いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

ダイナミックな2011年。 dynamism

2010-12-31 19:54:23 | 日記
 (1)企業が206兆円の過去最高の保有資金(現金、預金)を確保して、長引く経済不況
に自己防衛をしている中、家庭・企業で保有されている「現金」の総額が82兆3千億円と
過去最高(前年比較1.7%増)となって越年する。
 日銀のゼロ超低金利政策の長期化で「現金」を銀行に預金せずに自宅、企業内に手元
保管して金利政策、投資の先行きを睨んでの有効に活用しようという自己防衛策
(self protection)だ。通帳の記録を打ち出しても、以前はわずかでも利子欄があったもの
だが、今は利子欄を見出すこともない経済事情だ。

 東京株式市場の今年終値も前年末比較3%下落し、景気回復は鈍いままだ。GDPで日
本を追い越して世界第2位が目前の中国からは、世界的な低金利政策に即した民間投資
による日本の山林、土地への投資が目立ち、良質な水資源の確保も視野に入れた積極的
な不動産資産化国際戦略だ。

 11年度予算の成立も政局がらみで、政治の閉そく感、不安定が影を落としてくる。日米
外交(かならずしも追随だけが良好関係ではない)を基軸とした日本外交の優柔性、不統
一、無作為に国内政治の不安定が、日本の国際的地位の地盤を確実に下げている。
 年が明ければ3月までに心もとない政治は、政界再編、解散総選挙、首相交代と政治激
動も考えられる。

 (2)消費者主導による長引くデフレ不況に市場(market)では年末、年始のお祭りムードの
中で、「節約疲れ」の反動も出始めている。トヨタが台数限定数千万円の超高級車を製造
販売して、マニアからは予約の申し込みが続いているという。年末のデパート、食料品卸市
場ではおせち料理など高級品の人気も高く、九州新幹線全線開業を記念して博多駅では1
万円以上の新作駅弁が元旦から販売される。

 消費者主導による高いものは買わないデフレ経済社会に、企業側からの一点豪華主義に
よるまた夢を売る経済浮揚効果を狙ったものだ。消費者の賢い選択と、優良企業を育てる支
援する市民の広い視野の理想が景気安定には求められる。

 (3)政治はむしろ地方自治、地方政治からダイナミック(dynamism)に変化、革新が動き出
そうとしている。名古屋市では年明け2月に、市議会リコール住民投票、市民税10%恒久
減税出直し市長選、県知事選とトリプルで「直接民主主義」が問われる。
 大阪府、市による「都構想」と愛知県、市の「都構想」(metropolis conception)も現実の
政治課題としてあがっており、達成時期もふくめたグランドデザイン化による政治機能の効
率化、効果性からの具体的な検証が大事だ。

 (4)国民の経済、政治への直接参加が、今以上に、また今までの概念(general idea)を超
えて、変えて求められる1年になるだろう。

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表層と深層の不連続時代。 discontinuity era

2010-12-30 19:32:05 | 日記
 (1)政治がそうだからなのか、社会がそうだから政治もそうなったのか、政治も社会もひ
ょっとしたら文化も「うわべ」だけの表層心理の「装い」だけが注目されて、深層心理への
関心、検証がすっかり薄れて本質論がなおざりにされてきた1年であった。
 本質論から取り組まないから、いつまで行っても問題の解決にはつながらずに時間だけ
が浪費されて、政治にも社会にも閉そく感だけが残る。

 (2)民主党元幹事長の「政治とカネ」の問題は、世論調査のたびに80%の国民が説明責
任を求め、復帰を望まないとする中、1年の党内抗争のあげくようやく年末になって元幹事
長が政倫審への弁明出席を表明した。

