いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

判決の甘い風。 generous current of decision

2017-02-09 19:49:05 | 日記
 (1)2013年三鷹市で待ち伏せされた女子高生が元交際相手に殺害され、ネットにいやがらせ目的で同女子高生の画像を投稿して「リベンジポルノ」として問題化した事件で、1審は無期懲役求刑に対して懲役22年を判決し、控訴した2審は25年求刑のところ同じく懲役22年と判決されその後検察、弁護側双方が上告せずに判決が確定した。

 被害者の両親はメディアへの談話で「(判決が)被害者という立場を離れても、軽すぎる」と訴えた。

 (2)事件は待ち伏せ殺害という執拗な用意周到な極めて悪質なもので、情状の余地などない卑劣さだった。最高裁の判例では殺人罪の場合、被害者一人の場合は原則として死刑判決はなく、複数者の殺害を要件としている。

 人間の「生命」の価値を一人と複数者で区分するという、差別化の訳のわからない不合理な判例となっており、過去の判決との整合性、正当性を基準とする判決では判例主義が遵守基本となっている。

 (3)しかし最近の判決ではそれ以外でも極めて非道、悪らつな事件でもどちらかといえば比較軽い判決が下されるケースが目に付く。報道でもそのたびに被害者家族からは冒頭談話のように被害者感情を無視した不条理な判決との批判が聞こえる。

 背景には世界的な傾向にある死刑廃止論の流れの中で、加害者の社会迎合(復帰)活動の中での更生を目指す人道的な人権配慮が見て取れる。
 日本は世界の中でも数少ない死刑制度国であり、戦後のえん罪事件が続いて国内でも死刑制度廃止の声が高くなっている。

 (4)同じく死刑制度を有する米国でも廃止の声が多くなっている(報道)といわれる。この傾向は犯罪者の増加で収容施設(刑務所)が不足して、米国ではすでに早くから犯罪者収容施設を民間に委託しており、日本においても犯罪が減少しているとはいえ再犯率も高くその傾向は今後考えられる。

 そもそも人が人を裁く不条理(unreasonableness)の世界の裁判で死刑制度がふさわしいのかの論議はあり、それにかわる終身刑の無期懲役刑は考えようによっては個人の自由、権利、人権、人格を生涯にわたって拘束するもので、非常に重い刑期ともいえる。

 (5)冒頭の事件でも1審無期懲役求刑に対して懲役22年判決の意図は報道内容だけではわからないが、事件性から被害者感情からはかけ離れた司法判断といえる。
 裁判所が判例にもとづく判決の歴史的整合性、正当性として、犯罪者にも人権社会の崇高なパラダイム(paradigm)を知らしめる高い役割を果たしているとも考えられる。

 トランプ大統領の大統領令に対して、米国の伝統的民主主義、理想主義を守る連邦控訴裁判所の判決が示せれるのか、分断社会の今後の行方も左右するものになる。

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