電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

「もともとそういう人だったのだろう」という見方

2013年10月04日 06時01分03秒 | -宮城谷昌光
このところ、宮城谷昌光作品を一気に再読しています。なかなかおもしろいです。
ところで、項羽と劉邦の二人については、乱暴で戦に強い項羽と、戦は弱いが人徳のある劉邦という見方が通り相場なのでしょう。ところが劉邦は、偉くなると昔の仲間を次々に粛清していきます。その理由を後からあれこれと考え、そうするしか仕方がなかったのだと弁護する、いわば英雄という結論にそった描き方もありますが、逆に「もともとそういう人だったのだ」という描き方もできます。

後者の典型が、宮城谷昌光の『香乱記』でしょう。こちらは、滅亡する側の田氏三兄弟を描くなかで、劉邦の詐欺・卑劣を描き出します。こうなると、後年の粛清は「もともとそういう人だったのだ」と理解することができます。

「高い地位に登った英雄なのだから、きっと立派な人物だったのだろう」という発想は、勝者の立場に立った見方であって、英雄は立派な人物とは限らない。「非道な者であるがゆえに、歴史の谷間に転落しなかったのだ」という見方は、たぶん勝者・敗者いずれの側にも与しない、冷静な見方なのでしょう。

コメント