電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ダンディ「フランスの山人の歌による交響曲」を聴く

2013年09月15日 06時04分00秒 | -オーケストラ
夏の終わりに、通勤の音楽としてしばらくヴァイオリン・ソナタを聴いておりましたが、やはりオーケストラの音を聴きたくなります。できれば、この季節にふさわしい爽やかな音楽が望ましい。さて、何がよいだろう?と探していたら、FM放送等で夏の時期によく放送されていた、ヴァンサン・ダンディの「フランスの山人の歌による交響曲」が目にとまりました。おお、そうだそうだ、この曲があったと思い、自宅のPCオーディオにて、小型スピーカをミニコンポのアンプで鳴らしました。

記憶の通り、いかにも爽やかな音楽です。CD-Rに焼いて、通勤の音楽として、連日繰り返し聴いて楽しんでおります。窓を開けて、外気温が20℃くらいの風を車内に取り入れながら走ると、本当に気持ちがいい。演奏は、シャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団で、ニコル・アンリオがピアノを受け持っています。いわゆる昔の名盤・決定盤といった扱いのもので、廉価盤以外は手を出なかった貧乏学生には縁の薄い、レギュラー・プライスのレコードでした。1958年3月24日のステレオ録音、すでにパブリック・ドメインになっています。

楽器編成は、Fl(3),Ob(3),Cl(2),BassCl(1),Fg(3),Hrn(4),Tp(2),コルネット(2),Tb(3),Tuba(1),Timp.,Triangle,Cymb,BsDrum,Pf,弦楽五部。ただし、Fl(1)はピッコロ持ち替え、Ob(1)はコールアングレ持ち替えだそうです。

第1楽章:きわめて緩やかに~中庸の速さで、いきいきと。低音の木管による始まりの直後に出てくるコールアングレの旋律が、なんとも気持ちの良いものです。これがフルートに引き継がれ、オーケストラの高揚の中にピアノが登場するところは、大協奏曲の始まりかと思ってしまいます。
第2楽章:きわめて穏やかに、しかし遅くなく。ピアノの優しい旋律で始まります。管弦楽は、時に穏やかに静まり、また時にやや高揚します。
第3楽章:活き活きと(Anime)。ピアノが活発に同じ音型を繰り返す中で、オーケストラが堂々たる音楽を導きます。

何度も繰り返して聴いていますが、ほんとに爽やかで力強い音楽、演奏です。これまで名盤と言われていた理由が、よ~くわかりました。

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ノートの新製品が発表されて

2013年09月14日 06時04分58秒 | 手帳文具書斎
文具メーカーのサイトを訪問していると、興味深い新製品に出会います。この秋は、いくつかのノートに着目しました。



まず、コクヨの新製品として、新装丁ノート(*1)というものが発表されました。コクヨのノートとしては、定番のキャンパス・ノートのほか、澪ペーパーを用いたキャンパス・ハイグレード澪を使っています。実はこのほかにも、帳簿用紙を用いたキャンパス・ハイグレードというノートもあるようですが、あいにくB5判しかなくて、A5判を希望する私とは縁が薄い存在でした。ところが、今回の発表は、まさにそのA5判で、100kg/m2(平米)の帳簿用紙を用いたもののようです。6mm罫の横罫線と5mm方眼の二種類があり、小口にはストライプ、くるみ製本の表紙というしゃれた製本です。お値段のほうも、横罫で29行70枚のものが、1冊1,260円だそうです。うーむ、これは一度試してみたいものですが、はたして行きつけの文具店で入手できるでしょうか。



もう一つは、キングジムから11月に発売される予定という、ペンホルダー付きノートです。ふつうのノートの表紙を厚紙仕様にして、これにペンホルダーを付けたもののようで、ツインリングの方眼ノートと、無線綴じの横罫ノートが、それぞれA5判とB5判の二種類で展開されるようです。製品名「PENMO」は「ペンも」に懸けたものでしょう。A5判のツインリング5mm方眼(80枚)で、お値段は税込み682円、同じくA5判横罫(6.5mm/行、30枚)で252円とのことです。ツインリングのほうは、ペンが落ちたりページが不用意に開いたりしないように、角にゴムバンドが掛けられるようになっています。横罫ノートのほうは、背の部分にカラフルなペンホルダーがついていて、これで色分類できる、とされています。ツインリングのほうは、ペンホルダーもあまり邪魔にならないようですが、横罫ノートのほうは開いたときに背のペンホルダー部分が邪魔にならないかという不安があります。実際はどうなのでしょうか。興味深いところです。

