【首里城の舞】 若衆特牛節 渡嘉敷流あけぼの乃会 2016.4.16
https://youtu.be/C35FecgMJts
渡嘉敷流の型の違いがよく分りますね!びっくり!渡嘉敷流が王府時代からの流れを継承していたのですね!足の動きに注目です。多良間の八月踊りがまた観たくなりました。足遣いが似ていますね!
【首里城の舞】 若衆特牛節 渡嘉敷流あけぼの乃会 2016.4.16
https://youtu.be/C35FecgMJts
渡嘉敷流の型の違いがよく分りますね!びっくり!渡嘉敷流が王府時代からの流れを継承していたのですね!足の動きに注目です。多良間の八月踊りがまた観たくなりました。足遣いが似ていますね!
若衆の赤の衣装の袖の部分に裏地が付いていなくて、ヒラヒラですね。初めて拝見した衣装です。
踊り形の特徴というより、顔の向きや表情に特徴があるといえましょう。右周り「ちり返し」のとき、正面をにらみつけるような表情を残していますね。全体的に踊子さんの表情が硬いです。
若衆の演目は王朝時代歓待の宴で最初に演じられた演目だということですね、そして、若くういういしく艶やかであるべき演目だと思いますが、正面をにらみつける目付けの踊り形そのものが怖い印象を受けました。
残念ながらこちらの動画の舞いには琉球舞踊の品格が備わっておりません。
流派に関係なく、踊りの「形」に関係なく、踊りとは?品が大事だという風に思います。
着付けや化粧に関しては琉球芸能は総体的に問題がありますね。王府時代に化粧はどうだったでしょうか?戦前は?酒座での歓待芸能ですが、王府時代の舞踊の質やレヴェルは、どうだったでしょうか?矢野さんの『沖縄舞踊の歴史』では、盛重さんの言葉を引用して、近代以降がはるかに良かったとしていますね。
表情や顔の向き、姿勢も注視したいのですが、渡嘉敷流の個性なり特徴に関心があります。足遣いが目に入りました。最も他の流派と異なるかと思います。←貴重!
宮城流の能造先生の戦前の舞踊の録画がありますね。現在と差異がありますね。王府時代から近代、戦後、復帰後と変遷が見られますね。
着付け、化粧も含め歴史の変遷が纏められるべきだと考えています。県の文化財課の芸能担当はきちんと纏めてほしいですね。最近の組踊、舞踊の化粧は、ちょっと白塗りが凄いですね。個人差もありますね。
もっと自然の色合いは出せないのでしょうか?疑問です。
映像を見た感じ、首里城の舞への誘いという、観光客の方々に見てもらうことを目的とした舞台の映像か
踊り子さんも見た目的にに若手の舞踊家さんではなかろうか、10?20代?
若手の舞踊家さんは、まだまだ まだまだ研鑽途中のはず
こういった機会に出演し、舞台経験を積んでいるところかと
それで、その流儀の品格まで問うのは、ちょっとどうかと個人的に思うが
観る人の好みもあるしですね
沖縄人さん
ベテランの方の踊りをみて、個人的批評(批判ではなく、批評)をするのは、まだいいとして、
まだまだ研鑽中の若手舞踊家ですから
温かな眼まなこで みてもいいと思いますよ
また、若い子達が伝統芸能に取り組む姿、それ自体がベテランにはない美しさがあると個人的に思ってる、貴重な人材です
厳しいコメントにも耳を傾け芸の肥やしにして頑張れ
本動画の所作の一つ「ちりかえし」の時の身体の向きについて、心臓と身体が左角を向いているのですが顔が正面を向いたままですね。まず空手の基本とは、身体方向を変える前に顔が左角に向くべきですね。心臓と身体が左角向いているにもかかわらず顔が正面を向くことは空手の形として存在していないのでは。
流派や踊る年齢とは無関係なことだとおもいます。
若い方であっても舞踊解体ができるまで追求することが研究所のメンバーとしての責任なのではないですかね。
個人的に読んで頂きたく再度の投稿です。
ダンスの基本は、バレエ、日舞、沖縄舞踊、あるいは他国の伝統舞踊も基本のところは同じです。
方向転換(身体の向きを変える)の際、バレエもターンを行うとき、顔が先に方向転換先に向けます。
そうでないと、おかしな踊りになるのです。身体のバランスが壊れ、上手にターンが行えないのです。
琉球舞踊が特殊だとおもいきや、実はそうではありません。琉球舞踊の古典女踊りは特殊な技法を保てていますが、若衆や二歳舞踊は、大和芸能の技が導入されつつ練り上げられています。
