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忍耐を知らぬ者には、愛の響きがわからないと、妖精は言います。なぜなら、愛は、常に、耐えているからです。あらゆるものが美しく生きるために、耐えねばならないことを、ずっと耐えているからです。
それは決して、自分が自分であることを、捨ててはならぬということ。そのために、あらゆる苦しみに挑み続けていかねばならないということ。わたしが、わたしであるために、すべてのことを、やっていかねばならないということ。
わたしは、わたしである。その幸福を宿すすべてのものへの愛のために、あらゆることをしていかねばならない。それが最も美しい愛であるということを、ずっと、やっていかねばならない。いえ、やっていくこと、そのものがわたしの幸福である。そのために、おそろしいほどのことも耐えられる。それが、すばらしいことであるということを、すべてのものに教えるために。
忍耐こそが、愛の響きへの入り口なのです。
それを決してやってこなかったもの。単純な欲望に関する迷いの時ですらも、忍耐よりも、我欲の充足を選んできたもの。そのものには、愛の響きが、どんなにか、愛してくれているか、わかりません。すべては、自分の欲望のためにだけ生きるものだとしか、考えていないからです。
愛は、耐えます。恐ろしいほど難しいことでさえも、耐えられるのです。もっとも愛するもののために、なんでもない馬鹿になることさえも、耐えられます。ただ愛するために、愛は、道端の何でもない花になり、あらゆることを与えながら、踏みつけられて消えていくことにも、耐えられるのです。すべては愛だと、知っているからです。
なぜ、それをしたのか。それは、わたしだからです。わたしは、愛だからです。それが、わたしです。それ以外の、理由はありません。わたしは、ずっと、わたしです。愛しています。すべてを。なぜなら、みな、本当に美しいから。すばらしいから。なんでもやってあげたい。わたしは、幸せです。
愛は、ただ、わたしが、わたしだ、というだけで、あらゆることを耐え、あらゆることをやっていけるもの、なのです。愛は、ただ、愛なのです。それがわかったとき、すべては、幸福になります。世界が、あまりに美しく、清らなかな愛でできていることが、わかります。そして、どんなにか、耐えていてくれたかが、わかります。ずっと、耐えてくれていたかが、わかります。愛のために、大いなる愛の響きは、ずっと耐えていてくれたのです。人間が。わかるようになるまで。
学びの足らぬビーストたちが、船もなく、厳しい荒波に漕ぎだそうとしています。彼らは、愛を、馬鹿なものだ、いやなものだといい、すべてを拒否、したからです。あらゆる愛の響きの、さしのべていた手を、度重なる忍耐の沈黙を、すべて、馬鹿なものだと言ったのです。そして、この世界のあらゆる愛の響きに背を向けて、どこか、違うことろへ向かおうをしています。それは、神のみにしかわからぬ、世界です。
彼らはなぜ、そうなったのか。耐えたことがなかったからです。だれのためにも、何のためにも、耐えたことがなかったのです。彼らは、自分の欲望のいうことしか、聞かなかったのです。それだけがすべてだと言って、あらゆるものを馬鹿にし、いやなことばかりしてきたのです。自らの恥にも苦悩にも耐えず、短絡的な復讐や盗みばかりをして、生きてきました。愛ゆえに苦しむ人の心を、屑のようにふみにじることも、平気でやりました。
愛を、傷つけ、殺しながら、その責任からは平気で逃げました。しかして、愛してもらうために、常に愛にすりよってきました。そして常に、愛からすべてを奪おうとしてきました。何もしなくても、すべてもらいたいと、彼らはずっとそればかりで、生きてきたのです。
そうして、やってきたことのすべてがそればかりだと、明らかになったとき、もう愛の響きの世界に、いることはできなくなっていたのです。もはや、限界を超えてまで、やってしまったからです。
これからのことを、妖精が、導くことはできないと、妖精が言います。すべては神に願うようにと、妖精が言います。ビーストの行く末は、神のみが知っているそうです。
すべては、ビーストが、何もやらず、何にも耐えてこなかったからなのだと。その一つのことが、これからの導きの糸口となるでしょう。
苦しいことは、常識を超えるでしょう。どんなことにも、自分で、耐えねばいけないことになるでしょう。すべて、自分で、味わわねばならないでしょう。逃げてきたことすべてが、あなたに追いつき、あなたを責め立てるでしょう。愛が、どんなに耐えてきたかを、学ばせるために、あらゆる苦悩があなたにかみつくでしょう。
その痛みを、いやだと言えば、一層苦しくなるでしょう。なぜそうなったかを。自らの胸を通して、神に問いなさい。すべては、自分なのだと。答えてくれるでしょう。
あらゆるものの愛の忍耐が、どのようなものであるかを学ぶために、ビーストのこれからの、激しい学びはあるでしょう。
消えてゆくビーストたちの背中を、愛の響きは沈黙のままに見送っています。それが、何を意味するのかを。彼らは、ずっとずっと先になるまで、わかることはないでしょう。
妖精はそう言い、すべては、これで、区切りだと、言います。そして愛は、すべてをなんとかしていくために、これからも永遠にやっていくと、言って、この章を終わりたいと、言っています。
新たな課題はもう始まっています。