 元幹事長に今は理解を示す前首相は「政権交代の立役者を国会に差しだすような非礼
は許されない」と弁護する。しかし、前首相も「政治とカネ」、普天間基地移設先発言で辞
任する際には、元幹事長の政治責任にも触れて共同責任をとる形で同時辞任を求めて実
行した経緯があった。もともと自分の発言には責任を持たない前首相ではあるが、あまり
の変化、無節操、無責任には驚くばかりだ。

 本格的な政権交代が、自民党前政権の政治手法の限界を国民に審判された歴史的な
行きつく結果であった。元幹事長の政治手法、選挙対策がどんなものであったのかそのも
のが、当人がかかわる政治資金収支報告への疑念、不信で問われている中での「政権交
代の立役者」発言には、政治家の理念が欠落している。
 仮に「政権交代の立役者」が表層心理(surface layer)であっても、その深層心理(deep
layer)としての「政治手法」の正当性が問われているのが本質論だ。

 (3)郵便料金不正事件では、大阪地検特捜が果実至上主義に身を落してあってはならな
い事件を「ねつ造」していて、逮捕された厚労省元局長が無罪となった。無罪を勝ち取った
当人の満面の笑みは当然だが、事件の発生に適正なチェック機能を職責上果たさなかっ
た元局長の深層責任、説明、検証は十分だったのか。
 検察の腐敗報道はもちろんだが、メディアが当人の職場復帰ばかりをクローズアップして
の表層報道の姿勢には違和感が残った。

 (4)国会での大臣の常軌をはずれた非常識で見栄見えの発言も、表層心理の装いに終
始した結果だ。官房長官からは、外交の深層事実の不手際を隠すだけの身勝手な表層装
い発言が続いた。今では、官房長官がいくら政府の意図として指示したものではないとか
打ち消し発言しても、誰もがそうとは受け取らない「空気」が政治、国会には充満している。
 パラドックス(paradox)として官房長官自らの発言が表層なだれを打って政治の正当性、
信用性を破壊し加速させていく。

 政治家、検察の言葉が信用できなくなって、社会のパラダイム(paradigm)が崩れている。
国民にとってはすべて不利益だった訳でもないが、内外の政府が隠していた情報が不適切
な方法で広くネット流出した。
 知る権利の国民に機密などと隠し事など本来あってはならないのが、深層心理だ。

 (5)有名歌舞伎俳優の傷害事件も、歌舞伎俳優側には過失は一切ないとの会見説明のあ
げくに、裏では表層を装う示談を成立させて深層事実は闇のなかだ。過失が一切ないので
あれば、裁判で相手側の賠償責任を問うのは社会のパラダイムから当然のはずだ。

 わざわざ会見まで開いて、相手側の社会復帰を望むとか温情まで見せての理解不能の
理由を述べて、表層心理を装っただけの芝居だ。社会のパラダイムが崩れている。

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私的な財津和夫論。(6) private essay about k. zaitsu

2010-12-29 19:34:35 | 日記
 「私的な財津和夫論」の第6回目は「フォーシンガーズとチューリップ」です。
 6 フォーシンガーズとチューリップ(four singers and tulip)
 (1)08年の5回目の再結成によるチューリップ全国コンサートツアーを最後に、財津和
夫さんはかって18年間続けたチューリップとしての音楽活動に区切りをつけた。
 すでに2、3回目あたりの再結成チューリップコンサートから、他のメンバーからこれが
最後との声も寄せられていたと聞いており、また楽曲構成上も年令的に歌の内容に現在
時点で心象的にマッチしなくなったこと、トータルとしてのチューリップサウンド展開のオリ
ジナリティがきつくなったことなど、最終的に「サウンド」の完成度に厳しく向き合う財津和
夫さんの音楽観、理想がチューリップ活動の区切りに結びついたと言うべきだろう。チュー
リップとしての全国コンサートツアーには区切りをつけても、単発1ステージのコンサートに
は理解も示していてその約束どおり来年3月に地元九州のイベントに協賛して他のミュー
ジシャンとともに福岡でチューリップライブを開催する。

