いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

財津和夫は前衛だった。 k.zaitsu has been an avant garde

2013-12-31 19:47:56 | 日記
 (1)昨年は12月30日に大阪フェスティバルホールでのチューリップ「the live」コンサートで年末を迎えて、今年は12月28日、29日に京都、大阪での財津和夫live & talk コンサートで年末を迎えました。

 12月28日の京都は霙(みぞれ)まじりの雨がガードの固い京都駅構内にも降り注ぐ天気の中、京都劇場での財津和夫コンサートです。
 「最近、(福岡のライブハウス)照和がテレビによく取り上げられてます。井上陽水さんも出ていたとなっていますが、才能があったんでしょうね、陽水さんは早くから東京に出ていてここには出ていなかったんです。」と井上陽水さんのマネで歌らしきものをちょこっと披露したようですが、本人の言うように似てもいなくてよくわからないのだ。

 この照和で制作したチューリップの財津和夫の自作曲(詞・曲)の「魔法の黄色い靴」が日本のミュージックシーンにはない斬新なもので、当時の東芝レコードディレクターの心を強く動かしてメジャーデビューしたが、「時代の先を行き過ぎた」曲としてヒットせずに、2曲目「一人の部屋」もヒットせず、追い詰められた財津さんが自らの体験をもとに歌(詞・曲)にした勝負曲の「心の旅」がヒットした。

 チューリップのリードボーカルの財津さんが歌うものと思っていたら、一番若い姫野達也さんが歌うことになっての財津さんの心の葛藤はNHKチューリップ40年を振り返る番組でも本音を語っていましたが、その後発表の「夏色のおもいで」では作詞が松本隆さんになって、これまたこれまでの詞・曲を自作していた財津さんには自ら目指す音楽観との方向性の違いに悩んだ時期だそうです。

 この頃の想いを歌った初期の作品の「届かぬ夢」が印象的です。シビアな詞をセンチメンタルな美しいメロディラインが際立ってジーンと来ます。
 翌日が大阪でのコンサートでしたのでやや抑え気味のトーン(tone)の財津さんでした。

 (2)翌29日は打って変わった好天で、大阪森ノ宮ピロティホールでの財津さんのコンサートです。両日とも千名程度のキャパのホールで立ち見席にも多く駆けつける盛況になりました。

 「心の旅」を自分が歌えばこんな風になると歌い、姫野風の甘えた歌い方もマネてやっぱりこれがよかったんだと、何がヒットに結び付くのかよくわかりませんねと。

 「夕陽を追いかけて」は、財津さんのピアノソロでゆったりと始めて、だんだんと高揚していき、ギターも最初アコギからエンディングではエレキに持ち替えて力強く、財津さんは腰と手が一体となって飛び上がらんばかりにキーボードを指で叩く、叩く、叩くは、最後は両手を広げたまま、そのまま一気にバァーンと鍵盤に叩き落として感情をぶっつけて終えました。

 ちょうどビートルズの「a day in the life」のエンディングのようにです。圧巻でした。ぐっと(good)来ました。

 やはり、財津和夫さんは「前衛」でした。(k.zaitsu has been an avant garde)

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日本と中国の歴史観。 view of history between japan and china

2013-12-30 20:37:14 | 日記
 (1)過去の中国大陸が旧日本軍による植民地支配を受けて多大な被害と苦痛を受けたことに対しては、仮に理由の如何(いかん)にかかわらずに今の日本国民としても、それ以前の一人間としてあってはならないことの分別の気持ちは当然ある。

 その侵略国としての責任の取り方は当然に必要だ。戦争にはそのほとんどが勝者と敗者が存在して常に勝者の論理でその戦争が正当化されるのは世の常で、戦争の歴史観(view of history)を公正に客観的に「現在」から検証することは極めてむずかしい作業となる。

 (2)だからいつの時代でも戦争を美化(beautification)などできないし、不戦の誓いもまた必然のことだ。
 安倍首相のあるとすれば戦争観というのは多分に美化されたところが見受けられるし、それが靖国参拝に対する強い執着心(参拝しないことが痛恨の極みであり、A級戦犯を含めての崇拝の念)にあらわれており、他国からのあらぬ批判、干渉を招く誘因でもある。

