(1)学校にはなじめずに登校を拒否する子どもをどう育てたらいいのか、なかなか難問だ。最近では、それでは学校に行かなくていいという親が増えて、結果として登校拒否児童がデータ上増えているともいわれる。
通常は同じ年頃の遊び盛りの子ども同士が自然に一緒になって1日共同生活をする場所として学校は「楽しい」ところであるはずが、中にはなじめない子も当然いる。
(2)日本の教育は初等、中等教育は義務教育化されて原則として全員が学校で政府の指針による教育指導要領にもとづいた共通教育を受ける。
その教育の現場は、かっては教育の自由のもとに管理する政府と自主の日教組が政治的、思想的対立、対決をくり返して混乱し、さらに近年は教員組織が職業化して教育の費用対効果の職能化が進み、たとえば運動会はかっては多くの親が参加できるようにと休日に実施されていたが、休日は教員も労働休日ということで平日に実施されて、昼食も親と一緒ではなく校舎に帰って食事をする(人道上の配慮は考え過ぎ)など職能化、情緒も感情もなにもない無機質なものとなっている。
(3)成長途上にある子どもの学校生活は、まずは人間対人間の感情、情緒、気持ちが交流支配する生活の場だ。成長途上にある子どもの能力をある時点で区切って数値で判断するなど意味のないことで、より高い可能性、未来性を秘めた無限能力の持ち主が成長途上の子どもだ。
その能力をどう開発し、発展し、成熟させていくのかのプロセスが初等、中等教育に課せられた命題だ。
(4)現在の初等、中等教育は学校と家庭の共同性、共有性が薄れて互いへの依存度が無責任に高く、結果として信頼関係を失っている。
学校で起きていることと、家庭で起きていることへの連携がなく互いにその責任を押し付け合って問題、課題の理解、解決に向かわせずに、間(はざま)の子どもの悲劇は起きてその責任の所在さえも不明の有り様だ。
(5)東大先端科学研究センターと日本財団が「突出した才能を持ちながら学校になじめない小中学生を支援し、社会をリードする人材に育て上げる」(報道)「異才発掘プロジェクト」(excavation of extraordinary talents project)を開始する。
一見すると飛び級進学と同じで特殊能力(particular talents)の子どもの発掘、開発、特殊教育による逸材教育で、英米では一般化(報道)しているものだ。
(6)先端的科学技術開発力で高い能力を示す日本だが、反面、近年は高度な大学研究機関での不祥事や問題、事件は後を絶たない。問題の根底にあるのは高い専門能力と反比例する社会性、人間性、倫理性の欠如だ。
子どもの教育で必要な社会性、人間性、倫理性を培(つちか)ってこなかった教育制度の欠陥がそのまま高い専門能力との反比例で社会問題化している。
(7)学校生活になじめない子どもにその潜在能力の特殊な知識、興味、関心を持たせる、呼び起させる「異才発掘プロジェクト」は意味はあっても、やはり研究機関と家庭の問題意識の共有、理解、連携が大前提だ。
通常は同じ年頃の遊び盛りの子ども同士が自然に一緒になって1日共同生活をする場所として学校は「楽しい」ところであるはずが、中にはなじめない子も当然いる。
(2)日本の教育は初等、中等教育は義務教育化されて原則として全員が学校で政府の指針による教育指導要領にもとづいた共通教育を受ける。
その教育の現場は、かっては教育の自由のもとに管理する政府と自主の日教組が政治的、思想的対立、対決をくり返して混乱し、さらに近年は教員組織が職業化して教育の費用対効果の職能化が進み、たとえば運動会はかっては多くの親が参加できるようにと休日に実施されていたが、休日は教員も労働休日ということで平日に実施されて、昼食も親と一緒ではなく校舎に帰って食事をする(人道上の配慮は考え過ぎ)など職能化、情緒も感情もなにもない無機質なものとなっている。
(3)成長途上にある子どもの学校生活は、まずは人間対人間の感情、情緒、気持ちが交流支配する生活の場だ。成長途上にある子どもの能力をある時点で区切って数値で判断するなど意味のないことで、より高い可能性、未来性を秘めた無限能力の持ち主が成長途上の子どもだ。
その能力をどう開発し、発展し、成熟させていくのかのプロセスが初等、中等教育に課せられた命題だ。
(4)現在の初等、中等教育は学校と家庭の共同性、共有性が薄れて互いへの依存度が無責任に高く、結果として信頼関係を失っている。
学校で起きていることと、家庭で起きていることへの連携がなく互いにその責任を押し付け合って問題、課題の理解、解決に向かわせずに、間(はざま)の子どもの悲劇は起きてその責任の所在さえも不明の有り様だ。
(5)東大先端科学研究センターと日本財団が「突出した才能を持ちながら学校になじめない小中学生を支援し、社会をリードする人材に育て上げる」(報道)「異才発掘プロジェクト」(excavation of extraordinary talents project)を開始する。
一見すると飛び級進学と同じで特殊能力(particular talents)の子どもの発掘、開発、特殊教育による逸材教育で、英米では一般化(報道)しているものだ。
(6)先端的科学技術開発力で高い能力を示す日本だが、反面、近年は高度な大学研究機関での不祥事や問題、事件は後を絶たない。問題の根底にあるのは高い専門能力と反比例する社会性、人間性、倫理性の欠如だ。
子どもの教育で必要な社会性、人間性、倫理性を培(つちか)ってこなかった教育制度の欠陥がそのまま高い専門能力との反比例で社会問題化している。
(7)学校生活になじめない子どもにその潜在能力の特殊な知識、興味、関心を持たせる、呼び起させる「異才発掘プロジェクト」は意味はあっても、やはり研究機関と家庭の問題意識の共有、理解、連携が大前提だ。