(1)報道番組は事実を伝えるだけでいいのか、いろいろある意見、考えを伝えて視聴者に考えてもらうのが使命なのか考えさせられることがあった。
安保法制案が国会で審議されていた9月中旬にTBSTVの報道番組「news23」でアンカーマンの岸井成格さんが「メディアとしても廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだと私は思います」と発言したことに対して、「放送法遵守を求める視聴者の会」が放送法第4条の「政治的に公平」で「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにする」ことに「重大な違反行為」(報道)として全国紙に意見広告を出した。
(2)政府、自民党も選挙報道に政権批判への偏向報道があるとメディアに圧力をかけたり、NHKのやらせ番組で所掌の総務相がNHKに指導介入するなど放送法を盾にメディアへの政治介入、圧力を強めている。
放送法が遵守規定なのか放送事業者の自律規定なのか解釈問題はあるが、一方で放送法では「放送の不偏不党、真実及び『自律』(autonomy)を保障することによって、放送による『表現の自由』を確保する」ことも規定している。
(3)不偏不党、公平性と表現の自由とのバランス感覚がいつも問題になる。ニュースもアナウンサーが「伝える」ニュース番組ものとキャスター、アンカーが「解説する」(explain)報道番組と二つの流れがある。
報道番組の場合は、ニュースをもとに「多くの角度」から論点、問題点を紹介して、解説して、比較検証の上どうあるべきか結論をまとめるものが少なくない。
(4)出来事を広く伝えるニュース番組と違って、テーマを絞って問題点、対立点のある時事ニュース、話題を取り上げて比較論証、検証するものが報道使命で、こういった報道番組ではむしろ結論のないものは拍子抜けでがっかり、色あせたものになってしまう印象を強く与える。
報道番組は検証番組であるから多角的な意見、考えを解説して、比較検証して、問題点、論点を整理して解決の方向性を示すものでなければ期待に応えられない。
(5)そういう意味からも報道の「公平性」(fainess)と「表現の自由」(freedom)の比重を考えるならば、公平性以上に表現の自由に軸足を置くものといえる。
憲法で保障する自由と公共性の権利のバランス感覚はそれぞれの立場によって都合よく解釈されるもので、政治権力者はいつも公序良俗、公共性に力点を置いて自由も制限されるものと主張する。
(6)そこでアンカーマンの岸井さんが安保法制案について「廃案に向けて声をずっと上げる続けるべきだと私は思います」と発言したことは、解説、検証の結論、方向性を番組として示したことであり、報道番組としてはあるべき使命、役割にもとづいた発言と理解すべきことだ。
もしこれが「重大な(放送法の)違反行為」だとするならば、報道番組そのものの意味、意義、価値のないものとなり、アンカーマンの発言以上に番組そのものの存在意義(identity)が問われなければならない問題だ。
(7)国民には「知る権利」がある。情報を伝える報道としては多角的な比較論だけでなく、専門的な見地からの理解、解決への方法理論を示して応えることも必要だ。
岸井さんの発言で少し言うなら、廃案に向けた直接的な言い方ではなくて、安保法制が成立することによる(またその審議過程の)デメリットを強調してそちらに光を当てて、廃案の正当性を感じ取ってもらうレトリック(rhetoric)があってもよかった。
安保法制案が国会で審議されていた9月中旬にTBSTVの報道番組「news23」でアンカーマンの岸井成格さんが「メディアとしても廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだと私は思います」と発言したことに対して、「放送法遵守を求める視聴者の会」が放送法第4条の「政治的に公平」で「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにする」ことに「重大な違反行為」(報道)として全国紙に意見広告を出した。
(2)政府、自民党も選挙報道に政権批判への偏向報道があるとメディアに圧力をかけたり、NHKのやらせ番組で所掌の総務相がNHKに指導介入するなど放送法を盾にメディアへの政治介入、圧力を強めている。
放送法が遵守規定なのか放送事業者の自律規定なのか解釈問題はあるが、一方で放送法では「放送の不偏不党、真実及び『自律』(autonomy)を保障することによって、放送による『表現の自由』を確保する」ことも規定している。
(3)不偏不党、公平性と表現の自由とのバランス感覚がいつも問題になる。ニュースもアナウンサーが「伝える」ニュース番組ものとキャスター、アンカーが「解説する」(explain)報道番組と二つの流れがある。
報道番組の場合は、ニュースをもとに「多くの角度」から論点、問題点を紹介して、解説して、比較検証の上どうあるべきか結論をまとめるものが少なくない。
(4)出来事を広く伝えるニュース番組と違って、テーマを絞って問題点、対立点のある時事ニュース、話題を取り上げて比較論証、検証するものが報道使命で、こういった報道番組ではむしろ結論のないものは拍子抜けでがっかり、色あせたものになってしまう印象を強く与える。
報道番組は検証番組であるから多角的な意見、考えを解説して、比較検証して、問題点、論点を整理して解決の方向性を示すものでなければ期待に応えられない。
(5)そういう意味からも報道の「公平性」(fainess)と「表現の自由」(freedom)の比重を考えるならば、公平性以上に表現の自由に軸足を置くものといえる。
憲法で保障する自由と公共性の権利のバランス感覚はそれぞれの立場によって都合よく解釈されるもので、政治権力者はいつも公序良俗、公共性に力点を置いて自由も制限されるものと主張する。
(6)そこでアンカーマンの岸井さんが安保法制案について「廃案に向けて声をずっと上げる続けるべきだと私は思います」と発言したことは、解説、検証の結論、方向性を番組として示したことであり、報道番組としてはあるべき使命、役割にもとづいた発言と理解すべきことだ。
もしこれが「重大な(放送法の)違反行為」だとするならば、報道番組そのものの意味、意義、価値のないものとなり、アンカーマンの発言以上に番組そのものの存在意義(identity)が問われなければならない問題だ。
(7)国民には「知る権利」がある。情報を伝える報道としては多角的な比較論だけでなく、専門的な見地からの理解、解決への方法理論を示して応えることも必要だ。
岸井さんの発言で少し言うなら、廃案に向けた直接的な言い方ではなくて、安保法制が成立することによる(またその審議過程の)デメリットを強調してそちらに光を当てて、廃案の正当性を感じ取ってもらうレトリック(rhetoric)があってもよかった。