西部劇「シェーン」はハリウッド映画史上に燦然と輝く名作として名高いが、アラン・ラッドのやや古めな早撃ちヒーローは、冷血非道な悪役ジャック・ウイルソン(ジャック・パランス)の存在があってより引き立っている。悪役良ければ映画良し、の典型だ。
北部から来たウイルソンに挑発され、銃を抜いてしまう農夫役の小男、名前をイライシャ・クック・ジュニアという。
とにかくたくさんの映画に出演している息の長いバイプレイヤーで、ウイリアム・アイリッシュ原作の「幻の女」の中で演じた神経症気味のジャズ・ドラマ―役などは強く記憶に残っている。ちなみにヒロインは名花エラ・レインズ。先日書いた「容疑者」(1945年)と同じくロバート・シオドマク監督による1本前の作品だ。
それから、やはりアラン・ラッド主演の「暗黒街の巨頭」(1949年)、これは「ザ・グレート・ギャツビー」の二回目の映画化なのだが、クックはクリップスプリンガーを演じていて、ピアノを弾くシーンもある。この作品は驚いたことに老いたニック・キャラウエイとジョーダン・ベイカー夫妻の回想から始まり、いきなりギャツビーの正業も明かされる。クリップスプリンガーもギャツビー邸の居候ではなく、大邸宅へ入居する以前からの手下的なキャラクターになっていて、もしF・スコット・フィッツジェラルドが存命中だったら(1940年病没)、この改悪について弱々しく抗議したかもしれない。
予告編。軍服はブルックス・ブラザーズ製か?クックは29秒に顔出し。
シャツのシーンもある(51秒)。マートル役はシェリー・ウインタースだ。
私が売れない演歌歌手だったころ、担当についた初老のマネージャーのNさんの口癖は、大丈夫だから、だった。
すぐくじけそうになり弱音を吐く私へ、そのつど彼は大丈夫だから、と呪文のように声を掛けた。
なにが大丈夫なのか、こまごまとした説明はなかったが、私はたぶんそのあとに、いざとなったら僕が出て行くから、出て行ってまとめるから、安心なさい、と続くのだと信じていた。
なんにせよ、私にとっては最高のマジックワードだった。
ある時、大きなステージを終えた後、いつになく高揚した私はNさんに、その大丈夫は私だけにくれませんか、と言い放ってしまった。
あわてて手で口を押さえ、自分がしでかしたことに顔を赤らめている私を見た彼は、わかりました、プレミア性を維持するために、極力、他の歌手たちには使わないようにしますね、姫様、とおどけた調子で答えた。
今、老舗旅館の若女将を務めている私は、大小失敗が絶えず落ち込む若い仲居たちに、大丈夫だから、と声を掛ける。
その口調がこころなしNさんと似てきていることに、私は気づいている。