いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

機密主義。(国会議員の守秘義務) confidential principle

2012-02-29 19:35:34 | 日記
 (1)議院内閣制の国民の付託を受けた政治では、殊更(ことさら)本来「機密(confidential principle)」などがあってはならない。国益に有利に働くようにと(または主導するように)「手の内」を見せないことが政治、政策スキルのように語られるが、独断と偏見の自己満足、独占欲、権力欲のカラ回りにすぎないのは歴史が証明している。

 外交機密で語られる政治の機密性だが、結果として国民の預かり知らないところでの驚くべき国民の負担、投資(税)と引き換え(package)の「成果」でしかないのが「機密政治」だ。
 72年の沖縄返還交渉では、駐留米軍施設維持費に民間人(家族)のインフラ(infrastructure)生活費まで国民投資(税)で負担するうえに、核兵器の持ち込み(搭載艦の入港)黙認という「密約(secret promise)」に沖縄への米軍基地集中、治外法権化による過重な周辺住民の生活、安全、権利侵害と引き換え(package)の沖縄返還だったことが、米国外交公文書公開によってあきらかになった。

 (2)「機密」とは、その構図から構造的に国益に有利なために主導する政治スキルなどというものではまったくなくて、政治家の自己欲、権力欲、名誉欲の私利私欲の手段にすぎないことが分かる。

 尖閣諸島沖中国漁船衝突事件にかかわるネットを使った海保官による映像流出事件で、政府の統治能力、行政能力、外交能力の欠如が衆目のもの(外交優先による処分保留のままの中国人船長釈放)となったことの言わば政府の「腹いせ」のための法規制による公務員(国会議員は対象外)ほかの「機密」保持を目的とした秘密保全法案に関して、政府はさらに国会に「秘密・機密」の(妥当性)審査委員会を設置して「国会議員」にも「守秘義務」を課す法規制を検討している。

 (3)国民の付託を受けた国会議員は、国会内はもちろん、内外に向けて広く自由な発言、発信は職務上必要要件として保障されており(されるべきであり)、今回の対応検討は民主主義の原理原則に反する国家統制につながるもので、秘密保全法案と合わせて到底認める訳にはいかないものだ。

 いったい、どの時代のどこの全体主義国家の話なのかと、目を疑うばかりの政治の有り様、うろたえぶりではないのか。

(4)世界政治、社会は、イデオロギー主義(対立)から経済協調主義(協力)へと変化、変革してグローバル化が方向性だ。歴史観の違いによる問題を乗り越えられない現在とはいえ、壮大な政治、経済、社会実験の「EU」化、共有化もあり、政治の世界における「機密」の利用価値も存在意味を見失っていくのは時代の方向性だ。

 そもそも国民に知らしめもしないで、国益目的という「機密性」など存在意味、意義、理由もなくて、本来あってはならないことだ。
 少なくとも民主主義国家では国民とともに国民論議の中で問題認識を共有して、解決に当たるのが国益論だ。

 今回の民主党政権の秘密保全法案、国会議員の守秘義務(審査委員会設置)などとは、起因した原因構造(ネット流出による事実関係の開示への政府の腹いせ)からも、適正、妥当性を著しく欠くもので、到底認める訳にはいかない。
 

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存在意義のない経団連。 nonexistence the federation of economic organization

2012-02-28 19:29:49 | 日記
 (1)日本をダメにしたのは政治家だけではない。経団連(the federation of economic organization)は、経済成長著しい時代には推進力となった大企業の企業利益優先主義で「力」を誇示しての両輪として政治を支え、労働団体の総評と日本経済の「相場(public estimation)」をつくってきた。季節恒例行事の春闘だ。
 政府、首相の外国歴訪では経済訪問団を構成して滞同して、日本経済の影響力を誇示してもきた。自民党政権時代には、既得権政治の利益も共有、支えてきたのだ。

 日本のモノづくり、経済成長を支えてきたのは日本企業群の80%を占める中小企業群なのだが、20%の大企業群が日本経済の利潤を半ば独占して都合のいい相場をつくってきた。
 まるで国内経済不況、深刻な失業率の米国で起きた1%の大富裕層の経済支配に反発した99%の貧困デモの構図と似ている。

