(1)12年衆院選で国会議員54議席を獲得したとはいえ、現在はわずかヒト桁台のしかもその半分値にもみたない支持率の弱小野党の日本維新の会が分裂(分党 separation of a political party)したからといって騒ぐようなこともないが、共同代表が石原さんと橋下さんというネームバリューのある2人ということで社会の注目が集まった。
まさしく日本維新の会が石原さんと橋下さんの共同体制で出発した目的、意図がそのネームバリューによる国民的注目を集めることにあったから、最後まで目的、意図は貫き通せたということだ。
(2)大同を捨てて小異につくのか、小異を捨てて大同につくのかよくわからないが、結成当時石原さんは理念、政策であきらかに違う当時第3勢力の中心として注目を集めていた橋下さんの大阪維新の会との合流について、野党結集、大同団結のために身を捨てる覚悟を語っていた。
思惑は安倍政権の一強時代はどうでもよかったのだろうが、野党結集の中心相手に選んだその橋下さんとの連携があまりにも選挙政治打算に裏付けられて警戒感から国民の支持が拡がらずに、当初から日本維新の会の支持率がヒト桁台に低迷したことで思惑外れとなった。
(3)ともに当時は選挙に強い政治家としてその2人が合流(political unity)し力を合わせることで政治勢力を拡げて日本政治改革のイニシアティブをとる目論みがあったが、あまりにもあからさまに選挙に勝つ打算的合流を全面に出したがために国民からは警戒感、違和感もあったのだろう。
それでもいきなりの衆院選では当時の閉そく的な行き詰まった政治状況もあって、打開のための国民の期待は54議席獲得となって結果に出した。
(4)しかし、その日本維新の会の中身は石原代表の東京グループと橋下代表の大阪グループとは構成議員の時代観も違えば、それにともなって理念、政策は極端にいえば「水と油」のような融解不可能(impossible melting)な距離観が歴然としていた。
むしろ東京グループと大阪グループの融解不可能な距離観をはっきり残したままで共存してでも、勢力拡大、政権奪取のイニシアティブのために特化して結集する「あたらしい政党像(design of political party)」を目指す方向性もあってよかったのだ。
まったく新時代の政治感覚を持ち合わせていなかったのは意外で不思議だった。安倍首相さえも自民党は左から右まで幅広い政治感覚を持った政党だと胸をはっているほどだ。
(5)しかし、出だし(54議席獲得)はよくても日本維新の会の支持率はあがらずに理念、政策の違いをどうするのかを二の次にして顧みなかったツケが出てきて、もともと個性、時代観の強い同士の東京グループと大阪グループの政治理念、政策の違い、対立ばかりが目に付くようになって、そこへ橋下さんの歴史認識、慰安婦に対する問題発言が出て国内外からの批判、非難の中で決定的に政治的影響力を失っていった。
(6)このプロセスを見ていると、選挙に強い思いあがりが国民から浮いた存在となってカラ回りして、アクセルを踏んでいるつもりでも少しも進まない整備不良の不効率な政治合流(inferior equipment and noneffective political unity)であった。
まさしく日本維新の会が石原さんと橋下さんの共同体制で出発した目的、意図がそのネームバリューによる国民的注目を集めることにあったから、最後まで目的、意図は貫き通せたということだ。
(2)大同を捨てて小異につくのか、小異を捨てて大同につくのかよくわからないが、結成当時石原さんは理念、政策であきらかに違う当時第3勢力の中心として注目を集めていた橋下さんの大阪維新の会との合流について、野党結集、大同団結のために身を捨てる覚悟を語っていた。
思惑は安倍政権の一強時代はどうでもよかったのだろうが、野党結集の中心相手に選んだその橋下さんとの連携があまりにも選挙政治打算に裏付けられて警戒感から国民の支持が拡がらずに、当初から日本維新の会の支持率がヒト桁台に低迷したことで思惑外れとなった。
(3)ともに当時は選挙に強い政治家としてその2人が合流(political unity)し力を合わせることで政治勢力を拡げて日本政治改革のイニシアティブをとる目論みがあったが、あまりにもあからさまに選挙に勝つ打算的合流を全面に出したがために国民からは警戒感、違和感もあったのだろう。
それでもいきなりの衆院選では当時の閉そく的な行き詰まった政治状況もあって、打開のための国民の期待は54議席獲得となって結果に出した。
(4)しかし、その日本維新の会の中身は石原代表の東京グループと橋下代表の大阪グループとは構成議員の時代観も違えば、それにともなって理念、政策は極端にいえば「水と油」のような融解不可能(impossible melting)な距離観が歴然としていた。
むしろ東京グループと大阪グループの融解不可能な距離観をはっきり残したままで共存してでも、勢力拡大、政権奪取のイニシアティブのために特化して結集する「あたらしい政党像(design of political party)」を目指す方向性もあってよかったのだ。
まったく新時代の政治感覚を持ち合わせていなかったのは意外で不思議だった。安倍首相さえも自民党は左から右まで幅広い政治感覚を持った政党だと胸をはっているほどだ。
(5)しかし、出だし(54議席獲得)はよくても日本維新の会の支持率はあがらずに理念、政策の違いをどうするのかを二の次にして顧みなかったツケが出てきて、もともと個性、時代観の強い同士の東京グループと大阪グループの政治理念、政策の違い、対立ばかりが目に付くようになって、そこへ橋下さんの歴史認識、慰安婦に対する問題発言が出て国内外からの批判、非難の中で決定的に政治的影響力を失っていった。
(6)このプロセスを見ていると、選挙に強い思いあがりが国民から浮いた存在となってカラ回りして、アクセルを踏んでいるつもりでも少しも進まない整備不良の不効率な政治合流(inferior equipment and noneffective political unity)であった。