もっとも、私にとっては、便利な・あるいは高級なノートを使ったからといって、発想が急に豊かになったりセンスがあかぬけたりすることは期待出来ませんし、ましてや高級なノートを使っている自分にウットリすることもあまりなかろうとは思いますが(^o^;)>poripori それでもノートで新しい製品が出ると聞くと、なんとなく興味がわいてきます。

(*1):100年の歴史を持つ「洋式帳簿」の風合いを活かしたノートを発売~コクヨのプレス・リリース
(*2):ペンとノートをスマートに持ち歩く「ペンモ」~キングジムの新製品情報

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今年もずいぶん桃を食べた

2013年09月13日 06時00分46秒 | 週末農業・定年農業
昨年から、桃を収穫して食べられるようになりました。それまでは、消毒の頻度や着果管理の手間の多さ(*1)から、週末農業では桃の収穫は無理と諦めていたのでしたが、亡父が作っていた頃のあの味が忘れられず、不充分ながら消毒と摘果をするようにしたものです。昨年に続き、摘果不足でやや小ぶりではありますが、今年も美味しい桃をたくさん食べることができました。多すぎて自家消費できないところは、親戚に宅送したり、ご近所におすそ分けしたり、職場にどっさり持っていったりして喜ばれました。まさに、生産者の喜びを感じます。

来年は、もっと摘果をタイミングよく実施することと、動力噴霧機を活用してタイムリーかつ機動的に消毒することが課題です。手をかければ作物は育つ。収穫を喜び、分けてあげて喜ばれ、苦労も吹き飛びます。誰に言われるのでもなく、自分の中に満足感(*2)があります。川中島白桃を用いた「桃のヨーグルト」を食べながら、そんなことを思っております。



(*1):1回目は花摘みです。見事に咲いた花を愛でながら、花を摘んで20~30cm間隔くらいにまばらにしていきます。2回目、3回目は混み過ぎにならないように、上向きの枝には多めに、下向きの枝には少なめに、実の形を見ながら、枝に実らせる個数を全体的に減らしていきます。こうすることで、光合成で蓄えた美味しさが少ない実に集まり、大玉の桃が育つという仕組みです。
(*2):でも、実際の摘果作業は、ほとんど妻の貢献です。私はあまり大きなことは言えません(^o^;)>poripori

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吉村昭『日本医家伝』を読む

2013年09月12日 06時01分04秒 | -吉村昭
講談社文庫で、吉村昭著『日本医家伝』を読みました。ずいぶん久しぶりの再読で、調べてみたら初読は2002年の12月とありますから、ほぼ11年ぶりの再読となります。



幕末から明治期にかけての、著者の医家ものの発端となった雑誌連載が、1973年に講談社から文庫化され、2002年に新装版として大きめの活字で再刊されたもののようです。本書で取り上げられている人物は、もしかすると年代順なのでしょうか、以下のとおりです。

山脇東洋
前野良沢
伊藤玄朴
土生玄碩
楠本いね
中川五郎治
笠原良策
松本良順
相良知安
荻野ぎん
高木兼寛
秦佐八郎

いずれも、人物と業績を簡潔に紹介するものですが、小説の題材として取り上げるに相応しいドラマがあります。前野良沢と『解体新書』の翻訳の話は『冬の鷹』に、楠本いねについては大作『ふぉん・しいほるとの娘』に、松本良順については『暁の旅人』(*1)として、高木兼寛は『白い航跡』(*2,3)に、それぞれ結実しております。その意味で、本書はこれらの出発点となった記念すべき作品と言えます。中には、独立した作品として取り上げられてはいないけれど、『ふぉん・しいほるとの娘』や『長英逃亡』などの作品の中に生かされているものもあり、全体として幕末~明治の時代を生きた医家のつながりを、大きな山脈のように感じさせてくれます。

