いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

政党政治の危機堕落。 corrupted crisis of political party

2012-11-30 19:28:38 | 日記
 (1)12月4日に公示される衆院選挙は比例代表0増5減は国会を通過したがその選挙区割が間に合わずに今回の選挙には適用できずに、またそれだけで最大5倍の1票の格差が是正されるわけでもなくて、最高裁判決の憲法違反状態の選挙のまま実施となる。
 しかしそれでも現在の閉そく、硬直した政治状況をこれ以上ほっておくわけにもいかなくて、一度国民の審判、判断を求めて「出直し」が必要な危機的政治状況だ。

 今回は憲法違反の総選挙になる公算が極めて大きいから、理論上はそこで選ばれた政権は「選挙管理内閣」となって1票の格差是正選挙制度をまず早急に整備成立して、その新制度にもとづいて衆院やり直し選挙(recommence an election)を実施することになる。

 (2)デフレ円高不況、雇用不安、震災社会に領有権、TPP問題と内憂外患の国難時代に、相応の「政治空白」が許されるのかの判断が争点となるだろう。
 憲法違反「状態」ではあるけれど、1票の格差是正を条件に「近い将来」または期限限定で衆院やり直し選挙が義務付けられることも考えられる。

 国民の審判、判断結果と日本を取り巻く内外政治状況とを考慮して、憲法上の国民の権利義務の公正性、公平性の確立、保障から本格的政権とはいえずに、選挙管理内閣として早期の衆院やり直し選挙実施の政治責任を負うことなると考える。

 (3)今回の衆院選挙は国民の関心、投票率がそういう意味でも政治判断、憲法判断に大きな影響力をもたらすと考える。
 国民が憲法違反選挙と判断して投票参加しないのか、あるいは政党政治の危機的状況、堕落(corrupted crisis of political party)に敏感に反応して関心、投票率が上がるのかは、違憲状態であっても選挙結果まで無効とするのかの裁判判断の分岐点だ。

 (4)そういう政治課題、テーマの政治状況の中で、解散総選挙に開き直った政治は(それはそれで現時点ではもう必要であった)肝心のデフレ円高不況、雇用不安、震災社会への早急で具体的な政策提言、公約プログラムの提示はなくて、09年マニフェストの数値目標、行程表作成の実行破たんによる公約違反にすっかり消極的になって、抽象的な政治テーマのら列に終始している。これでは前に進める政治と言いながら、09年前に戻る政治だ。

 緊急政治課題の解決策にまともに対峙しないで、「脱原発」という大きな政治方向性をテーマとして政治勢力結集、グループ化を集めているだけだ。
 危機的状況にある(だからこそ、この時期にあえて解散総選挙に踏み切った)政治に対して政党からは危機感が伝わってこないのは、現在政党政治の堕落であり、貧困そのものである。

 (5)前に進む政治を目指すのなら09年マニフェスト仕様をさらに進化、前進させる気概とやる気と決意が政党には必要であった。
 まさか憲法違反選挙、選挙管理内閣、やり直し選挙を見越しての政党の選挙前の危機感のなさでもあるまいし、野合と言われるような政治勢力の離合集散ばかりで平然とした自己利益優先の政治家の理念、見識が疑われるばかりの、一政策一政党の乱立状態を見せられている。

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日本農業の国際化。 internationality of japan agriculture

2012-11-29 19:21:15 | 日記
 (1)米(コメ)離れが言われて久しいが、農水省が13年産のコメの生産数量目標を需要実績に合わせてさらに下方修正(791万トン)して4年連続の減少となった。
 国民の一人当たりの年間コメの消費量は62年ピークの118キロから11年は58キロに半減(報道)していた。

 連動して11年の一世帯当たりのパンの購入額がコメを初めて上回った。少子高年令化社会を迎えて若者のコメ離れ、多様な食文化、共働き家庭、高年令者の手をかけない食糧事情社会を反映してのコメ離れ社会の食糧事情だ。

 (2)少子高年令化社会の到来が早くから予測されていながら、対策、対応不足で危機的な年金、社会保障制度問題と同じ軌跡を描いての食糧事情の変化に、政府はこれにも十分に効果的な食文化戦略、計画、検証をしてこなかった。そもそも農業開発、促進政策などとってこなかった。

