しか翻訳されてないんだ。彼の国でもあまり売れてないらしい。かなり熱いファンはいるらしいんだけど、一部の批評家がすっごく汚い批評をするんだってさ。個人的感情むき出しって感じの。ぼくはとにかく、もっと彼の詩が読んでみたくて、書店に頼んで、原書を取り寄せてもらうことにしたんだ。辞書も買って、テキストも買って、自分で翻訳してみようと思って。その本を買うお金をとられそうになったところを、君に助けてもらった!」アーヴィンは財布の入ったズボンのポケットをなでながら、言いました。「…ふうん、そうか」ドラゴンは雑誌をアーヴィンに返しつつ、言いました。

「私があきらめたら この世界はもう終わりなのだ」

ドラゴンは、強く印象に残った一節を、暗唱してみました。何か、不安に似た熱いものが自分の胸で蛇のようにうごめくのを感じました。

ドゥラーーゴン…

彼はふとかすかな声を聞いたような気がして、振り向きました。風が一筋、彼の頬をなでて行きました。

ドゥラーゴンン、神の小さき竜よ…

一瞬、ドラゴンの目の色が変わりました。自分の中で、犬のように何かが吠えたぎっているような気がしました。心臓のあたりが熱くなり、正体のわからない生き物が、自分の頭の中でうごめきあばれているような気がします。しかしそれは、決して溶けない氷の檻の中にしっかりと閉じ込められて、自分の表面には決して出てこないのでした。

この感じ。時々感じる。何かの拍子に聞こえるんだ。あの声。…だれかが、ぼくを呼んでいるような…

「どうしたの、ドラゴン?」アーヴィンが、後ろを振り向いたまま動かないドラゴンに向かって言いました。するとドラゴンははっと我を取り戻し、アーヴィンの方を向いて言いました。「あ、いや、なんでもないよ」

二人で話しながら並んで歩いているうちに、やがて道は二人が別れていくところまでさしかかりました。ドラゴンは別れ際、アーヴィンに言いました。
「その詩、なんか好きになったみたいだ。今度、ノートに写させてくれないかい?」
それを聞いたアーヴィンの顔が、ぱっと喜びに明るくなりました。「いい、いいよ!なんなら、今持ってくといいよ、この雑誌、貸してあげるから!」「いいのかい」「うん、いいとも!」

アーヴィンはカバンを探って例の雑誌を取り出し、ドラゴンに渡しました。ドラゴンは礼を言いつつ、雑誌を受け取りました。
「あ、あの…」アーヴィンが、笑いながらも、どきどきする心臓をおさえながら、目を震わせて、ドラゴンに言いました。「…と、ともだちになってもらっても、いいかな、ドラゴン…」
するとドラゴンはいささかびっくりして、アーヴィンを見ました。アーヴィンは、まるで恋の告白をした少女のように唇を震わせて、ドラゴンの顔をじっと見ています。その顔にドラゴンはやさしく笑い返して、言いました。
「ああ、いいよ、ともだちになろう。えーと、ア…」
「アーヴィン、ぼくはアーヴィン・ハットン」
「そう、アーヴィン。ぼくは、ドラゴン・スナイダー」
アーヴィンは最高の笑顔をして嬉しさを現し、手を出してドラゴンに握手を求めました。ドラゴンはアーヴィンの手を握って、彼の喜びが自分に伝わってくるのが何やら快く、不思議な幸福感を感じながら、微笑みを返しました。

その夜、ドラゴンは、夕食後、自室の机で、例の詩を自分のノートに書き写しました。そしてそれを小さな声で読みながら、窓を開け、夜風に触れました。

「シノザキ・ジュウ」ドラゴンはその名を呼びました。するとまた一筋、何やら熱い風が、頬をなでたような気がして、彼は窓の外を見ました。空を見あげると、満月に近い月が、白く輝いています。一瞬、ドラゴンは目をきらりと鋭くし、窓の向こうをまっすぐに見ました。何かの気配を感じたのです。

ドゥラーゴン…

月光のわずかに混じった闇の奥から、彼はまた自分の名を呼ぶ声を、かすかに聞きました。

ドゥラーーゴンン…、神の小さき竜よ…

「誰だ。ぼくを呼んでいるのか?」ドラゴンは闇の向こうに眼を凝らしながら、小さくも鋭い声で、ささやくように言いました。

おまえは、やらねばならぬ…

そのとき、強い風が硬い板のように自分の体をたたくのを、ドラゴンは感じました。背後で、ベッドに立てかけてあったカバンが倒れる音が聞こえました。
乾いた荒い風が窓から入ってきたかと思うと、彼の部屋の中をひとあばれして、彼の耳にふっと小さな言葉を放り込んだ後、窓からばたばたと出てゆきました。

炎の竜よ…

ドラゴンは風に巻き込まれて足元がふらつき、一瞬意識を失って、気付いた時には床に倒れていました。目を開けると、天井がぐるぐると回るようなめまいを感じ、彼は再び目を閉じました。脳髄の中で、覚えてしまった言葉が、稲妻のように光を放ちました。

ワタシガアキアラメタラ コノセカイハモウオワリナノダ…

めまいがおさまって来ると、彼は頭を振りながら立ち上がり、窓枠に手をついてまた窓の外を見ました。しかし、闇の向こう、どこまで遠く視線を投げても、気にとまるようなものは何も見えません。ドラゴンは少し息を激しくしながら、胸の奥でつぶやくように、もう一度言いました。

「シノザキ・ジュウ…」

ドラゴンは窓から半身を乗り出して、月を見上げました。やらねばならぬことがある。その思いが、彼の腹のあたりで確かな形を取り始めていました。何を、何をやらねばならないのか?何もわからない。だが、わかっているような気がする。

ドラゴンの瞳が、月の光を反射して、一瞬金色に光りました。

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