本書は、現在は絶版か品切れのようで、現行本としては出ていないようです。Amazonでは中古本としてのみ表示されます。日本の医家の流れを簡潔に一覧することができる好著だけに、まことに残念なことです。

(*1):吉村昭『暁の旅人』を読む~「電網郊外散歩道」2009年11月
(*2):吉村昭『白い航跡』上巻を読む~「電網郊外散歩道」2009年8月
(*3):吉村昭『白い航跡』下巻を読む~「電網郊外散歩道」2009年8月

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映画「大統領の料理人」を観たい

2013年09月11日 06時00分25秒 | 映画TVドラマ
先日、フランスのミッテラン元大統領のプライベート・シェフとしてエリゼ宮で初めて女性料理人として勤めた方の料理を、テレビで紹介していました。フレンチ・トーストの作り方を紹介していたのを、なんとか書き留めました。それによれば、

(1) パンを牛乳にひたす
(2) それを卵にひたす
(3) フライパンでバターで焼く時に、オレンジ1/2をしぼってバターにまぜ、よく洗ったオレンジの皮をすりおろして加えたオレンジバターを載せて焼く。
(4) ココア・パウダーまたは粉砂糖をふりかける。ココア・パウダーの場合は、ハチミツをかけるとよく合う。

というものでした。単純に、牛乳と卵で焼くのではないところが彼女の工夫なのでした。

ところで、この女性の実話がモデルになり、どうやら映画になっているらしい。それは観てみたい気がします。なんとなく美味しそうで、陰謀渦巻く大統領府の裏側や、権力者の孤独なども、ちらりと描かれているような気がします。

と思ったら、YouTube にはすでに予告編が出ているようでした。




残念ながら、当地の上映予定は未定のようで、これはフォーラム等、山形県内の映画館に、ぜひ頑張ってもらいたいところです。

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バートランド・ラッセル『幸福論』より抜き書き

2013年09月10日 06時05分43秒 | -ノンフィクション
岩波文庫で、バートランド・ラッセルの『幸福論』を持っており、ときどきページを繰っております。もちろん、面白くて耽読するような性質の本ではありませんが、思わず考えさせられるような考察と記述が少なくありません。

もともとは、背伸びしがちな高校生の頃に、英語のテキストで原著『The Conquest of Happiness』を読まされたのがきっかけで、もちろんこのときはちんぷんかんぷん、原文の逐語訳も意味不明でした。虎の巻がわりに、岩波文庫の邦訳を購入してみたものの、中身の日本語の意味が理解できない、という状態でした。



それでも、年を取るごとに意味がわかるようになり、本書の価値が理解出来るようになりました。はじめに不幸の原因について考え、次に幸福について考えるという全体的な構成はありますが、今回は備忘のために、途中までの部分的な抜き書きを記録しておきます。

いっさいは空であるという感情は、自然の欲求があまりにもたやすく満たされるところから生まれる感情である。(「バイロン的な不幸」より、p.30)

現代の都市に住む人々が悩んでいる特別な退屈は、彼らが〈大地〉の生から切り離されていることと密接に結びついている。(第4章「退屈」より、p.74)

たいていの男女は、思考をコントロールする能力にひどく欠けている。これはどういうことかと言えば、ある心配事について何も打つべき手がない場合にも、そのことをあれこれ考えるのをやめることができない、ということだ。(第5章「疲れ」より、p.78)

実は、罪の意識は良い人生の源泉になるどころか、まったくその逆である。罪の意識は、人を不幸にし、劣等感をいだかせる。自分が不幸なので、他人に過大な要求をしがちであり、ために、人間関係において幸福をエンジョイすることができなくなる。(第7章「罪の意識」、p.117)

情緒を生み出すことは、理性の仕事ではない。ただし、幸福の障害になるような情緒を発見することは、疑いもなく、理性的な心理の働きの一部である。しかし、これらの情念を最小にする際、同時に理性が非としない情念の力まで弱めてしまうのではないか、と想像するのは誤りである。情熱的な愛、親の愛情、友情、慈悲心、科学や芸術に対する献身などの中には、理性が減らしたいと思うものは何ひとつない。(第7章「罪の意識」p.119)

