「悪いけれどここからは僕一人で行方不明者を探しに行くので、きみは車に戻り、みなを安全なホームまで避難させてほしい。」
大きな余震が続いていた。
そのたびあちこちで悲鳴が上がる。
道は異臭を放つヘドロで汚れ、小さな川に住宅の二階部分が押し寄せていた。引いて行く波に車がさらわれてしまった、と男性が大声で叫んでいる。
ホームの方角を見やると、防砂林がすっぽりときれいになくなり、黒い水平線がすぐ間近に迫っていた。
目を合わせないようにしながら立ち去ろうとして、コートの袖をつかまれた。
「何を言っているのですか、理事長、やめてください。また津波が来たらどうします。」
いや、でも僕には責任があるから、と言いながら振り返ると、相手の頭の上に積もった雪が解けて目じりまで流れていた。
「命からがら逃げてきた利用者様や職員を、生きている方々を、まずは安心させていただけませんか。」
僕は常に無茶で、捨て鉢だった。どうともなれ、と思って過ごしてきた。
けれどもその言葉は、匹夫の勇(ひっぷのゆう)でいきり立っている頭にしみてきて、少しの間はあったものの、そうだね、とうなづくことができた。
あの時止めてくれて、ありがとう。
生き延びたことより、自分が相手の申し出を素直に聞けることを教えてくれて。
私が父と一緒に撮った写真は3枚しかない。
そのうちの2枚は、父の会社の事業所の開所日に職員さんが撮ってくださったものだ。
もう1枚は小学校の運動会。
私は出し物のよさこいの法被を着て破顔一笑、隣にしゃがんだ父の肩へ親しげに手を置いている。
父はブレザーに革靴という、その場にまるで似つかわしくないいでたちで、おそらく仕事を抜け出して駆け付けたのだと思う。
それでも、昼休みにお弁当のいなりずしを一緒に食べた記憶がある。
3枚のうちで一番古いのは、私が6歳の時のものだ。
写真の中の私は父と一緒にワルツを踊っている。
ホームがやっと開所日を迎え、父はよほど嬉しかったのか、恥ずかしがる私の手を取って、職員さんたちが目を丸くしているのにも構わず、ホールの真ん中できれいにステップを踏んだ。やがて管理者さんたちが一人ずつ加わり、それはマイムマイムのような楽しい雰囲気に変わった。
ホームはこのあと2年3か月ほどで東日本大震災の大津波により流失、別の場所に再建されている。
建物の建築が不許可の地域となった跡地はそのまま打ち捨てられた。
先日、私は思い立って兄とそこへ行ってみた。
土台は朽ち果てずに残っていたが、長く伸びた雑草にほとんど覆われていた。
「枯草や 我が父親の 夢の跡」
写真の日に一緒だった兄が芭蕉をもじって下手な句を詠んだ。
たぶん、悪ふざけでもしなければ、やっていられない心境だったのだろう。
私は足元にあった小さな白いものを拾った。
瀬戸物のかけらだった。
父は自分の亡骸を他県の大学病院へ献体し、私たち家族は骨を拾うことができなかった。
私はその白いかけらが、父の骨のような気がしていた。
大震災当日、ああ、神も仏もないのだな、と天を仰いだ。
そんな僕が唯一、現在も信じているのが、勝手に決めたラッキーナンバーである。
確かにこれはもう、妄信の域に入っているけれど、それより恐ろしいのは、ラッキーナンバーがなくてもできたんだ、できるんだ、などと思い込むこと、いわゆる慢心だ。
それを心から信じたからこそ、今があるのだ、とずっと、いつまでも、謙虚に感謝の気持ちを持ち続ける自分でありたいと願う。 (2015年10月)
Kはたった一度だけ、世界を手に入れたような気分になったことがある。
ある小さなパーティーで初対面の地元名士から、新聞に寄稿しているあなたの文章をいつも楽しみに読んでいる、知的でとても刺激的だ、と出会いがしらに褒められてぼうっとなったところで、街一番の才女二人にはさまれて写真を撮った。
死力を尽くして勝ち取った大きな仕事も、目前に複数控えていた。
ああ、最高だな、と思った。
その三日後、東日本大震災が起こった。
結局写真はKの手元に届かなかったが、たぶんその中の彼の顔は見苦しいほど紅潮して、風船のように膨らんでいるに違いないだろう。
三日天下とはよく言ったものだ。
いまだに大震災当夜の情景をよく夢に見る。
行方不明の利用者様・職員を探しに行き、避難先のホームへ戻った僕は、疲れ切ってホールの椅子に腰を下ろした。
停電して暖房器具が使えず、ろうそくのぼんやりとした炎で照らされた寒々しいホールでは、職員たちがみな寝ずに利用者様の支援を続けている。
毛布を頭から掛けたり、背中をさすったり。
その中にいつも、黒い男物のコートを着た女性の姿がある。
後ろ向きで顔が見えないが、たぶん死神なのだろうと思っていて、僕は彼女が振り返る直前で毎回、無理やり目を覚ます。
それが今夜はうっかり夢の最後まで観てしまった。
振り返り、僕をまっすぐ見た黒いコートの女性は―ざしき童子だった。
きみだったのか。