(1)作家三島由紀夫が亡くなって来年生誕100年となる。45才で自決して、生きた年以上の年数がすでに過ぎているが今の時代では100年生きることも可能性はある時代なので、まだまだ過ぎ去った三島由紀夫でもない。
(2)三島由紀夫が当時の新潮編集者に宛てた「金閣寺」につながる未発表書簡が発見されたニュースだ。便せん2枚の書簡で、新潮連載のテーマが浮かび上がってきたこと、題は「人間病」あるひは「人間病院」といふ(原文どおりー報道)と記している。
(3)これが後の三島文学の代表作「金閣寺」となるもので、最初期の構想、テーマは「人間病」あるいは「人間病院」がその後起きた金閣寺焼失事件を受けてその流れで当初の着想が「金閣寺」へとつながる貴重で「重要な資料」(専門家談)といわれる。
(4)三島由紀夫は憲法第9条が戦力を保持せず交戦権を有しないとして、自衛隊が違憲扱いとなっていることに憲法改正が必要として、自衛隊東部方面総監部に自ら主宰する「楯の会」隊員とともに乗り込み総監部バルコニーから自衛隊員にクーデター決起を促したが相手にされずに、自ら自決した。
(5)日本はそれから保守思想主義の強い安倍元首相のもとで憲法改正論議が取り上げられて政治日程にのぼり、自民党草案では自衛隊を「国防軍」として明記する憲法改正にこだわった。自衛隊は災害復旧、協力で国民の理解は深まり広く支持を受けており、中国との尖閣領有権問題、北朝鮮のミサイル発射のアジア緊張関係の中で日本の個別的自衛権は認められるとの理解で自衛隊が担うというのが一般的だ。
(6)三島由紀夫が今生きていたなら自決しなくても、自衛隊にクーデターをうながさなくても自衛隊は国防、防衛手段として国民に一定の理解、支持は得られていた世界的な保守思想主義時代であった。
三島由紀夫は死に急ぎ過ぎたが、一方で安倍元政権は独自の憲法解釈で集団的自衛権の行使を決定し、岸田前政権は防衛費5年間で43兆円増額を決めて防衛力強化政策を進める。
(7)三島由紀夫が生きていれば、彼の道義的、理論的、良心的、条文解釈からの憲法改正論は実質自衛隊が国民から広く理解、支持を受けていることから実現している時代だ。
三島由紀夫が生きていれば、日米安保、米軍駐留、沖縄の「現状」をどう見ていたのか、三島テーゼ(Mshima thesis)は今では危険思想ではあるが、道義的、理論的、良心的三島由紀夫が憲法改正をどう考えて、どうしようとしたのか聞いてみたいところだ。