字面を追うことはできても、若い頃にはとても理解できなかったのですが、今の年齢で読むと、なかなか示唆的な内容を含んでいると感じます。

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パブリック・ドメインになり公開された録音をカーステレオで聴くためには

2013年09月09日 06時04分53秒 | クラシック音楽
1960年前後のステレオ録音が、すでに著作隣接権の保護期間を過ぎてパブリック・ドメインとなり、ネット上に公開されて、誰でも自由に利用出来るようになりました。このことは、これまでジョージ・セルのスタジオ正規録音を中心に、何度か取り上げ、紹介してきたところです。ただし、自分のことで言えば、ほとんどがLPやCDですでに所有し、愛聴しているものばかりで、通勤のカーステレオで繰り返し聴く上で、なんら支障はありません。

自室では、これまで手を出して来なかった演奏家の多彩な録音を自由に聴くことができるようになり、もっぱら簡易な PC-audio で楽しんでいます。では、これらCDとしては持っていない演奏・録音を、通勤の車内で楽しむにはどうすればよいのか。現状では、CD-Rに焼くよりほかはありませんので、思い立ってやってみました。何を今更、「UbuntuLinux で音楽CDを焼く」が本日のお題です。

アプリケーションとしては、空のCD-Rを入れると自動で立ち上がる「CD/DVDの作成」ツールではなく、「サウンドとビデオ」の中から、「Brasero ディスク作成ツール」というのを使います。この中の「音楽プロジェクト」を選び、そこに曲のデータ(mp3/flac等)を drag & drop します。全部が一枚のCDに収まるように曲の組み合わせを調整してCD-Rを焼きます。



今回、作成した組み合わせは、

ダンディ:「フランスの山人の歌による交響曲」、ミュンシュ指揮ボストン響
ラヴェル:「ピアノ協奏曲ト長調」、フランソワ(Pf)、クリュイタンス指揮パリ音楽院管

で、この CD-R がなんと魅力的なことか!
ほぼ同時代のフランスの音楽が、実にぴったりと、まるで買ってきたような(^o^;)組み合わせで聴くことができます。朝、家を出て通勤の途中で聴くダンディ、夕方からしだいに日が短くなるのを感じながら耳を傾けるラヴェル。なんてピッタンコなのでしょう。思わず自画自賛です。

この方式は、記事と一緒に掲載する写真が得られにくい点だけが唯一の欠点です(^o^)/
おっと、もう一つありました。このやり方を続けていくと、やがてはCD-Rの収納場所に困るようになる、という問題もありました(^o^;)>poripori

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別の角度から再び記事にすることの意義

2013年09月08日 06時05分08秒 | ブログ運営
本を再読する時は、初読時とはまた異なる発見があります。音楽も、繰り返し聴くことによって、親しみが増し、理解も深まるように思います。一度取り上げたブログ記事も、少し違う角度から再び記事にするときは、前とは違う発見があることが少なくありません。

例えば、たいぶ前ですが、書斎について取り上げたことがありました。
(1) この20年で、書斎のイメージはどう変わったか~2007/05/07
(2) 昭和末期の『ワープロ書斎術』~2007/05/08
(3) 書斎や書斎コーナーがブームに~2007/06/14
このときは、昭和末の『書斎~創造空間の設計』や『ワープロ書斎術』なる講談社現代新書の内容を平成19年の目で振り返り、団塊世代が定年退職して子供部屋を書斎にリフォームするブームのことを考えています。

音楽とブログの関係についても、
(4) 音楽愛好家にとってのブログの効用~2007/11/01
(5) 音楽ブログの困りごと~2008/04/17
(6) 音楽に関するブログ記事~2010/06/03
などの記事を通して、ブログの効用と困りごとの両面から記事にしており、自分自身でもおもしろく感じました。

また最近は、万年筆の乾燥というテーマと、インクの裏抜けや滲みといった特性の両方の面から、プラチナ社の万年筆の購入へと変化して来ました。
(7) プラチナの超安価万年筆プレッピーの弱点~2012/09/12
(8) プレッピー(Preppy)でプラチナの古典ブルーブラックインクを試す~2013/02/28
(9) インクの減り方の違いはどこに~2013/05/24
(10) 万年筆の乾燥を防ぐためには~2013/07/05
(11) 新しい万年筆を購入するまで~2013/08/29
これも、何度も記事にしてきた結果です。