 やってきたのは農業人にコメ作りの減反を強いて、その分戸別所得補償制度で庇護して国民投資(税)で相応の所得補償を実施してきた。他の国内産業の多くは企業自助努力で厳しい国際競争市場、経済環境の中で広く対峙している。

 減反政策、所得補償制度は農業人の自立(independence)、多様性、私感を勝手に阻害、束縛して、折角の日本農業の高い技術力、開発力、生産力、安全性、味覚力を無駄にして活用、促進してこなかった。

 (3)世界は人口増加、気候変動(温暖化)問題で食糧難地域を抱え、将来的にも世界的な食糧難事情も懸念されている。
 日本の高い農業力、安全性、味覚力は国際競争力、市場貢献力への大きい潜在能力を持続している。これを有効活用しない方法論はない。日本農業の体質改革、構造改革が必要だ。

 日本文化の食糧事情の変遷、変化を見るまでもなく、国民食糧の自給自足理論は経済のグローバル化、国際協調主義の変化の中で、ひとり自国事情だけで持続することなど無意味、無責任なものとなってきている。

 (4)国民投資(税)による所得補償制度と引き換えに減反政策を農業人に押し付けるなどと、国民全体益に反比例する政策ではなくて、食糧環境を踏まえて農業人に選択権を与え自立機会を与える政策転換、農業の体質改革、構造改革が必要だ。

 農業人も日本農業の比較高い潜在能力、技術力、開発力、生産力、安全性、味覚力を自覚、モチーブパワー(motive power)として広く国際市場競争力(marketing competition)の中で国際食糧貢献にも打って出る自立策、戦略が必要だ。

 (5)醤油、調味料、すし、自然食品と日本食文化は海外でも健康推進食糧として評価、人気が高い。そういう契機としてのTPP交渉参加問題でもある。
 農業人は国の庇護から脱却して食糧環境に沿った自衛策、改善策、振興策による産業自立をはかるべきだ。

 (6)すっかりパン食が多くなったが、日本人の体質からやはりご飯は欠かせない。体内に熱いエネルギーを感じるのはやはりご飯だ。ご飯だけでなく味噌汁に梅干し、納豆と合わせれば簡潔だが本当においしいものだ。

 若い農業人には国際競争市場に参画する動きもあるがまだまだ市場拡大とはいかない状況だ。国、農業人が一体となって日本農業の国際化(internationality of japan agriculture)に向けて進むべきだ。

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ローリング・ストーンズ50年。 Rolling stones 50's

2012-11-28 19:36:08 | 日記
 (1)ローリング・ストーンズが今年音楽活動50年(Rolling stones 50's)を迎えて記念ライブをロンドンで開催した。アリーナに2万人の聴衆を集めて(報道)2時間半余り、新曲も含めての記念ライブだ。

 バンド活動生命は3,4年で離合集散が普通の欧米のポップ、ロックシーンで50年間もローリング・ストーンズ一筋で精力的にライブ活動を継続してきた、まったく稀有(けう)なロックバンドだ。
 若い頃に中心メンバー(ギタリスト)を亡くしたり、途中メンバー交代をくり返しながら現在の平均年齢68才の4人こそがローリング・ストーンズそのものだ。

 同じく今年結成50年を迎えるビートルズ(Beatles)はすでにジョンとジョージの2人が他界して結成はかなわずに、ローリング・ストーンズの息の長さは際立つ存在だ。
 世界最高峰の人気、実力、ステータス(status)を共有しながらビートルズとの交流も深く、曲の提供を受けたりレコーディングやテレビ音楽番組にもコーラスで参加するなど、枠にとらわれない自由かっ達でバンド音楽活動同様、奔放な姿勢がすばらしいローリング・ストーンズだ。

 ビートルズが67年世界初のテレビ同時衛星生中継で世界に発信した「All you need is love」では、ミック・ジャガーが多くのミュージシャンとともにビートルズを囲んで床に座ってコーラスに参加していた画像、姿が印象的だ。