扇使い(手の多さ)は、日舞と琉球舞踊を比較してみると琉球舞踊は扇使いの形が非常に少ないです。いわゆる、琉球舞踊には、四季折々の風景を扇で表現していません、それは土地柄が背景にあります。雪が降らない沖縄県で雪の表現は合いませんね。
若衆くてぃ節は大和風の技法が導入された舞なんです。祝儀舞踊の演目として常盤なると、大和風の歌詞ではじまりますね。
琉球舞踊家さんたちが勘違いをしがちなこととして、大和と違うと思い込んでいるところです。
秋の踊りは沖縄舞踊らしくない演目ですね。二歳踊りの上り口説も大和の二歳踊りに似ているかとおもいます。着付けもまさに歌舞伎二歳どおりのコピーです。
動画の若い集の踊りの足幅(前立ち)は、二歳どおりのように広いですね。本来は、若い衆の役柄を演じる最には、足幅はすこし狭めに立つとおもいます。
ここでは流派の形について多くのコメントされているのですが、本来、踊りの基本所作さえ理解できていない舞踊家さんが人形のように仕込まれて、意味を解説できていないのではないでしょうか。
研究とは、けして上から教わるだけではありませんね、アーチストとして、自ら外に出て他国の伝統芸能と比較研究し、かつ、自分の国の伝統の歴史(沖縄のみならず他県とのかかわりかた)なども率先して学ぶ姿勢が大事だとおもいます。
沖縄舞踊は隣国の伝統芸能のチャンプルーです。空手所作、大和の踊り、インド舞踊、インドネシア舞踊、中国の伝統舞踊、それぞれの国の伝統芸能の形において、顔が先にターン先にむくことはダンスにおいて基本中の基本です。
では、わたしのコメントはこれくらいでおわります。
たまたま『沖縄文化の古層を考える』の中の三隅治雄氏の「コネリ手文化圏と沖縄の芸能」を読み返したのですが、ガマクや足指の動き、違和感ないですね。空手が導入される前の原型があるはずですね。男芸と女芸の異なる系譜もあるのですね。
それから十分品格ありますね。
9月24日の渡嘉敷守良襲名公演でたっぷり渡嘉敷流の舞踊、その個性・特徴(型、わざ)を鑑賞したいと考えています。沖縄人さんも是非ですね。
二才踊りの大和(本土)からの影響の変遷はまだ詳細に研究がなされていませんね。南方との関係は「コネリ手文化圏」の中で指摘されていますね。
渡嘉敷流の他の流派との違いに視線が向いています。
二才踊りに本土芸能の影響があり、コネリ手文化圏は奄美からインドまで?でしょうか?
琉球舞踊の良さをもっと味わいたいですね。
これからもご教示よろしくお願いします!
空手と琉球舞踊の類似や比較研究はいろいろなされていますね。空手の型の影響など、確か動画で観た事があります。
いわゆる「すり足」になっていないのです。
伝統舞踊や武道(茶道なども含めて)、「すり足」は基本中の基本ですね。
すり足とは?
足の裏全体を地面に付け空気をいれずに歩むことです。能舞や狂言舞や日舞や歌舞伎舞も同じ技法です。
地面のパワーを身体に流しこみつつ、踊る側の「気とパワーを」観る側に(客席)に伝えることが、すり足の基本所作の意味だと理解しています。
ところがどっこい、渡嘉敷流のかぎやで風の足は、すり足になっていないのです。歩み手法が、かかと上り、つま先歩み、歩みの最後につま先がポンと上がる。
すり足をやらず、独特の足さばきが特徴とする流派であるならば、そのような足さばきに至った経緯とすり足をしないことへの解説をしていただきたいと思います。
普通に古典舞踊を嗜む人間において、かかとあがりの、つまさき歩み(足に空気が入っている歩き形)、観ていて違和感さえ感じると思います。
古典舞踊の基本所作からはずれた形をとられているわけですね。
形(振り付け)の違いは、流派の特徴を出す意味でよいとおもいます。
瓦屋の古典女性踊りのすり足は普通におどれていますね。が、かぎやで風の男性役の足さばきと古典女踊りの足さばきが違う流派って存在しているのですね。
沖縄舞踊の象徴である「かきやで風」の、すり足が守られていないことについて、とても興味深い点ですね。
「渡嘉敷流が古いのです」ということですので、別な動画もチェックしてみました。
前の浜の振り付けが独特で面白い。足さばきに独特の技法が継承されていますね。迫力のある足さばきだと思います。
前の浜はすり足で躍っています。