いずれにしろ、同じテーマで違う角度から記事に取り上げてみることは有意義ですし、ブログ運営のネタ切れ対策の面からも役立つ方法ではないかと思います(^o^)/

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ベートーヴェン「ヴァイオリンソナタ第2番」を聴く

2013年09月07日 06時04分18秒 | -室内楽
このところ、若いベートーヴェンの作品から、チャーミングな「ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調Op.12-2」を聴いております。演奏は、ヨセフ・スークのヴァイオリン、ヤン・パネンカのピアノで、第1番(*1)と同様にDENONの紙箱全集(COCO-83953~6)からの一枚。

添付のリーフレットによれば、この作品は、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの中では一番作曲された時期が早く、ボン時代に遡るらしい。出版の際に作品番号を調整するという、若いベートーヴェンの通例(*2)が、ここでも見られます。

第1楽章:アレグロ・ヴィヴァーチェ、8分の6拍子。冒頭は、ゆるやかな下り坂をスキップして下りていくような音楽です。やがてヴァイオリンとピアノの役割が交代して繰り返されます。このあたり、ハイドンの作品だと言われても信じてしまいそう(^o^)/
第2楽章:アンダンテ~ピウ・トスト・アレグレット、イ短調、4分の2拍子。寂しい表情で始まり、ヴァイオリンを少し遅れてピアノが追いかけるカノン風な経過が、ピアノとヴァイオリンが役割を交代するような形で繰り返されます。
第3楽章:アレグロ・ピアーチェヴォレ、イ長調、4分の3拍子。piacevole の言葉のとおり、愉快で心地よいアレグロ楽章です。軽やかなロンド・アレグロみたい。ピアノが、実に優しく歌います。このあたり、ヤン・パネンカの美質が感じられます。

通勤の音楽として存分に聴いた後で、静かな週末の朝に、自宅でゆっくりと耳を傾けるのはまた格別の味です。日中ならば、ある程度大きな音で聴くこともできますので、自室のステレオ装置で聴くこともできますが、早朝なればそれははた迷惑というものでしょう。デスクの前にセットした寄せ集め PC-audio で楽しんでおります。

パソコンに取り込んだ音楽ファイルを、RhythmBox というソフトウェアで再生し、ONKYO の USB-オーディオプロセッサ(*3)を通じて古いミニコンポで増幅して鳴らすスピーカとして、これまでは子どもと一緒に作った自作スピーカを使っておりました(*4)が、過日、単身赴任の際に使っていたミニコンポのスピーカを載せて、これを鳴らすように変更しております。どうもヴァイオリンの高音部の質は、小音量時にもこちらの方が自然で良いようです。




(*1):ベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ第1番」を聴く~「電網郊外散歩道」2013年8月
(*2):ベートーヴェンの第1番~「電網郊外散歩道」2005年2月
(*3):ONKYOのUSBオーディオ製品を試す~「電網郊外散歩道」2009年2月
(*4):PCオーディオ用アンプを小型(ミニコンポ)に交換する~「電網郊外散歩道」2010年9月
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形式は内容によって決まる~手帳にスケジュールをメモする形式

2013年09月06日 06時00分16秒 | 手帳文具書斎
世の中では、気の早い人のためにもう来年の手帳が発表されているそうです。手帳の世界でも、限られたパイを争って青田刈りが流行しているのでしょうか(^o^)/
冗談はさておき、手帳のスケジュールらんには、大別して

(1) ブロック式(カレンダー・スタイル)
(2) 横書きダイアリー式(月間、週間など)
(3) バーチカル式

などがあるようです。では、これらのフォーマットを決定しているのは何か。単なる好みや習慣なのでしょうか。



当方の45年の手帳歴のうちほとんどを、(2)の横書きダイアリー方式、しかも見開き1ヶ月タイプが占めています。例外というのは、1988年と今年(2013年)、ブロック式を使ってみた二回だけです。このときのことを思い出してみると、たしか一日のブロックの中に予定が書ききれないことが何度もあり、それで翌年には横書きダイアリー式に戻したのではなかったかと思います。

