(梅雨が明けた那覇の朝)
最近のJapan Focusの編集は優しくなっていて、英語のオリジナルに日本語訳がついていたりする。そうした論稿でもよしとするが、英文オリジナルをしっかり読んだ痕跡を示せ、と学生には課題を出している。その要約と各自のコメントを英文で書いて発表だが、要領よくやれる学生もいれば、四苦八苦、日本語で一部まとめてくる学生もいる。
3・11以降のJapan Focusは 原発など、福島の問題や津波の跡の状況が次から次へと続いた。学生たちとそれらのエッセイや論稿に向き合いながら、熾烈な状況との格闘があり、そこで浄化されていく感情があったのは確かだ。取り巻く環境の変化がそこから見えてきた。沖縄の枯葉剤の問題が数度発表されたりもした。そして、現在一人の学生が持ってきたのはJpanese Youth:An Interactive Dialogue:Towards Comparative Youth Research(日本の若者ー四者対談ー比較若者文化へ向けて)などである。グループ発表では、インターネットのセキュリティーやゲーム理論、ゲーム文化についての発表があったりもする。そして日中関係と観光、グローバル企業経営とスポーツなど、現況にかなりコミットした問題も取り上げられた。そして環境問題もいつもテーマになる。話題のTPPも。彼らがどんなトピックを持ってくるか、によって現代の若者たちの関心がどの辺にあるのか幾分見えてくるのは面白い。
『絶望の国の幸福な若者たち』『A Sociology of Japanese youth』の著者の対談、若者研究の国際展開を目指してなどがある。2050年の日本の状況が論じられたりする。未来の予測、格差社会が進化し、用途制限的ベーシック・インカム、部分最適社会?全員参加型社会、など、なるほどで、フランスのように男女はみんな労働者、何らかの形で自立して社会の構成員、かな?主婦がいなくなった社会で年齢制限もなし、好きな時に好きなだけ働き、柔軟な労働状況で、多様な価値に生きている。んん、未来学などは面白い、未来の予想は人間の想像(創造)のベクトルの先にあり、希望と絶望の織り成す綾の交わるところか。比較ー共通点と差異の検証は常に問われる。収斂理論に収まらない新しい理論?
de-commodification, stratification, de-familialization
無意識の「思い込み」とずれたところにあるもの、分析のレンズを変えてみると、オルタネイティブな現実が見えたりする。なるほど!少しじっくり読んでみよう!従来の決まりきった視点(無意識の刷り込み)を変えることが要求されている。いつでもだが、人は「思い込み」をまたしかし、生かされ、生きてもいる。
ああ、鳩が鳴いている!くーくクククル、クーククククク