 (2)財津和夫さんが福岡で本格的な音楽バンド活動を始めたのは69年の「フォーシンガ
ーズ」という4人のアコースティックバンドだった。当時はフォーク全盛時代で、ほとんどの
バンドが日本の民謡、童謡をポップス調にアレンジしたフォークソングを演奏していた。
 「フォーシンガーズ」も当時のアマチュアの音楽コンテスト、ヤマハライトミュージックコン
テストの全国大会に福岡代表として参加して「金毘羅舟々」で6位入賞を果たしている。

 当時のフォーシンガーズは、アメリカンフォークの流れ、影響を受けたバンドでコーラス、
ハーモニーのきれいなフォークバンドだった。ハイトーンのち密なコーラス、ハーモニーで
完成度の高い音楽性を持っていた。今でも、財津和夫さんは、この時の「フォーシンガー
ズ」が「最強の」メンバーであったと言っている。

 (3)このフォーシンガーズのメンバーを前身のチューリップとして71年に東京に出て、財
津さん詞曲の「私の小さな人生」をレコーディングし、一旦福岡に帰り当人バンドが不在の
まま東京では同曲のプロモーションが行われた。
 5人メンバーでのビートルズを意識した「チューリップ」としてのデビュー曲は「魔法の黄
色い靴」だが、この「私の小さな人生」はデビュー曲前のデビュー曲として財津さんのまぼ
ろしのデビュー曲と言われている。

 一旦福岡に帰っていたフォーシンガーズが東京で本格的なプロミュージシャンとして活
動する段階になって、メンバーの中の二人がプロミュージシャンとしての活動、人生に不安
を感じていて、上京直前になってバンドを脱退した。音楽スキルも将来の人生設計も含め
て総合的にバンド脱退して地元福岡に残る決断をしたと聞いている。

 財津さんが最強のメンバーだと言っている完成度の高いフォーシンガーズでプロミュージ
シャンとして活動していたとしたら、その後の財津さんの音楽スタイルは仮にその後のチュ
ーリップと同じ楽曲構成であったとしても、まったく違った「曲構想」になっていたのは間違
いない。当時の音源を聞くとPPMやキングストントリオのようなアメリカンフォークの完成度
の高い流れであった。

 (4)突如のフォーシンガーズ解体後の、5人メンバーによるビートルズを意識したチューリ
ップは、当時の福岡で活動しているアマチュアバンドから財津さんがこれはと目をつけたミ
ュージシャンを引き抜いてのフォーシンガーズとは異質のエレキギター、ピアノ(シンセ)、
ドラムによるポップスサウンドのバンドで、荒削りで完成度は低くてもビートルズ同様、当
時の日本ポピュラー音楽にない革新性、斬新性、創造性のある、だからニューミュージッ
クと言われる先駆的な音楽バンドとなっていた。

 フォーシンガーズはすでに完成度も高くて音楽シーンとしての将来性、革新性にはフレ
ームワークが残されていなかったと思われるが、逆に音楽の完成度は低くとも荒削りで発
信するエネルギー(バイタリティ)は計り知れないもの、魅力と可能性を秘めたチューリップ
には、革新性、斬新性、将来性、創造性が無限に広がっていることがすぐわかる音楽資質
のフレームワークを感じさせるものだった。

 (5)財津和夫さんにとっては自らプロデュースしてメンバーを集めて、未知の成長、完成へ
の手ごたえのある5人のチューリップとの出会いには、自ら目指す音楽の可能性、発展性
に力を発揮して、完成度にたどりつけるフロンティアでベンチャーな音楽人生であった。
 財津さんの類希(たぐいまれ)なリーダーシップ、プロデュース力がなくては成立しなかっ
たチューリップサウンドである。そして、財津さんの音楽の創造性、追求性、向上性がそれ
を支えたのは言うまでもない。