多くの予定がタイトに詰まっている人ならば、ブロック式ではとても間に合わず、バーチカル式でないと記入できないことでしょう。逆に、すでに悠々自適の人ならば、退職前に使っていたバーチカル式のスケジュールなどは、空虚感をいだくばかりで、カレンダースタイルの空欄に、通院などの予定をポツリポツリと書いておくくらいがちょうど良いのでしょう。私の場合、バーチカル式までは要らず、見開き一ヶ月の横書きダイアリー形式で充分なようです。

書店や文具店に、たくさんの種類の手帳が並ぶ季節が近づいておりますが、「形式は内容によって決まる」という原則を、あらためて再認識しております。来年は、ブロック式ではなく、四月始まり・三月までの横書き月間ダイアリー式のリフィルを探すことにいたします。

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武田楠雄『維新と科学』を読む~41年ぶりの再読

2013年09月05日 06時05分25秒 | -ノンフィクション
先日、縁側の書棚を補修整理した際に、岩波新書で武田楠雄著『維新と科学』を見つけました。1972年3月25日に第1刷発行と奥付にあり、さらに「1972.6.7読了」と記してあります。このたび、本書を再読し41年ぶりに読了し、コンパクトな本ではありますが、あらためて名著であると感銘を受けました。




本書は、小倉金之助氏への私信として書かれたものだそうで、次のような構成になっています。

第1話 黒船~汽走艦隊の出現~
第2話 蒸気船をわれらの手で~大船建造始まる~
第3話 出島のオランダ海軍士官
第4話 咸臨丸の太平洋横断~横断までのみち~
第5話 日本最初の重工業~長崎造船所~
第6話 イギリス艦隊鹿児島を襲う
第7話 蕃書調所覚書
第8話 汽船ブーム~文明は蒸気から~
第9話 勝海舟と坂本龍馬~神戸海軍伝習所を中心に~
第10話 新任フランス公使ロセス~横須賀の誕生~
第11話 大福帳から銃剣へ~幕末日本数学の変貌~
第12話 維新の洋学者たち
第13話 二つの兵学校(沼津と築地)
第14話 アジアの変革と文明開化

ひとつひとつの話が実に興味深く、しかも実習実技を伴わない独学の限界を指摘し、長崎や神戸における実地の海軍伝習の高い水準を評価します。このあたり、薩長史観で書かれた本とはまるで違う、冷静な記述です。例えば、長崎海軍伝習所で教えられていた航海術の講義を、ピラールの航海書というテキストと伝習生の講義ノートの両方から推測するあたりに、よくあらわれています。

ピラールの航海書というのは、上巻が理論編で547頁あり、下巻は対数表などの数表で476頁におよぶものだそうです。上巻の内容構成は、

第1編 数学
第2編 経緯度、コンパスなど(地球・地図)
第3編 天文と天測法
第4編 時刻・子午線など
第5編 各種計測法

となっており、数学、天文学、地理学の初歩を概説してから航海に必要な知識を述べるという標準的なものだそうです。数学には122頁を費やし、算術、代数、対数、幾何、平面及び球面三角法を説く内容とのこと。具体的には、例えば三角法における伝習生のノートには、こんな内容があるそうです。



うーむ。半年前までほとんど基礎知識もなかった青年がこれを理解しようとしている事態を考えると、たいへんな困難が予想できます。もし、自分がその立場に置かれたらと考えると、いささかどころか、背中がゾッとします(^o^;)>poripori

また、著者の専攻分野である数学史の観点からは、単に西洋数学の無条件導入であったわけではなくて、和算の伝統を踏まえて、初等算術は大丈夫だったけれど、航海術など実地の裏付けのなかった球面三角法や対数などの分野では、西洋数学の導入によらざるを得なかったことなど、やはり実地の実践を重視する立場を貫いています。このあたりも、一貫した著者の立場に好感を持ちました。

当時は1冊150円だった岩波新書ですが、今では絶版になってしまったのでしょうか、Amazonで調べてみると古書でのみ購入できるようです。できれば再刊・復刊してほしい本の一つです。

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Windows7で自動更新されたIE10を旧版に戻すには

