いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

おかしな年金(救済)。 good-for-nothing pension

2011-02-28 19:20:48 | 日記
 (1)多分、国の後ろめたさがあるから誰が考えてもおかしい、こういう異常な結果になったの
だろう。扶養から外れた人が自治体に届け出て、その後所定の保険料を払う切り替え手続き
をしない場合、年金は保険料未納(不連続)期間によっては年金減額、無年金になる対象者
が数十万人に上ることが判明した。

 全国民が労働収入期間中に公平に保険料を負担して年金受給者給付の原資となり、また
将来自ら受給者として給付を受ける相互循環扶助の年金制度は、20才以上の人が生涯継
続して負担し続けて受給資格、権利を与えられる。

 長期の保険料負担期間に生活労働環境の変化の中で、一定期間の保険料未納による不
連続期間が発生すると自動的に受給資格を失うことが原則の制度だ。
 この制度の内容、概要、手続きのわかりにくさ、説明不足、周知の不徹底、不備が、今まで
も年金不給付問題を生んできた。

 かっては保険料未納期間に遡(さかのぼ)っての保険料全額再納付も認めない無年金化へ
の非条理の制度であったが、さすがにこの不合理性は改善されてきた。

 (2)そこへ今度は冒頭のように保険料負担の切り替え手続きを実施しなかった人が数十万人
にも上ることがアンケート実施で判明して、政府、厚労省は「2年間に遡って負担すれば残りの
未納期間も負担したとみなして、所定の全額の年金を支給する(運用3号)」救済制度(relief
measure)を実施適用することを発表した。

 継続連続して保険料を①「全額支払い」続けてきた人と、未納期間を②「支払い免除」された
人が③全額同額の年金を受給するなどと、政府、厚労省以外の「誰が考えて」もおかしな異常
な「対応」を政府が決定した。

 政府、厚労省は、長年の年金漏れ(消えた年金)問題が気の遠くなるようなはかどらない(自
らの不手際によるもの)回復作業の中で、すっかり良識とか理性を失っており、その結果として
の自虐的な責任感が未手続者「数十万人」の数に圧倒されて、おかしな異常な救済対応に出
たものと理解するしかない不条理な救済対応だ。

 (3)さすがに相次ぐ「不公平」との声に諭(さと)されて、政府、厚労省はこの救済策(relief
measure)の見直し検討を表明させられた。冒頭の救済策は、一課長通達で実施されることに
なった経緯も問題なら、このおかしな異常な救済策が組織として何ら有効な検証もされずに一
度は実施タイムテーブルに乗ったことに、今更ながら政府、厚労省の統治能力破たん、無能力
(good-for-nothing)の実態が明らかだ。

 検察機能の全面見直し改革同様に、厚労省機能の全面見直し改革も重要課題なのはもう言
うまでもない。
 そうでなくても、少子高年令化社会対策の遅れで「年金」は支給対象時期のどんどん先送りし
ての国民との「契約不履行」、破たん状態なのだ。

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性善説と性悪説(入試ネット流出)。 fundamentally doctrine

2011-02-27 19:37:23 | 日記
 (1)「教育」は豊富で多様な知識、識見との遭遇の中での比較分析力を通しての人格形成、
生育、成長の手段として、性善説(fundamentally good doctrine)として成り立っているから、
不正などとは最も対極に位置する社会資本、理論だ。

 多様な知識の中の「不正」論を比較分析してみせて、正義とか正論、正直、公正、公平とか
の価値観を評価してみせるのが「教育」だ。
 国家、社会で「教育」の価値、存在意義が高く評価され、いつの時代でも教育国家が尊敬さ
れる理由だ。

 (2)高校、大学の入試もふくめた試験制度では、公平で公正な機会均等の環境提供による評
価にもとづいて、正当な競争、選考が大前提とされてきた。
 この正当理論は、国民の圧倒的な合意、了解(暗黙)のもとに「教育」の性善説としてなりたっ
てきた。

 もちろん、在学中の試験での不正行為(cheat in the exam.)がない訳ではない。一時期、大
学定期試験での集団的な不正行為が発覚して、社会問題化したことはあるが、学生全体から
見れば極めてまれな限られた「異分子」だ。

 大学定期試験ごときでは、日常の講義を真面目に受けて聞いていれば不正な手段によらず
とも相応の評価は得られるものだからだ。試験の不正行為が社会に根付いて影響力を持つま
での文化力は持ち得ないのが、「教育」の性善説なのだ。
 「教育」ぐらいは、裏表のない真実、真理が根幹にあってほしいという、無限無比の善良な国
民の総意、合意、一致点だろう。

 (3)高度な教育の大学の入試では、さらにその正当理論は大前提として善良な国民総意のも
のであった。公平で公正な試験環境整備のための制約(監督制、身分証明制、個別能力制な
ど)は設けているが、あくまで実利を目指したものではなくて国民の安心感、教育の性善説を体
現する建前によるものだ。