 バンドは複数の個性の強いメンバーで日常活動を行っているから、長い人生の間には紆余曲折もあって、ひとつ誰かが反社会問題を起こせばライブ活動はたちまち不可能になる宿命、責任も背負う。
 ましてローリング・ストーンズの4人は、見るからにその筋「あぶない」個性の強い連中そのものでありながらの50年間のライブ活動は評価されるものだ。

 確か音楽評論家の星加ルミ子さんだったと記憶しているが、ミック・ジャガーに会った印象として「インテリ(intelligence)」だったと語っている。ローリング・ストーンズの音楽性を示す粗野で荒削り、無法な独特のパフォーマンス(performance)とは違ったメンバーの社会性、人間性の一端を示すもので、50年継続してきた音楽活動もうなずけるものだ。

 それとミック・ジャガーがソロアーティストとして来日してもそれほど話題、関心も高くないのに、ローリング・ストーンズになると爆発的になるのもローリング・ストーンズ50年の音楽の魅力サティスファクション(satisfaction)だ。

 報道によると冒頭の記念ライブでは会場のアリーナが23時以降は音出し禁止のため、ライブ開始の遅れによりアンコールの「(I can't get no) satisfaction」が演奏できなかったと報じている。

 (2)一方、日本では結成40年のチューリップがどこの大規模ホールもソールドアウト(sold out)かそれに近い盛況の全国コンサートを開催中だ。
 50年はわからないが、チューリップ、財津サウンドの音楽性に対するこの高い関心、実力を見ると45年あたりはまだまだ期待していいのではないのかと思わせるものだ。
 チューリップもローリング・ストーンズ同様、ほぼオリジナルメンバーだけでのライブ実力バンドだ。

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足場を固めてから。 from binding a footing

2012-11-27 19:35:35 | 日記
 (1)減税日本代表で名古屋市長の河村さんは、根は正直で隠し事があまり得意ではない政治の世界では損な役回りの性格なのだろう。それが人気の高い理由の源でもある。
 政治第三極勢力の結集、東京、名古屋、大阪の首都圏連合による国政参画、政治改革を目指して、石原太陽の党と合流した日本維新の会との連携を模索していたが減税政策が受け入れられずにとん挫して、もうひとつの「脱原発」第三極勢力との連携の選択に追いやられた。
 東京、名古屋、大阪の首都圏連合構想の破局だ。

 自身も第三極勢力の大同結集のうえに国政に転出する機会を失って、結局市長を継続して来年の3選を目指すことになった。

 (2)09年の名古屋市長選で「市民税10%恒久減税」、市長報酬800万円を打出して市民の圧倒的な支持を受けて当選して、その後自ら代表をつとめる地域政党の減税日本(現在、国政政党化)を立ち上げて市議会の第一党に進出したが過半数は取れずに、政治手法、議会対策に問題があって議会との対立をくり返して市長辞職、市議会リコール成立、再選挙を経て再び市長となって、今度は議会と妥協の結果の市民税5%恒久減税を実現した。

 (3)政治手法、議会対策に問題はあるが市民の高い支持を背景として、政策の主張力、主導力、実行力、実現力には一貫性、強い意志力を持って、自ら市長報酬800万円、減税政策を貫いてきた。今の閉そくした政治に一番欠けている公約政策の主導力、実行力、実現力のある市長、政治家だ。

 政治第三極勢力の中心軸となっている石原前東京都知事、橋下大阪市長には、公約政策実行力にはこれといった「実績」もなく、議会、行政機関との対立を煽(あお)ってひとり社会正義観を、また国とは統治機構改革(道州制)を掲げて対峙して地域主権を印象付けてのアジテート(agitative)政治家像だ。
 河村さんはこれとはひと味違う政策主導政治家像であるが、政治手法、議会対策同様の根回し下手、不足で性格上今回の第三極結集対応でも損な役回りを強いられている。

 (4)市長報酬800万円、市民税恒久減税5%の一応のこだわった公約実現力は政治主導、政治姿勢としては評価されていいものだ。
 減税政策を国政に反映する場合の条件、環境、総合連携政策などの理論付け(theorize)、政策計画整備が周到準備されない中での説明力を欠く国政参画であったから、第三極大同結集の中心軸となれずにはじかれたのだ。