 チューリップはフォーク以後の日本ポップス音楽の先駆者として、その後広く知られてい
るように数多くのポップス音楽のハード、ソフト面の先駆的、革新的な「試み」、「実績」を創
造してきた。

 チューリップとしての18年間の音楽活動の内、オリジナルメンバーとして活動したのは7
年間(79年)で、13年目(85年)にはオリジナルメンバーの内残ったのは財津さんひとり
となった。その後もメンバーを入れ替えて活動し、89年に財津さんはすべてやり終えて、や
ることがなくなったとチューリップを解散する。
 財津さんがつくりだした楽曲は800曲にも及び、ライブコンサートは10年で1000回を超
えて解散までに1300回近く記録した。

 (6)ライブバンドのチューリップは、最後まで福岡の空気の中で「ライブ」した(生きた)バン
ドだ。財津さんにとって、「何もない」福岡時代がもっとも充実していたのかもしれない。

 フロンティア(frontier)、それが財津和夫さんの「生き方」だ。
                                       〔転載禁止です〕
 

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国会改革。 political innovation

2010-12-28 19:58:55 | 日記
 (1)政治は「仮免許」の首相に、沖縄県民にただ「甘受」を押し付ける官房長官の時代錯
誤の政治感覚が反映した出口の見えない、不作為で閉そく感の1年の政治状況、国会の
形骸化(wreck style)だった。

 見かねてか、与野党3党の議員有志8人が国会がまったく機能しない現状に、打開策とし
ての国会改革提言をした。意欲は認めるが、これが自由意思での投票による党議拘束の緩
和とか、予算委員会ではスキャンダル記事は扱わないとか、党首討論は午後8時開催で国
民の関心を集めるなど、与野党有志の国会議員が改革案として提言する内容とはあまりに
貧弱なものだった。これが、今の国会議員のレベルなのだろう。

 (2)せめて、国会は国民の負託を受けての政治課題の議論のステージなのだから、①本会
議、委員会では、質問、答弁を遮るぎるヤジ、怒声は禁止する。質問したい(議場で異議をと
なえたい暴言者)議員には所属政党で調整して意見を記名式で公表開示する。それへの答
弁は必ず公開開示する。

 ②本会議、委員会開催中は出席を義務付け(当たり前のことだが)、国民の代弁者として
責任行動する。やむを得ない欠席は理由を明らかにして氏名とともに公表する。
 ③いかなる理由があっても審議拒否は認めず、本会議開催中は審議時間を十分に取って
成果主義を原則とする。
 ④提出された法案は、原則として時間、期間を延長してでも決着(可否)することとし、廃案
は認めない。
 ⑤国会開催中の法案審議の問題点、改善点、賛成、反対について、国会対策員会が定期
的に纏(まと)めブリーフィングして国民に情報公開する。
 事態によっては簡略な手続きで、事案を国民投票で決着する制度改革をはかる。

 中、長期的には、1票の格差是正も含めた政治機能の健全化が可能なフレームワークでの
審議、議論にふさわしいスモールスケール(定員削減)の国会規模にする。

 (3)政治団体の政治資金収支報告書を見ても、政治の私物化、ルール違反、規定不備・不
足とまったく緊張感、使命感に欠ける内容だった。政治レベルの低下を反映して、所定の政
治資金を持て余しての私的な違法支出ばかりが目につく。
 国会議員の定数、報酬削減は、国民の投資に相応に応える政治課題だ。

 (4)今年は国会が1年を通して機能しなかった。国民の付託を受けた全国会議員の責任は
重い。仕事をしなかった議員からは報酬の返還の申し出があってもよさそうなものだが、そん
な話は聞かない。
 ますます、議員定数、報酬削減が政治課題として現実のものとなってきた今年の国会の停
滞振りだ。
 立法府の国会が機能しないということは、相乗的に累積的に国民生活に不利益な影響を未
来に与えてくる。
 議員有志8名の貧弱な国会改革意識ではなく、全国会議員の問題として、国民の投資に対
する問題として早急に国会改革(national Diet innovation)に取組み、国会を機能させる政治
課題だ。