 (2)経済成長もバブル(bubble)と消えて安定不況時代に入ると、経済のグローバル化のスピードの中で企業ごとの置かれた経済環境は様々で、企業内での「生き残り」戦略、戦術の事情、考慮、高まり、危機共有で経団連とか総評などという利益団体の役割は以前ほどの影響力を持ち得なくなった。

 今、日本では長引くデフレ、雇用不安、急激な円高(直近ではやや円安傾向にある)経済で国内経済、企業群は大打撃を受けており、生産拠点の海外移転、経済好調の新興国進出志向が強まって国内経済はスパイラル(spiral)にさらに深刻さを増している。大学卒業生の10万人程度が就職できない現状だ。

 (3)こういう時代にあっても経団連のやる事といえば政府への援助、支援要請一点張りで、自ら組織だって行動、理念、変革を起こすことはなく、消費税増税は容認するが法人税据え置きには反対と不況脱却の「相場」をつくることなど出来ないでいる。
 大企業の企業利益優先主義が露骨になって、ただの都合主義、圧力団体となっているのが現状だ。

 政府の東電国有化、解体論、電力自由化策に対しては、経団連の中心をなしている東電を経団連は一貫して援護し、今回の電気料金の大幅値上げに対しても「値上げするなと言われたら、電力会社は全部つぶれてしまう」(報道)と援護している。

 被災地住民の生命、財産、生活に半永久的な被害を与えて、賠償責任もほとんど進展しない中での「(大規模事業電力の)値上げは権利」と独断専行思考、自ら身を切る努力も不十分な中での自己利益、企業保護体質の電力値上げに問題があるのであって、これを一方的に擁護するだけの経団連の「度量」、識見のなさには、最早、時代と使命をなくした存在感(nonexistence the federation of economic organization)しか見えない。

 (4)政治と経済の負産がリンクしたグローバル経済への日本経済の効果的な対応の遅れの中で、すでに各企業内活動では経営側と労働側とが真摯に生き残り、妥協、協力体制が自然発生的に自覚、構築されてきており、また円高に影響される経済のグローバル化構造の中で春闘、経団連の構造、役割、存在はすでに意義(significance)を失っている。

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首相の沖縄訪問。 okinawa visit of the premier

2012-02-27 19:25:44 | 日記
 (1)首相が就任後初めて2日間の日程で沖縄を訪問(okinawa visit of the premier)している。日米沖間でこう着した普天間基地移設先問題への沖縄側の協力、理解を直接求めるためだ。

 政府は沖縄の自由裁量で使用できる地方交付金の具体化、駐留米軍のグアム移転、辺野古沖移設、一部米軍施設返還のパッケージ(package)を切り離して、実施可能なものから実行する日米同意策で沖縄側の評価を引き出して、事前環境整備をしての首相の訪沖だった。

 (2)今回の訪沖では、かっては(自民党政権時代)辺野古沖移設も容認していたこともある沖縄県知事とは会談して、辺野古沖移設には一貫して反対を表明して当選した名護市長とは会わない予定と言われている。

 沖縄振興策、パッケージ分離推進策での事前環境整備と併せて、沖縄側の辺野古沖移設反対「一枚岩」にまず「くさび」を入れる懐柔作戦のようにも映る。
 今回の首相の訪問はとりあえずその程度の目的、目算のものと考えていいだろう。

 沖縄県知事もその後の再任選挙では「県外移設」を主張して県民の支持を受けており、今回の会談でも首相の辺野古沖移設への協力要請にも一貫して「県外移設」方針を伝えている。

 (3)辺野古沖移設には「とっても時間がかかり」、県外移設の方が早く実現できるとの知事の主張が報じられて、首相を前にしての若干の言い回しの変化も(知事としては方針内容は不変というところかもしれないが)見られるが、すぐには少なくとも米国政府関係者が6月末までに辺野古沖埋め立て滑走路建設可能と要請したリミットまでは事態が大きく変化することなど有り様もない、首相、知事双方両極主張し合うままの平行線の話し合いだった。

 首相も沖縄振興策、移転移設パッケージ分離推進策で、沖縄側に「時間をかけて」も辺野古沖移設への理解、説得を試みる方向性を示しており、結果として普天間基地の米軍使用は継続されて周辺住民の生活、安全、権利の危険侵害は解消されない見通しが強まった。