2013年09月04日 06時06分30秒 | コンピュータ
某所で、Windows7 で対応できていた某サイトが、急に開くことができなくなりました。メッセージを見ると、InternetExplorer6,8 以外では使えません、とあります。ブラウザのバージョンを確かめると、自動更新で IE10 になっておりました。そのためにはじかれてしまっているのでしょう。なんともはや!な事態ですが、なんとかしないと埒が明きません。「最近は Windows はご無沙汰なんだけど」とかなんとか言いながら、対応することにしました。

まず、IE の自動更新を停止しておかないとすぐに IE10 に更新されてしまいますので、これを対応する必要があります。
(1) 「スタート」メニューから「プログラムとファイルの検索」で「自動更新」と入力、WindowsUpdate を探します。
(2) 「設定の変更」→「重要な更新」を「更新プログラムをダウンロードするがインストールを行うかどうかは選択する」に、「推奨される更新プログラム」についても同様にして「OK」します。

続いて、IE10 を旧版に戻します。
(3) 「スタートメニュー」→「コントロールパネル」→「プログラム」→「プログラムのアンインストール」→左側メニューの「インストールされた更新プログラムを表示」をクリック→InternetExplorer10 と LanguagePack を削除します。
(4) 再起動します。

某所では、これで最初に導入されていた InternetExplorer9 に戻り、某サイトも開くことができるようになりました。良かった良かった(^o^)/

本来は、InternetExplorer6 や 8 などに特化したサイトにすること自体が問題なのだと思いますが、こうした対応でようやく当座をしのぐことができました。やれやれです。

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宮城谷昌光『草原の風』(下巻)を読む

2013年09月03日 06時03分21秒 | -宮城谷昌光
新聞小説として連載されていたものが単行本化された、宮城谷昌光著『草原の風』の下巻を読みました。奥付を見ると、2011年の12月に中央公論新社から刊行された初刷ですので、もう二年近く経つことになります。早いものです。この間、たしか三読くらいにはなるはず。記事にするには時間がかかりましたが、面白さと読後の後味の良さが、とくに印象的です。



劉秀が河北を平定するためには、真定王の劉楊と同盟を結び、偽帝の王郎を倒さなければなりません。ところが劉楊は、姪の郭聖通を劉秀の後宮に入れて姻戚となることを条件とします。陰麗華を悲しませたくないという思いは強いけれど、同盟をせずに単独で戦う場合の兵の命と時間の損害を考慮すれば、最善とは言わないまでも、仕方のない判断と言えるのでしょうか。このあたりの、政略結婚に対する考え方が、庶民と貴人の立場の違いに由来するのでしょう。

劉秀の名が高くなるにつれて、味方が増えていきます。とくに、上谷の騎兵が加わったのは大きく、ついに王郎の籠もる邯鄲城を包囲します。徳のない僭称者・王郎には全く援軍が来ません。ついに城は陥落し、王郎は討たれてしまいます。そして邯鄲城の広場に文書や書簡の類を山のように積み上げた劉秀は、これに火を付けてすべて焼き払い、報復を予想した諸将の不安を一掃するとともに、人心を掌握してしまいます。このあたり、陰惨な粛清を常とする中国古代の歴史小説の中で、光武帝劉秀の物語が、清々しさを感じさせる理由の一つでしょう。

王郎の勢力を一掃した劉秀に対して、更始帝の側は疑いの目を向け、なんとかして彼を呼び戻して無力化しようと計画します。しかし劉秀は、使者に対して、蕭王の称号は受命するが河北の平定は終わっていないことを理由に帰還は断り、大量の贈り物を持たせて返してしまいます。蕭王となった劉秀らはさらに従わぬ者たちを平定しながら軍を進めて南下し、洛陽に迫る位置に達しますが、そこから直接に洛陽を攻めることはせず、再び北に向かいます。このあたりは、更始帝と赤眉の軍が対戦すれば赤眉が勝つことを予想し、その後にこれを討つ、という形をとりたいという戦略的判断でしょう。ストレートに都に王手をかけるのはカッコ悪いのです。



物語の最後の二章は、あまりあからさまにせず、割愛したほうが味わいが残るでしょう。光武帝の物語の後味の良さは、故郷で庶人を招待した最後のエピソードでも発揮されています。終わりは駆け足になりやすい著者にしては、しゃれた余韻の残る閉幕です。

