名峰登山と草花

春から秋にかけて、登山と草花探索等を掲載。植物観察、世界歴史遺産巡り、庭園観賞、素人農業にもチャレンジ中。

インドの史跡と庭園   - 2014.3 旅の記録から -

2020-06-19 22:03:22 | 海外・庭園鑑賞

 コロナ感染騒ぎで、海外旅行はしばらくお預けになってしまった。
 ・・が、ブログを整理していて、インドとロシアについては庭園の記事を書いて
いないことに気づいた。これらの国では、所謂、西欧や東洋、また日本に見る庭園
のように、区画された場所に作られた庭園に気づかなかったためだ。城郭や廟に
併設された庭や風景はこれらの国の庭園と言っても良いだろうという心境に至り、
史跡を中心とした風景や庭を掲載することとした。

 インド観光の目玉はやはりタージマハル霊廟だろう。正面から入場すると、タージ
マハル廟では、廟の前面に庭園が広がっている。建物も庭も幾何学的で正に
インド的芸術作品といえる。タージマハル廟は1632年に着工し22年かけて1653年
に竣工した。建設に使った大理石は千頭の象で運び、建設に携わった職人2万人は
世界中(ペルシャ、アラブ、西欧)から招聘したそうだ。また、優秀な設計士、工匠、
細工士が同様に世界中から集められたようだ。(ここの十字型の庭はペルシャの
チャハルバーグ様式という様式だそうだ。)

 その他、アンベール城の城郭、中庭、周囲の風景は、全体が大きな庭と言っても良い
だろう。

 アンベール城はアンベール王国の首都として建設された。ムガール帝国第3代皇帝
アクバルの時代(1562年)に、アンベール王の娘と結婚して、アンベール王国を傘下に
収めた。築城は1592年から大規模な修復&築城が続けられたが、1727年にアンベール
王はジャイプールへ新たに遷都した。

 ファテープル・シクリは第3代皇帝アクバルが息子の誕生に感謝して、1574(~1588)に
アグラから遷都した王城である。

 フマユーン廟、アグラ城、なども周囲の風景と調和し、広い意味で庭園と考えて
もよいであろう。アグラ城から眺めるタージマハル廟は周りの風景を背景として、
巨大な幻想的雰囲気の庭園とも言える。
  また、霊廟であるフマユーン廟、タージマハル廟はペルシャの四分庭園(チャハル
バーグ)様式や二層様式の霊廟建築がとられ、ペルシャのイスラム建築の影響を色
濃く受けている。

<参考> ムガール帝国の歴史と皇帝 (1526~1858)

 1526年にモンゴル系のバーブル(チムールの5代孫)がロディー朝を破って、デリー
に建国した。イスラム教スンニ派を奉じる王朝である。2代皇帝フマユーンの代に
デリーを追われたが、1555年にデリーを奪還してムガール帝国を再建した。
 3代皇帝アクバルの時代に領土を拡張し、北インド、アフガニスタン、パキスタン、
バングラディシュを含む領域を支配し、首都を新たにアグラに置いた。
 続く第4代ジャハンギール、第5代シャー・ジャハンの前半までが全盛期となる。
 5代皇帝までは圧倒的に多いヒンドゥー教徒との融和策をとってきたが、第6代皇帝
アウラングゼーブの代になるとイスラム教への回帰(1679年)を明確にし、ヒンズー
教徒の弾圧を始めたため、様々な問題が発生した。
 17世紀に入ると、イギリス、フランスが東インド会社(商館)をインドに設立し、経済的
進出を始める。

 皇帝一覧
    初代 バーブル 1526~1530     6代アウラングゼーブ  1658~1707
    2代  フマユーン 1530~1556         
    3代 アクバル  1556~1605     終代バハードゥル・シャー 1837~1858
    4代 ジャハンギール  1605~1628
    5代 シャー・ジャハン 1628~1658


 以上です。 


ジャガイモ掘り - 2020.6.9~6.16 -

2020-06-19 11:27:18 | 野菜作りに挑戦

 ジャガイモ掘りを始めた。6月11日から梅雨入りしたので、雨の合間を縫って
芋掘りとなった。雨の日は芋掘りには適さないので、晴れた日に芋掘りをしたい。

 6月9日は、梅雨前なので、急いでキタアカリを試し掘りした。(畝1の半分ほど)
まずまずの芋が付いていて安心した。6月12日も友人が手伝ってくれたので、
メークインとグランドペチカを試し掘りとして30分ほど掘った。まずまずの芋が
着いており、納得した。
 次は天気が回復しそうな6月15日を予定している。

 雨上がりの6月15日は予定があり、ジャガイモ掘りは一日延ばした。
 6月16日は天気も良く、絶好の芋堀日和だ。日中は31度位になるというので、
早朝、5時半に家を出て、畑へ向かった。畑へ着くとまず、芋堀準備をした。(茎
を切り、黒マルチを剥がす) ついで、剣先スコップで、ジャガイモ畝1~3の芋を
堀り起こした。
 掘り出したジャガイモを籠に入れて写真を撮った。作業をしていると、近所の
農家の方が通りかかり、大きな出島をみて、「上手に造ったねー」とかいろいろ話し
かけられて、収穫模様を写真に撮る手順が狂ってしまった。
 収穫できた芋は15kgの段ボール箱に2箱となった。先に採ったキタアカリと
メークインと合わせると、50~60Kgになる。日頃お世話になっている人達にも
分配して、喜ばれた。


 今年のジャガイモは総じて、良くできた。腕が上がったといっても良いかと、自画
自讃している。

  このペ-ジを借りて、サツマイモ(苗を定植した後)の畝の整備状況を掲載する。
 後刻、蔓返しを行う時に、「先に黒マルチを敷いておくと、蔓から根が伸びて地面
に入り込めないので、蔓返しがやりやすい」とは、プロの農家のビデオ講座で学習
していたので、黒マルチを敷いた。忙しくて、なかなかできなかったが、やっと終了
した。(昨年、蔓返しが大変だったが、今年はうまく出来そうだ)

以上です。