 まぜなら、試験ではこの善良な国民の総意、合意による教育の性善説が大前提でなければ、
公平で公正な機会均等、均一な試験環境は成り立つことなど不可能だからだ。
 不正を前提とした監視システム強化では、学生に能力を存分に発揮させる環境など維持でき
ずに、たえず監視システム強化と能力発揮システムとは対極として反比例するものだ。
 教育の性善説なくして公平で公正な教育が成り立たない。

 (4)その前提で極論として言えば、試験会場で不正行為を根絶させることなど不可能に近い。
誤解を恐れずに言うなら、不正行為をやろうと思えばどんな手段でも可能だろう。それを根絶す
るには、学生ひとりひとりの監督者が必要となる極めて非効率的で不親切さで、これはあり得
ない。

 (5)26日判明した大学前期日程2次入試と私大入試で相次いで入試問題がネットに流出し、
それに第3者がネットで回答するという反社会的、反教育的行為が発生した。
 教育の性善説に公然と反逆する、現代社会近代化の克服できない性悪説(fundamentally
bad doctrine)の「病原」、「病巣」が顔を出してきた。

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薬害の予見力。 foreseeing damage of medicinal operation

2011-02-26 19:24:47 | 日記
 (1)何でもかんでも国の責任と言うのは短絡すぎるが、国が製造認可、輸入承認権限を持つ国
内外の医薬品の安全性については、国民の生命、生存権にかかわる基本的人権の保障だから、
最終的に国が医薬品使用、服用の安全責任を負わなければ、患者は安心して医療、治療行為
を受け入れられない。

 高度に専門性のある医学、医療、治療分野では、患者が理解し判断できる範囲も狭く、まして
国の認可、承認権限、使用する医療機関に全面的な信頼を置くのは当然の構図だ。
 かってはその高度な専門性を理由に医療機関では患者に対する十分な理解、説明もないまま、
一方的な医療、治療行為を実施して不必要な医療、治療行為、多額な治療請求が行われてきた
反省、改善から、患者に対する事前説明、同意(informed concent)が建前となった。

 (2)英国製の肺がん治療薬「イレッサ」は、錠剤の経口薬という利便性と従来の抗がん剤より副
作用が少ないことがメリットとなって肺がん患者に広く使用されてきた。
 臨床実験では致死的な(間質性)肺炎の副作用を発症する可能性が判明していたが、輸入販
売会社も医薬品の説明書に記載せずに、国の十分な指導もないままことさらに副作用が少ない
ことを強調して販売していた。

 このため、副作用により病死した人も含めた原告団が国と輸入販売会社に損害賠償を求めた
裁判で、地裁は原則として輸入販売会社の一次的な「責任」を認めたが国に対しては行政指導
による法的権限の限界、当時の予見能力(foreseeing)がなかったとしてその責任を認めなかっ
た。

 (3)医薬品の薬害問題(damage of medicinal operation affairs)については、使用条件(患者
の病理性、体質など)、発生症状条件に一定性、普遍性が少なくて、特異性(singularity)もあり
国の認可、承認責任を問うことにはかねてから消極的な傾向があった。

 近年は、日本国内における臨床試験、安全性の確認に重点が置かれるようになったが(その
分認可承認時期が長引くことになる)、以前は欧米の医薬品の安全性立証を信用しての輸入販
売による薬害事例も見られた。

 医薬品に限らずに、断熱材アスベストなども米国で盛んに利用されていたものを追随して、そ
の経済効率、エネルギー効率だけで国内の教育機関に積極的に普及させて、後年それがガン
発生物質を含むことが伝えられてから全面撤廃することになった事例もある。

 (4)国の行政指導による法的権限の限界や予見能力の可能性以前の、国民の生命、生存権
を保障する中での医薬品の認可、承認としての国の責任について、安心して医療、治療行為を
受けられる検査、検証の充実(予算は米国の10分の1と言われる)、環境整備のための「国の
責任」が厳しく問われている。

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象徴天皇と歴史天皇。 symbolistic & chronological Tenno

2011-02-25 19:47:32 | 日記
 (1)女王卑弥呼が統治していた邪馬台国が近畿内なのか北九州内なのか、史跡発掘のたび
に2説の学術的評価が分かれて、現在日本国民が日常生活をしている同じ土地に古代史の王
族が生活していたことだけは確かな情報だ。

 古代史天皇と同じ土地に生活していることを実感できるだけでも人間ロマン(roman)を感じる
ことがあるが、実像がよくわからないからロマンをさらに想像たくましくふくらませてくれることもあ
る。
 そうして見ると、現在は憲法上象徴天皇(symbolistic Tenno)となった天皇制も、数千年の歴
史の継続の流れの中で今の天皇があると思うと、その背景の重さにあらためて驚かされること
がある。