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言葉の重さと軽さ。 weight and slight of speech

2010-12-27 19:39:13 | 日記
 (1)政治家の言葉が軽くなった(slight of speech)のは、日本だけでなく米国も同じだ。
 オバマ大統領が「チェンジ」を掲げてスタートした米国社会は、失業率が2ケタ前後を行
ったり来たりの景気悪化、国内経済が回復せずに、医療保険新制度の導入を目指して
イデオロギーの違いから国民負担の増加に米国民の賛同も得られずに、中間選挙では
共和党に大敗して、すっかり有言不実行の大統領になってしまった。

 国民の支持を背景にした力強い米国外交が出来ないので、G8,G20の先進国会議で
も米国の立場は軽んじられて韓国との貿易協定交渉も不発に終わって(後に両国は合意)
米国内では唯一の国際的覇権リーダー国としての地位の地盤低下に批判が集中した。
 しかし、日本のリーダーと違ってオバマ大統領はその後政治姿勢を転換して、議会運営
で共和党に歩み寄って法案を数多く成立させている。

 (2)ロシアとの新戦略兵器削減条約も、共和党の協力が得られずに議会批准が難航して
いたがようやく批准承認されて、核兵器のない世界に向けて一歩前進したかに思われてい
た。ところが、この新戦略兵器削減条約には、「戦術核」が対象外として含まれていないこ
とを共和党から指摘、問題視されて押される形で来年、ロシアとの同削減交渉に乗り出すこ
とになった。

 オバマ大統領は、昨年5月のプラハでの「核兵器のない世界」宣言で実績のともなわない
ノーベル平和賞を授賞した。それほど重い発言(weight of speech)は、世界平和に向けた
強いメッセージではあったがロシアとの戦略兵器削減では核心となる「戦術核」を除外して
いたことになり、共和党の指摘、問題視で同削減交渉に押される形で乗り出すとは、ノーベ
ル平和賞への重い「発言」にも、軽さ(slight)が伺えてきた。

 そもそも核兵器(戦術核)削減協定も、米国保有の核兵器有効期限期限切れ廃棄対策と
の同調とも言われて、また戦術核では米国の10倍は保有すると言われるロシア戦力削減
が戦略目的とも見られている。
 さらに戦術核の削減の代償として、通常兵器の近代化を進めて戦力維持、均衡を保つ政
策を打出しており、オバマ大統領の「核兵器のない世界」による世界平和志向も発信もどう
も中身は軽い。

 (3)オバマ大統領自身が、「核兵器のない世界」の実現は自身が生存中には不可能だろう
という問題意識ではあるが、ノーベル平和賞授賞という先行投資もあって世界平和への期待
感を持たせた発言の重み(weight)、意義は大きい。

 しかしその発言の重さとは反比例する沖縄米軍基地移設問題での米国政府の沖縄固執の
軍事戦略だった。日本政府の当初の「県外、国外」移設にも、また沖縄県民の米軍基地負担
集中への反対の動きにもまったく配慮も見られない米国政府の沖縄固執の政治、軍事姿勢
には、パラドックス(paradox)としてのオバマ大統領の核兵器のない世界、平和志向の発言
の軽さだった。

 (4)政治家の言葉は、国の政治の安定性、経済動向に直接反映されてそれが国民生活に直
結して影響力を波及させる。昨今の余りの言葉の軽さの連続に社会も慣れ切って、政治家の
言葉の力も影響力を失ってきてはいるが(それはそれで問題)、米国大統領の言葉の軽さは
規格のグレードが違う。
 沖縄問題で、世界の覇権リーダー国のオバマ大統領の核兵器のない世界、平和への言葉
の重さの「先行投資」を期待したい気分だ。

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