 (3)戦後の戦勝国による東京裁判で敗戦日本を戦争に主導した軍人為政者(A級戦犯)は裁かれて、それを受け入れて(サンフランシスコ講和条約)の日本の戦後が始まった。
 この戦争歴史観、経緯の中で現在の日本政府はかっての植民地支配のアジア被害国に対する戦争責任(賠償問題も含めて)を果たしたとの立場であり、一方韓国を筆頭としてアジア被害国には戦争責任問題は残されてひきづったままという立場の対立が続いている。

 (4)こういう両極の歴史的立場の違いは現在の「世代」では客観的事実にもとづいて正当化し検証、立証しようもなく、問題はいつも存在し続ける。
 だから首相ともなればこういう不確定な国際化した歴史問題について、国内事情だけで首相の立場を顧(かえり)みず自己主張を美化して正当化することなど控えることが肝要なのは言うまでもない。

 安倍首相には意図的にこの「節度」がみられないことが他国をやたら刺激して問題を複雑化している。

 (5)一方多大な被害、苦痛を受けた国にとってもその概念上(忘れてはいけない戦争の被害、苦痛)とは別に戦後60年以上を経過してのいつまでものこの問題の外交対立摩擦とするのかの意味、経緯、論点はある。

 駐日中国大使が日本の新聞にこの問題での安倍首相の政治行動を批判する記事を寄稿した。ドイツのヒトラー(現文)を例にして「ドイツの政治家が自らの死生観、宗教観を理由に~死をもって罪をあながったからと墓を建て、参拝したということを聞いたことがない」(寄稿文)と批判した。
 
 (6)しかし、これこそ国の歴史観、宗教観、文化にもとづく観念論であって、他国を例にして日本の伝統的、歴史的、普遍的なやり方が批判されるものでもない。
 今回の問題は首相の政治行動であったから言い訳も利かないが、しかし政治家安倍晋三「個人」の歴史観、倫理観にもとづくもので「国家」観ではない。

 (7)このことで国同士の外交問題に発展されるのは意図的策略すぎるのではないのか。
 中国は自由主義国家が当然のように求める個人の権利、自由の管理統制は国家主義、統治の中で必要なものとして、他国の批判は内政干渉として排除している。
 この変わり身は、中国にとってもあまりにも都合主義ではないのか。

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再び、政治ごっこ。 political kids games , again

2013-12-27 19:33:25 | 日記
 (1)日本は憲法前文で「国際的に名誉ある地位を占めたい」と戦後日本再生をスタートさせた。団塊世代の圧倒的人口比率に労働力、国民性を背景に経済成長をとげて、経済では一流と呼ばれる経済大国に成長した。

 第2次世界大戦の敗戦から自主独立を果たしたが、いまだに米国からの強い影響力を受けたままの政治、安全は従属国並みのレベルのままだ。沖縄は72年に返還されたが核持ち込み、基地経費の負担増の密約付きでいまだに実質米国(米軍)の治外法権下にある。

 (2)安倍首相は平和憲法を米国による押しつけとして、自らの手による自主憲法の制定で彼の言う本当の自主独立を実現することを政治理念としている。日本の歴代首相は就任早々には米国訪問して米国大統領と会談して注文、制約を付けられて、米国忠誠を約束させられてきた。

 アジア共同体構想で米国離れを目指した09年の民主党政権の鳩山首相は理念倒れの戦略不備の中で、米国の反発を買って右往左往の末に行き場を失って失速解体してしまった。

 (3)安倍首相は昨日の靖国参拝で右傾化のこの1年の日米協力防衛構想思想の締めくくりを果たしたが、当然のように中国、韓国の強烈な抗議を受け、さらに日本、中国、韓国の東アジアの安定を望む米国の意図、要請にも反して「米国政府は失望している」と異例の強い反発をも受けた。

 駐日中国大使は即座に「中国をはじめ戦争被害国の国民感情をひどく傷つけた。国際社会に対する挑戦だ。」(報道)と抗議した。安倍首相とすれば、戦後も60年以上も経過していつまでもこういう国際世論に対する見直し、思想的清算への挑戦として、自主独立国としての理念にもとづいた自律性、独自性をあえて発揮したつもりなのだろう。

 (4)日本は平和憲法のもとに戦後は経済成長主義中心に「国際紛争を解決するための戦力を保持しない」憲法条文のもとに個別的自衛権遵守、日米安保体制により他国への軍事的脅威(military menace)は示してこなかった。