 (5)今後は市長を継続して来年の3選を目指すということなので、財源問題を含めた減税効果を検証、分析し系統的に理論政策(theoretics policy)として推進、発信することだ。
 政策力、主導力、実行力、実現力を示して他の政治家群像との違いをあきらかにして、その時は望むなら国政参画の中心軸として考えることだ。

 (6)そのためには、まず減税政策、国政参画で不協和音のある県(知事)との関係改善が必要だ。名古屋、愛知の政治、経済の一体感による主導力、行政力、経済力を回復、推進して、足場を固めてから(from binding a footing)の国政参画問題だ。
 目的のためには稚拙な政治手法、議会対策不足は改善されなければならない。

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メディア・リライアビリティ。 reliability in media

2012-11-26 19:43:43 | 日記
 (1)何やかんや言っても、日本のメディア(TV・新聞・ラジオ・インターネット)の情報、記事の信頼度(reliability)というのは比較高いレベルにあると言える。iPS細胞の臨床実験の誤報道でもニュースソース(news source)から話を持ちかけられた多くのメディアはほんの一部を除いて、その真偽性について検証し、分析し、問題があるとしてニュースにしなかった。

 基本的に正しい情報を伝える使命感、検証機能が働いているということだ。新聞記事の場合、掲載記事の担当者を公表して情報開示性、信用性を高める工夫も見られる。
 しかし、情報化社会が高度に進化してメディア、特に新聞業界にとっては世界的な購買量の減少による経営難に陥って業界再編が進んだ。

 全国紙が地方紙と取材提携、ニュースの共有化をはかり、経営効率化のために情報分析、視点、構成の独自性、切り込み手法の特性が希薄になるメディア自己否定要素に走るという、経済原理にもとづく安易な方法論を選択した。

 (2)迅速で広範囲な伝達力を持つネット社会の普及に対抗するため、読者層の興味本位に迎合してスクープ(scoop)にしのぎを削って他社を出し抜くことがステータス(status)になって、情報源(news source)の確認、分析、検証が十分ではないという、メディア特有の批評、比較精神性が損なわれてもきている。

 女性容疑者を取り巻く一族、親族の一連の不審死事件でも、容疑者の段階で当該女性の誤った写真をほとんどのメディアが同一掲載して、誤って使われた女性からの指摘で初めて間違いがわかるというメディア全体にとってはあってはならない、取り返しのつかない初歩的重大ミスであった。

 人間として誤りはあるものとはいえ、たとえば裁判での「疑わしきは被告の利益」という観念レベルの十分すぎる確認情報しか使わないという、自己規制によるメディア精神性が立場、影響力から当然必要だ。
 情報化社会に迎合したメディアの興味本位性、スクープ性偏重の現在姿勢が社会問題を起こしてもいる。
 
 (3)発表された12年度メディア信頼度(reliability in media)に関する世論調査では、新聞、テレビ、ラジオ、インターネットいずれもで調査(08年度)以来、最低(報道)となった。パラドックス(paradox)としてこれも「報道」だから、細かいデータ上は前述のような「危険性」をはらんだ憶測ものともいえるが、「最低傾向」はうなずける。

 発表データでは、100点評価でNHKテレビが70.1点(前年度比較△4.2点)で最も高く、新聞68.9点(同△3.1点)、民放テレビ60.3点(同△3.5点)、ラジオ58.6点(同△5.5点)、インターネット53.3点(同△3.0点)となった。

 民放テレビまでがせいぜい及第点というところだが、メディア従事者の反社会行為、不法行為が目について、メディアへの評価(つまり信頼度)は総じて厳しい評価度だ。

 (4)最近のメディアの特色として批評力、分析力が衰えて記事、ニュース内容が平凡になってきていることだ。活字の大きさも含めて分かりやすさを強調してあまり、内容、解説力が軽くなっている、ものたりない傾向がある。

 それでも仮に風評(rumor)しかない社会であったならば、これほど怖いものもないわけで、冒頭に述べたように比較信頼性のあるメディア報道の役割、使命感は守られなければならない。

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