ミューズの声聞こゆ

なごみと素敵を探して
In search of lovable

このたびの東日本大震災で被災された多くの皆様へ、謹んでお見舞い申し上げます。

大震災直後から、たくさんの支援を全国から賜りましたこと、職員一同心より感謝申し上げます。 また、私たちと共にあって、懸命に復興に取り組んでいらっしゃる関係者の方々に対しても厚く感謝申し上げます。

肖像画

2018年03月02日 | 珠玉

 祖父が中年に差しかかったある夜のこと、家業の小さな製材所から疲れて帰宅し、そのまま机に突っ伏して眠ってしまった。

それが、ふと頭を上げると、向こうの部屋の隅に若い女が立っている。

幽霊かと思ったが、こちらを怖がらせる様子もない。

そのうちに女の声が頭の中に響いた。

なぜそんなに悲しそうな顔をしているのか。

「すべてがうまく行かなくて。」

女はじっとこちらを見ながらまた頭の中で言った。

一生懸命やるといい。私が見ている。

女がそのまま消えてしまうのではないかと焦って祖父は尋ねた。

「アンタはどこで見ているのだ。」

女は答えた。

私はこの家の中にいる。しっかりやりなさい。

 それからというもの、祖父はさらに身を粉にして働いた。

物事は良い方向に進んだ。

製材所はめきめき大きくなり、製品の評判も上がった。

客は平日・休日関係なく先を争って押しかけた。

祖父は莫大な財産を築いた。

日本赤十字社へ多額の寄付を行ない、勲章を得た。

金で勲章を買ったとやっかみから陰口をたたく者も多かったが、彼は気にせず、大きくなった身代とは裏腹に、古い小さな家に住み続けた。

またそれをケチだからだと言う者もいた。

 祖父が亡くなる前日、私は入院先の特別病室に呼び出された。

彼は言った。

お前の父母はオレの気性を理解しようとせず、長く疎遠になっているが、一方でオレの財産の恩恵には十分過ぎるほど浴している。

のっけからの毒舌に私はたじろいだ。

祖父は構わず続けた。

お前に頼みがある。

家の仏壇下の戸袋に、オレが叙勲された際、肖像画家に依頼して描いてもらった絵が二枚入っている。

オレの絵は捨てて構わない。

もう一枚は昔オレが会った女の絵だ。

そして彼は先に書いた経緯を話してくれた。

その絵を、お前が死ぬまで保管してほしいのだ。

一族の命運がかかっているものだから、必ず大事にしてくれ、頼む頼む。

 翌日、一代で財を成し、立志伝中のひとと称された祖父は亡くなり、父母は涙も見せずに一切を淡々と片付けた。

私は依頼のとおり、祖父の家を訪ねた。

金紗の袋に入った二枚の絵が確かにあった。

一枚は、必要以上に難しい表情をした祖父だった。

もう一枚は―私は背筋が凍りついた。

額に入った古ぼけたカンバスには、何も描かれていなかった。

私は頭の上を何かが飛び去ったような気配を感じていた。

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