 今回の駐日中国大使の抗議も、いつまで戦争被害を概念上の問題(決して忘れ去ることのできない悲惨な悲劇)ではなく国際外交上の問題として束縛されるのかの思いはある。そうだからこその安倍首相の憲法改正、国防軍化、集団的自衛権の行使容認姿勢にはアジア諸国を再び疑心に向かわせる格好の不安材料を提供することになるのだ。

 (5)安倍首相は今回の靖国参拝にあたって、吉田元首相も中曽根元首相も小泉元首相も歴代首相は参拝していると政治的背景もその後の外交関係の悪影響も無視して、参拝のよりどころの正当性をただ強調している。

 極めて他力本願に転嫁しての甘い認識観だ。表現は適切かどうか、坊っちゃん的人柄が思考につきまとう。やや早口で立て板に水のごとくリズミカルに話すが、出てくる言葉の重みほどに感性が伝わってこないのが特徴だ。
 表情からも本当に本意として言っているのか、そのとおりやる気があるのか、建前論にしか見えないことが多いのだ。今回の靖国参拝問題にしても、中国、韓国との会談のチャンネルもないのに、平然と粘り強く説明して理解を得たいと言いのけている。

 (6)自己陶酔型で自己満足型なところが見受けられる。官邸主導の政治スタイル、強引で独断的な人事、手法は比較考察力に欠けて、闇雲に突っ走る危険性がつきまとう。
 自衛隊の国連PKO活動海外派遣も当時の国民の過半数が反対したが、現在は広く貢献しているとして国民の過半数の意思など眼中になく、今回の靖国参拝も逆風を見て見ぬふりのわが道を行くで、そのうちなんとかなるだろう、時間が解決するとの甘い思いがあったのではないのか。

 政治ごっこ(political kids games)には付き合いかねる。こういう日に報道各社の政治部長らが安倍首相と会食(首相スケジュール報道)しているのは理解できない。

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安倍首相が靖国参拝。 premier abe worship at yasukuni

2013-12-26 19:32:48 | 日記
 (1)今年も安倍首相が靖国神社を参拝しないだろうと見られていた。中国、韓国との尖閣諸島領有権問題、歴史認識問題でともに新体制になりながら1年近く経過しても首脳同士の交流、会談もなく頑(かたく)なに拒否を表明する、あるいは領有権問題棚上げを条件とする中国、韓国政府に対して安倍首相は常に話し合いの門戸は開いていると表明していた。

 まさかその安倍首相の方から中国、韓国が旧日本軍のアジア植民地支配の苦い経験から過剰拒否反応を示す靖国神社参拝を強行することは、話し合いの門戸は開いているという自己主張とは矛盾する両国関係をさらに悪化の方向に導く政治行動になることから、主張との整合性から靖国参拝は選択肢の中では確率は低いものと考えるのが順当だった。

 (2)安倍首相が靖国神社を個人の意思で参拝すること自体は新年に伊勢神宮を参拝するのと同じく宗教信奉的な意味合いはなく、国内問題としてはごく自然な行動であり、主権国家として国外からみだりに批判、非難、干渉(intervention)されるものではない。

 ここに靖国神社を参拝する理由として、国のために命を落とした英霊に敬愛の精神をあらわすのは自然で当然のこと(趣旨)とあえて表明するから、多くの国民を戦争犠牲に駆(か)り立てたA級戦犯ほか軍人が祀(まつ)られている靖国参拝(worship at yasukuni)が思想的な意味合いを持つことになる。

 (3)終戦記念日には天皇、安倍首相も出席して国家行事として戦没者慰霊式典が執り行われており、宗教、思想にかかわらずに広く戦争犠牲者を追悼、供養するものであり、この精神性こそ博愛、平等のあらわれではないのか。

 あえてA級戦犯、軍人が祀られている靖国神社を国のために命を落とした英霊として参拝するのは、戦争主導責任者を特別に崇拝する精神性のあらわれであり、首相の立場としては偏向して普遍性を欠くものだ。