 政府、沖縄ともに普天間基地の恒久使用化は「認められない」と主張しながら、それが双方、「両極」の歩み寄りも見せない立場、主張、利益、権利として、結果としてその主張とは「相反する方向」に向かわせるパラドックス(paradox)政治論理だ。

 (4)沖縄では今回の首相の訪問に対して、県民からは「来る意味が全く分からない」、「基地押し付け」(報道)と反発、不信の声が聞かれる。そこには移転移設パッケージ分離推進策の中で沖縄駐留米軍の岩国基地への一部移転には米国に対して拒否しておきながらの、政府の米国追随の沖縄県内移設推進策へのあらたな反感情もある。

 日米安保条約・軍事同盟、外交防衛問題では、沖縄も含めてそれぞれの立場、主張、利益、権利が多極化して、話し合い、協議による整理、整備が必要なものだ。
 信頼関係欠如による感情的対立が頂点にあるとはいえ、首相の訪沖にその前提としての「来る意味が全く分からない」という県民感情はそれが突出したものとはいえ、解決努力の道理(話し合い協議)に反するものだ。

 沖縄問題(の解決)は、政府と米国と沖縄のせまいトライアングル(triangle)ではない「国民的論議」の広まりが基本形でなければならないものだ。

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選挙制と留年制。 regime of election and remaining in same class

2012-02-26 19:18:09 | 日記
 (1)国民もなめられたものだ。国民への説明責任は選挙の時でけっこうと勝手に先送りなど出来ない社会保障と税の一体改革(内容はともかく緊急政治課題)の財源保障としての消費税増税論議の先行投資論に、これに準備不足があきらかとなって崩壊した政権誕生マニフェストに具体的な政策設計図も示せないまま、いまだ固執して一貫して反対してきた政治とカネの疑惑問題で強制起訴裁判中の民主党小沢元代表がこともあろうに首相が消費税増税解散を実行した場合に「『国民の生活第一』を柱に据えて『政権』を構築し直す」と政界再編の動きを加速リードする意向を示した。

 各種世論調査でも一貫して国民の「小沢離れ」はあきらかとなっている中、政治は浮き沈みの気ままな国民の意識とは関係ない、自分たち政治家の独占事業とばかりに気にもせずに権力欲(influential desire)、独占欲むき出しの言いたい放題だ。
 彼の言う「政権の構築」と「政界再編」は「国民」の選択、彼が無視する国民意識、判断の問題、権利なのだから、彼に勝手に決め付けられたくもない事柄、事情だ。

 各種世論調査(小沢元代表には取るに足らない調査でも)国民の80%はすでに小沢元代表の政治姿勢に決別して(あるいは彼の「政治とカネ」の本質的行動理念をすでに見透かしていて)「政界復帰」を望んでいないのだから、その彼が政権、政界再編のメーカー気取りなのには不可思議な感情を持って聞くしかない。
 残念ながら国民が政治、政治家になめられている。

 衆院の1票の格差是正問題の審議も25日の法定期限を超えて違憲、違法状態となって、首相自ら公言した「国会」自ら身を切ることもしないままの消費税増税解散など現状のままでは国民に選択選挙などを厚顔にも求めようもない現在政治状況だ。

 (2)学習到達度調査の経済協力開発機構(OECD)が教育での留年制(remaining in same class 初等・中等教育対象)について「コストがかかるうえ、教育効果もない」として廃止を求める提言をまとめた。

 教育を「経済効率(cost)」の視点で見るのはどうかとも思うが、留年経験者が30%を超えるフランスなどではコストが初等・中等教育総支出の10%以上となることがわかった。教育効果としてもパラドックス(paradox)として格差の拡大、向上心の減退につながると指摘している。

 またまた大阪市の橋下市長が、学力不足の小中学生に対する「留年制」の検討を始めた。府知事時代に全国学力テストでの大阪圏の小中学校の成績が不振なのを強く批判したことがあった。「教育」は国、政治の基本理念のひとつとして経済、社会のモチーブパワー(motive power)「国民力」の進化、向上には大切な要件なだけに、橋下さんも何かにつけて熱心だ。