 現世とのかかわりでは、古代ロマンの重さを考えれば象徴天皇の人間天皇として「歴史」とは
切り離した、一線を画した存在としてあるべき「姿」はふさわしいのではないのかと思う。
 その一方で、古代歴史の継続としての重い「歴史天皇」制が存在する。一般人としての「個人」
と「法人格」の関係にも似て、区別して存在して解釈していいのではないのかと思う。

 (2)歴代天皇の陵墓(古墳)を指定、管理する宮内庁が初めて、考古学会の要望に応えて天皇
陵の立ち入りを認めた。
 近年になって、ようやく国史跡、古墳群の発掘、調査も進んで各地で学術的、歴史的な発掘、
発見が聞かれる。奈良では、冒頭の卑弥呼の邪馬台国畿内説の根拠とされる宮殿史跡の発掘、
国内最古(4世紀末)の人の盾持ち埴輪(はにわ)が発掘された。
 わからないこともロマンなら、数千年前を経て発見されれば、またロマンだ。

 天皇の陵墓に限らず、人の墓となれば今でもみだりに覗かれるものではない究極(ultimate)の
プライバシーではあるが、数千年の時間の流れの中で歴史化した歴史天皇としての陵墓の歴史
考古学的調査は、知識欲に裏付けられた歴史評価の形態として貴重であり重要だ。
 真実は「ひとつ」であり、それを学術的評価として形成することは専門的使命でもあり、調査は制
限なく積極的であっていい。

 (3)今後、この宮内庁からの歴史再評価の流れ、調査促進の環境整備が加速して、古代史の解
明が広がればロマンは現実に共有できるものとして、現代社会にあたらしい光と風を吹き込んでく
るものと大いに期待したい。

 同じ土地に数千年の歴史を継続して共に存在する意味を再確認できる「発見」の不思議観は、
歴史天皇制を考える上でもインパクト(impact)はある。
 象徴天皇と歴史天皇の人格化区分を明確にして、間違っても天皇制が現世の世情に左右され
ることが再びあってはならない。

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検察の教育改革。 educational innovation of pub. prosecutor

2011-02-24 19:26:53 | 日記
 (1)検察組織、体質、機能の全面見直し改革の行方はどうなっているのか。社会正義のパ
ラダイム(paradigm)となるべき検察機能が組織的に事件をねつ造し、事実を隠して全面破
たんして法相の諮問機関で検察改革検討中とのことだが、経過報告、情報開示もないまま
今度は最高検から特捜部の取り調べプロセスの「一部」を録音、録画する可視化を「試行」
することが発表された。

 報道による可視化の「一部」が何を指すのか不明だが、自白事件に限定していたものをよ
うやく否認事件にも適用して拡大対応するが、裁判で証拠提示が予想される事件対象など
の複雑な条件を付けて、「公判対策」が中心の検察不信に対する核心からはずれた保身体
質から抜けきれないネガティブな内容のものだ。

 検察の全機能の全面改革が求められている中での対応とは大きくかけ離れたしかも「試
行」とは、問題解決への強い意欲が伺えないものだった。

 (2)社会正義のパラダイムに検察自ら背(そむ)いての組織的な事件のねつ造などあって
はならない不正行為の「防止」が緊要で重要課題なだけに、「公判対策」のような小手先の
ものではなく、取り調べ全過程の全面可視化が必須条件なのは言うまでもない。

 当初から可視化「全面公開」を前提とする必要もなく、プライバシー、証言の精度、密度、
見られていることの閉鎖性などを理由として可視化に制限を設ける必要もない。
 このような全面可視化による影響力を環境整備以前にことさら強調するのは、検察の都合
主義によるものだ。

 「全面可視化」による取り調べのオープンスカイ化現象を根底にして、いかなる公正で公平
な社会正義のパラダイム確立のための検察改革とすべきだ。可視化の「公開制度」について
は、条件、方法、環境を整備すればいい。

 (3)そして、検察の捜査能力、「教育」の改革(educational innovation of public prosecutor)
だ。コンピュータ社会の革新性によって捜査は科学的な要素の占める割合も大きくなり、思考
的にシミュレート・オペレーション(simulate operation 仮想現実作用)が影響力を増している。
 推定に頼って机上理論(mere desk theory)で事件の筋書きを推し量るあまりに、現場主義
の精度がなおざりにされてきた結果が事件ねつ造にもつながっている。

 調書作成に汲々として捜査力に割(さ)いて、事件現場での証拠証明、因果関連性の事件
解明の核心がなおざりにされている。
 検察能力、資質、捜査方程式の「教育」も重要な検察改革のアイテムだ。
 検察内部にセクションとして検事能力、捜査力向上の「教育機関」を設置して、検察力の向
上維持をはかる必要がある。

 (4)最高検の言う、取り調べプロセスの一部可視化の試行などとの流暢(ちょう)なものとは
かけ離れたところに、緊要な検察改革の必要性はある。

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