 (4)同趣旨の靖国参拝は国内問題としても思想偏向的であり、首相として普遍的立場を欠く問題性はあり(広く戦没者慰霊式典での追悼精神がふさわしい)、国外からの干渉、批判を招く善し悪しの判断は別にしても、これから中国、韓国政府のさらなる反発を招くことは必至の中で今日、両国は強烈にこれを批判した。米国政府も懸念と失望を示している。

 (5)安倍首相としては終戦記念日でもなく靖国神社の大祭、例祭でもない年末(安倍政権の1年経過)を選んでの参拝で配慮したつもりなのだろう。
 NSC設立に特定秘密保護法の成立に国連PKO活動の韓国軍への銃弾提供と続く自主独立、防衛戦略構想思想の流れの1年の締めくくりとしての計画的な靖国参拝の意義づけだったのだろう。

 (6)国民の過半数の意思も中国、韓国の反発(そして今日の米国の懸念、失望)も一向に気にしないかのような安倍首相のわが道を行く独走ぶりが目立ってきた。年明けからは集団的自衛権の行使容認、国防軍化、憲法改正へと突き進む。

 日本が国際的に「孤立」しないように、国民も安倍首相になめられてばかりはいられない。いつか来た道へは戻れないのだ。

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政治と国民のインバランス。 imbalance between politics and nations

2013-12-25 19:34:30 | 日記
 (1)14年度予算案が閣議決定された。一般会計が95兆8千億円で過去最大に伸びた。円安株高効果による企業業績の回復に来年4月からの消費税8%引き上げでの税収増を見込んで、今までムダな公共事業で歳出を圧迫すると見直し削減してきた公共事業費を5.4兆円に優遇復活させた。

 デフレ脱却を目指す経済政策の一環だが、旧態然とした自民党政権の既得権益、利権政治の復活でもある。直近のメディアの世論調査では、安倍内閣の支持率が初めて50%を切って「49%」となったが、一方で安倍首相に今後も首相をできるだけ長く続けてほしいと願うものが30%で次の総選挙まで続けてほしい32%とあわせて「62%」が首相継続を願う結果となった。

 (2)今年一年、大胆な金融緩和策への期待感で円安株高効果を生んだ経済金融政策による景気回復の期待には47%が期待できるとしながら、一方45%も期待できないと回答して「きっ抗」しており、特定秘密保護法の成立では60%が不安を感じ、84%が第三者機関のチェックが必要と答えて、政府の対応の「不十分さ」を指摘している。

 冒頭の国家財政累積赤字1000兆円の中での公共事業の優遇復活に多数にモノを言わせての国会強行採決と、国民による09年の民主党への本格的な政権交代の判断で一旦は否定したはずのすっかり旧態然とした自民党政権政治に逆戻りした感のある国政であるが、そんな安倍政権の存続を支持するというむずかしいインバランスな国民意識(imbalance between politics and nations)でもある。

 (3)ポイントは、民主党政権の自らの手によることごとくの公約違反による政治崩壊、停滞、閉そく感にうんざりした反比例、反動としての安倍政権の官邸主導による強い政治リーダーシップ力への安定感とふがいない存在感のない野党への幻滅感だ。

 同世論調査では結(ゆ)いの党結成による野党再編については、期待するが29%で低く、野党支持率も軒並みヒト桁台に低迷して政府自民党の独断、独善、独占の国会運営への国民批判が向かうところもない結果としての安倍政権の支持だ。
 経済回復基調一点による内閣支持率49%の中でも、その経済回復への国民の期待感の優劣はきっ抗しているのだから、政治と国民のインバランスはそれを吸収できないすべてあまりにもふがいない野党の責任ということになる。

 (4)外交関係では中国、韓国との関係改善(首脳会談)を国民の63%が望んでいる。昨日、日本は平和憲法の主旨に反して南スーダン国連PKO活動の韓国軍に銃弾1万発の提供を決定したが、日本側は韓国軍の要請を受けての緊急避難的対応と言いながら、これに韓国政府は国連派遣団を通した話であり何かあったときの予備的補充措置だと異論を唱えている。

 両国の外交断絶状態がメンツをたてた不退転のものになって、これは相当に深刻だ。国民の63%が関係改善を望んでおり、広汎な民間交流・外交、経済による意思発信に糸口を期待するしかない。

 (5)隣国同士でともに経済発展するアジアの自由主義体制のなかにあり、両国の関係健全化が重要なことは誰もが理解している中での不自然な孤立主義だ。

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