 ただし、その方向性、熱意が独断専行、偏向理論に突出しているところが問題で、今回のOECDの提言も正にその考え方を否定する内容となっている。

 教育というのは知識、文化、理念の遭遇による考える能力、刺激の発達、発展、進化をサポートするシステムである。「習熟度」が問題であって「到達度」は2次的産物だ。
 教育というのは一定レベルに到達しないからと言ってグループを区別再編して、あえて格差を求める経済効率ばりの生産効率理論のものではない。

 欧米の大学は、入る(入学)のは易く、出る(卒業)のはむずかしいとよく言われる習熟度完成理論主義の教育実践国だ。一方、日本の大学は入学選抜を厳しくして教育の「一定水準」をまず確保維持したうえで、平均した習熟度到達、浸透度に対して責任を持つシステムと言われる。

 一時期、日本の大学での多数の留年者を出した科目、担当者に対して習熟到達「責任」(つまり教授すべき責任)を問い質す社会現象が起きたことがあった。
 ことに初等、中等教育においては、自己努力、向上心を格差レベルで区分(留年)するのではない、本人の意思、意識の自覚にまかせる「評価」習熟方式(つまり自分の現在地がどの程度なのか)でいいのではないのか。

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礼儀を欠いた市長。 illmannered mayor

2012-02-25 19:36:09 | 日記
 (1)国にはそれぞれに「歴史観(view of history)」があるから独立して存在し、他国とは一線を画した主義、主権を持つ。国独自の歴史観は、いかなる場合でも他国の干渉を許さずに独自の価値観にもとづく唯一絶対のものだ。

 世界がイデオロギー主義から経済協調主義に転化しても、イスラム世界と米欧の特色的な対立に見られるように歴史観の違いからくる対立の解決は糸口もなく、壮大な政治、経済、社会の実験のEU主義も結局は域内の「歴史観」の違いを克服できずに深刻な経済危機を迎えている。

 (2)名古屋市役所を表敬訪問した南京市関係者(幹部)に対して、名古屋市長が旧日本占領軍による南京市民大量虐殺の歴史「南京事件」について、「そういう事実はなかった」とかねてからの「持論」を披露した。

 どういう会談経過でそういう話に発展したのかは不明だが、表敬訪問に対する話題としてはあきらかに不適切でわざわざ相互に相容れがたい歴史観にもとづく主義主張などを展開するなどとは、市を代表する政治責任者としては余りにも無謀無知と言わざるを得ない。

 本人は、「南京事件」は現実に見たものがほとんどいない、証明力のないつくり話との「持論」から前言を撤回する必要も意思もないと述べてきたが、中国メディアでも報道されて両国行政レベル、日中民間交流、現地邦人生活にも悪影響が出始めてのようやくの事の重大性に今更ながら「礼儀を欠いた(illmannered)」発言と後悔しているという。

 どうも意図的な確信犯的行動ではないようで、それなら尚更に理解できない市長にあるまじき軽率ではすまない、あってはならない歴史観に対する不当干渉、国際的不利益の発言行動であった。
 公式訪問会談で持論を「言って」おきながらの間もない一転「礼儀を欠いた」反省とのあまりの落差には、市長の資質、良識、良心が疑われる不始末だ。

 (3)南京事件については、かねてからその実態について歴史的検証も含めて意見が両極に分かれて両国間でも物議を醸(かも)していた問題だ。市長としての公的立場の中で、一方的な持論を持ち出すなどとはまったく愚かであってはならないことだ。

 仮に持論があっても表敬訪問団はその当事国の南京市関係者だ。しかも南京事件そのものの評価よりも、旧日本占領軍による中国本土侵略行為の事実は歴然としており、それだけで相手国に対する歴史的謝罪の問題でもある。
 大きな軍事侵略行為の中でのその一部分、地域の問題への一方的な持論など、正当化することなど意味もないことだ。

 (4)かって当時の日本首相の靖国神社参拝に端を発した、中国に拡大した日本排斥運動の激化や最近でも中国漁船長逮捕事件での外交圧力の事例を市長たるものが念頭に置いた政治理念行動を取るべきなのは自明のことだ。

 舌の根もかわかないうちからの一転「礼儀を欠いた」市長発言(illmannered mayor)などの見識では、市長の主張する都構想、地域政党による国政参加への政治的アプローチにも真意、本気度が問い質されることにもなる。

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