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上げ底でも黒髪~ヘアドライヤーの使い方

2013年09月02日 06時01分46秒 | 健康
近頃、白髪が増えてきたとはいうものの、外見上はまだ黒髪と言ってよいくらいです。幸いに大きな病気もせず健康であることが大きいと思いますし、今まで整髪料というものを使わず、洗髪して乾かすだけという流儀を守ってきたこともあると思いますが、やはり大きいのはヘアドライヤーの使い方だろうと思います。本日のお題は、「上げ底でも黒髪」(^o^)/

ヘア・ドライヤーなるものを初めて使ったのは、たぶん坊主頭から髪を伸ばし始めた高校生の頃ではなかったかと思います。使い方を教えてくれたのは、母方の叔父だったように記憶しています。たしか、洗った髪を乾かすには、頭を前に下げたまま、首の後ろから頭頂部の方へまず乾かし、髪全体は下から上へ温風を当てて乾かすというものでした。当時は、なぜそんなやり方をするのかわからず、不合理な方法だと思った印象がやけに鮮明です。

ところが、欧米の人は髪の毛が細いので、上から温風を当てて乾かすと、髪の毛がペタッとなってしまって、ボリューム感が出ないのだそうで、あるテレビ番組で、頭を下げて下から風を当てて乾かすやり方をとっているのを観ました。ああ、なるほど、叔父が伝えようとしていたのは、このことだったのだなと、はじめて合点したものです。道具には使い方というのがありますが、日用品化すると、適切な正しい使い方が伝えられているわけではない、ということなのでしょう。

で、還暦を過ぎた私の髪の毛は、洗ったばかりだと黒白がまじりあって、年齢相応に見えます。ところが、整髪料も使わず、このような方法で乾かすと、白髪はペタッとなりますが、黒髪はコシがあるためかふわっと上に出てボリューム感が出ます。つまり、内部は白く外部は黒い、「上げ底黒髪」になるのです(^o^)/


なに、人は見た目がナントカだそうですから、上げ底だろうが何だろうが、ドライヤーの使い方しだいで黒髪っぽく見えるのであれば、いいんじゃないでしょうか(^o^)/



何でまた、つまんないことを自慢してるのよ。見た目が大事なのは、ネコだって同じ。アタシたちなんか、毎日お手入れを欠かさないのよ。だからこのビボーを維持しているんじゃない。人間なんて、お金を出してケムリをもくもく吸い込んだり、いっぱいストレスを抱え込んだり、ほんとにビボウに悪いことばかりしているんだから。

おいおい、それを言うんなら「美容に悪い」だろ? でも、そうだね~、その点は確かに言えてるかもね~。ストレスが大きいと、白髪も増えるものね~(^o^;)>poripori

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夏の花ムクゲがまだ咲いている~8月下旬から9月初旬の農作業

2013年09月01日 06時02分36秒 | 週末農業・定年農業
当地の気候は、朝晩はだいぶ涼しくなりましたが、日中はまだまだ残暑が続きます。白やピンクなど、何種類かあるようですが、強い陽光にも弱る様子を見せず、隣家の庭にもお寺の境内にも、ムクゲの花がまだたくさん咲いています。

国道13号を走るとき、ちょうど山形空港の東側のフェンスに添ってこの花が咲いているのを見て、何という名前の花なのだろうとずいぶん長いあいだ疑問に思っておりました。先年、ムクゲという花であることを知り、ようやく積年の疑問が解決しました。



さて、8月下旬から9月初旬にかけての週末農業の様子を記録しておきましょう。まずは、草刈り前の草ぼうぼうの果樹園です。



これが、草刈りを済ませた後の様子です。



刈った草がまっすぐ一列に積み重なるように刈るのが上手なやり方なのですが、どうもまだ修行中なものですから、曲がったりうねったりしているのは仕方がありません(^o^)/

今後の予定は、サクランボの樹に堆肥を与えることと、早期落葉防止のためにボルドー液を撒布すること。ボルドー液は、リンゴの消毒にもなります。こうした作業効率を考えると、草刈りは大事な管理作業です。

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