志情(しなさき)の海へ

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「首里子ユンタ」と≪あがろーざ節≫ーーー古典や民謡を勉強しなければ、と切に思います☆

2013-11-09 10:53:05 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他

http://taru.ti-da.net/e1816680.html  ≪たるーの島唄まじめな研究≫サイトより転載

 

あがろーざ節 (八重山民謡) 

あがろーざ節
'あがろーざ ぶす
'agarooza bushi
語句・あがろーざ 東里 東の里(あがりぬさとぅ)が訛ってこうなったという。(「八重山民謡史」喜舎場永) 石垣島、大川村の東の里、登野城村に伝承されていた子守唄。

(発音 「」「i」は中舌母音)

あがろーざぬんなかにヤゥ ヤゥイ 登野城ぬんなかにヤゥ ハリヌクガナ
'あがろーざぬ 'んなかに(よー よーい) とぅぬすくぬ'んなかに(よー はりぬくがな)
'agarooza nu 'Nnaka ni (yoo yooi) tunusuku nu 'Nnaka ni (yoo hari nu kugana)
(囃子以下省略)
○東里(村)の真ん中に 登野城の真ん中に
語句・んなか 真ん中 


九年母木ば植べとぅーし 香ばさん 木ばさしとぅーし
くにぶんぎば'いべとぅーし かばさんぎばさしとぅーし
kunibuNgi ba 'ibetuushi kabasaNgi ba sashituushi
○九年母(の)木を植えてあった 香り高い木を差してあった
語句・くにぶんぎ 九年母〔実生から結実まで九年かかる〕みかん(などの柑橘類の総称)(琉) 

九年母木ぬ下なか 香ばさん木ぬ下なか
くにぶんぎぬすたなか かばさんぎぬすたなか
kunibuNgi nu shitanaka kabasaNgi nu sitanaka
○九年母木の下に 香り高い木の下に

子守りゃ達ぬ揃るゆてぃ 抱ぐぃ姉達ぬゆらゆてぃ
ふぁむりゃだーぬするゆてぃ だぐなだぬゆらてぃ
hwamuryadaa nu suruyuti dagi nada nu yurati
○子守り達が揃って 抱き姉達が寄り合って

子守りゃ達ぬ言葉ぬ 抱ぐぃ姉達ぬむにゃいぬ
ふぁむりゃだーぬむにゃいぬ だくなだぬむにゃいぬ
hwamuryadaa nu munyai nu dagi nada nu munyai nu
○子守り達が言うには 抱き姉達が言うには
語句・むにゃい 言うに <むに 言葉  むにゆむん しゃべる (石)

腕ば痛み守りひゅうば かやば痛み抱ぎひゅうば
'うでぃばやみむりひゅーば かやばやみだぎひゅーば
'udi ba yami muri hyuuba kaya ba yami dagi hyuuba
○腕が痛む(ほど)守りしたので 肘が痛む(ほど)抱いてあげたので

大人ゆなりとーり 高人ゆなりとーり
'うふぴとぅゆなりと-り たかぴとぅゆなりとーり
'uhupitu yu naritoori takapitu yu naritoori
○大人になってください 高い人になってください

墨書上手なりとーり 筆取るぃ上手なりとーり
んかきじょうずなりとーり ふでぃとなりとーり
shiNkaki joozi naritoori huditiri naritoori
○学問(に)優れてください 

沖縄旅受けおーり 美御前旅受けおーり
'うくなたび'うけおーり みょーまいたび'うけおーり
'ukina tabi 'ukeoori myoomai tabi 'ukeoori
○沖縄(本島への)旅(の命を)受けられ 首里王朝(への)旅(の命を)受けられて
語句・おーり 尊敬の意味をあらわす「おーるん」という補助動詞の連用形 

月ぬ形買いおーり 星ぬ形買いおーり
ぬかたかいおーり ふすぬかたかいおーり
tsiki nu kata kaioori husi nu kata kaioori
○月の形(の模様の衣装を)買ってきて 星の形(の模様の衣装を)買ってきて
語句・ぬかた、 ふすぬかた 月や星の模様のある着物。

産しゃる親とぅゆまし 守りゃる姉名とぅらし
なしゃる'うやとぅゆまし むりゃる'あんまなーとぅらし
nsharu 'uya tuyumashi mryaru 'aNmanaa turashi
○産んでくれた親(を)有名にしなさい (子)守りしてくれた姉(に)名(を)取らせなさい
語句・なしゃる 産んでくれた <なすん 産む 生む ・とぅゆまし 響(とよ)ませよ 有名にせよ
<とぅゆまりん 世に鳴り響く ・あんま 姉  八重山では「あんま」は姉。母は「あっぱ」。・とぅらし 取らせよ <とぅらすん 取らせる 与える 「名をとらせる、与える」は「有名」にすると同義であろう。

 

八重山民謡。
子守唄。

昔は、子守は親の仕事ではなく、多かったであろう子どもたちの年長の姉たちの仕事であり、親たちは人頭税を払うための労働に借り出されていたわけである。
その頃の、子守をしたものへの恩義を出世で返しなさいという「教訓歌」である。
これを歌いながら、姉さん達が、子守をしている上で九年母木が揺れていたのであろうか。
「八重山民謡史」(喜舎場永)によると、「『鷲の鳥』の作者作曲者である大宜味信智氏が、自分の村(大川村)の東の里、すなわち登野城村に伝承されていた子守唄の美談から取材して作歌作曲したと子孫や登野城の古老gは伝えている」とある。
宮古島にも「東里真中節」として伝承されているという。

 


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