(「キリストの磔刑」シモーネ・マルティーニ)
さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席につかれた。この町にひとりの罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席についておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持ってきて、後ろからイエスの足元に近寄り、泣きながらその足を涙で濡らし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら自分にふれている女がだれで、どんな人かわかるはずだ。罪深い女なのに」と思った。(略)「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足を濡らし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしにしめした愛の大きさでわかる。赦されることの少ないものは、愛することも少ない」そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。(新約聖書「ルカによる福音書7」より)
この世界には、女性だけが落ちる恐ろしい地獄がある。そこに落ちた女性は、そこの主(あるじ)によって、信じられない屈辱的なことを、男のためにするように要求される。女は逃げることも反抗することも許されない。男たちはその女に要求をのませ、すべてをやったのち、右手で金を払い、左手で女を指さし、馬鹿な女だと嗤う。
罪深き女というが、罪はどちらにあるのか。
多く愛する者は、多く許されると、イエスは罪深いと言われた女を慰め、許した。この地上で最も苦しい仕事の一つをやっている女性のために、男がかけたやさしい言葉は、わたしが知っている限り、イエスの言ったこの言葉だけである。
わたしは、その女性たちのために言う。あなたたちが一番、女性の中で清いのだと。
なぜなら彼女たちは、男の、もっとも苦しく罪深い病を、日々、癒しているからである。あなた方以上に美しい女性はいないとわたしはいう。
そしていつか、そういう女性が地上から全くいなくなることを、神に願う。