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送られてきた詩誌や詩集、注文した詩集を読んだりしている。今日紐解いた『あすら』59号!普段詩誌をほとんど眼を通していなかった!
『あすら』59号は送付してくださった佐々木薫さんに感謝の気持をこめてこのブログで紹介します。
この玉木一兵さんの巻頭エッセイは沖縄の戦後据え置かれた状況を比喩してあまりある。死角の二語が示唆するものは爆薬のようだ。表層の億に潜んでいる「天魔」はいつでも見え隠れしているのかもしれないのだから~。
寄貨とは「利用すれば思わぬ利益を得られそうな事柄・機会。」
「道士らが王室の李姓であるのを―として、老子を先祖だと言いなし」〈鴎
読んだ詩編についても所感を書きたいが、それはちょっと時間がかかりそうなので~。癌と闘っていた詩人は新聞社を退職後ー詳細はまとめる予定ー年金収入が主で抗ガン剤の投与を受けたり手術などで1年で200万円ほどの出費があり、紙パンツなどの雑費を含めるとこの間それ以上の支出だった。ー神のような方が手をさしのべて下さった-。パソコンの中に書きためていた詩集を出す切っ掛けを作って下さったのが『あすら』の同人の皆さん方だった。それほど高くはない柔らかい表紙でハードカバーではない。ハードカバーだと60万から100万はするのだろうか。いずれ出版したいと思っていたのは事実だったと思うが~。しかし、自らの死を意識した詩人は『あすら』の佐々木さんの励ましに応じる気になったようだった。最後の詩集に向かう気力は、ある面遠慮も見られた。思うようにレイアウトに向き合えなかった。詩編の文字のフォントも意図したものではなかった。
詩集で何らかの収益があると聞いたことがない。ほとんどが自費出版だろうか。詩が小説のように売れるものではないのらしいことはよく分かる。ゆえに詩は尊いのかもしれない。ある面多くの人々に届く詩集が限られてくることを意味している。
どなたか、ブレヒトのお名前でこのブログに「真に価値があるのは詩人である。彼が前を通るとき、散文家は身を引いて道を開けねばならない」の貴重な金言を送ってくださった。詩人は古来からいわば予言者であり、シャーマンのように世界(社会)を照らす存在なのかもしれない。しかしはじめにことばありき、のことばの重みが最近は軽くなっているのだろうか。詩とは?詩人とは?ここしばらく、改めて詩集をよむことになりそうな現況~。
東京の詩人の渡辺めぐみさまからも詩誌が送られてきた。その詩編には病室にいた時の電話のやりとりが鮮やかに切り取られていて、やさしさにあふれている。このブログにUPするのを了解していただいたにもかかわらず、なぜかぼー-としていて、時だけが過ぎている。ここに彼女の詩編を紹介したい。
この詩は渡辺さんから年賀状をいただいて、それを病室に届けた時、すぐに東京に電話して御礼の挨拶をした時の様子が描かれている。詩人は電話魔のように話すのが好きだった。孤老の時を自らの六畳の部屋と隣のテレビを置いた四畳半ほどの空間で過ごしていた。電話で時に東京や大阪、沖縄の詩人のみなさんと長電話することが唯一の精神を鼓舞する時間だったのかもしれない。パソコンに向かったり詩集を読んだりしている様子だったが、何度も何度も同じ詩集や詩論を読んだりしている姿があった。