14日目の御嶽海は何ということでしょう・・今日も負けました~
押しだされて画面の外です・・6勝8敗で負け越しですね。
<今日のコロナ感染状況>
全国では
東京では
関東甲信越では
14日目の御嶽海は何ということでしょう・・今日も負けました~
押しだされて画面の外です・・6勝8敗で負け越しですね。
<今日のコロナ感染状況>
全国では
東京では
関東甲信越では
3日目;坂城神社登山口~葛尾城跡~坂城神社~ふるさと歴史館~村上義清墓所
2日間お世話になった宿、上山田温泉・亀静旅館をチェックアウト
お庭も温泉もお食事も満足でした。ありがとう!
9:00登山開始
天和2年の狛犬
桂とダンコウバイの黄葉がいい
返り咲きのツツジ
最初は雨がポツポツで雨具をつけたが、間もなく止んだ
岩山に登って観る景色
坂城の町と向こうの山は昨日歩いた太郎山~虚空蔵山
緑色した大岩
苔と羊歯がきれい
カマキリさんここで何してる?
姫城跡はパスしました
今日も暑く積もった落ち葉が滑ります
急坂を登ります
ここから見える山々、後立山~白馬岳
立地;現坂城町と千曲市の境で、千曲川を望む要所に築かれる。西側には支城の姫城跡も築かれている。
歴史;戦国時代に現坂城町を本拠とした村上氏の居城。
遺構は全長300mを超える規模を何条もの堀切で守っている。
掘切が何段にも
鮮やかな緑色の山繭(山蛾)があちこちにぶら下がっている
乾いたクリタケ
ふるさと歴史館
庭のツツジが美しく残っていた
<付録>
上田駅近くの老舗・飯嶋商店で「みすゞ飴と沢山のジャム」を購入しました。
私はGOtotravelでいただいたクーポン9000円を使いました。
2日目;太郎山表コース~花古屋城跡~大鳥居~太郎山山頂~虚空蔵山城跡~和合城跡~登山口
↑ 中嶋豊氏の絵地図
8:30 宿を出発 9:15分太郎山表コース登山開始
一丁目ごとにある「道しるべ」
すぐ下に上信越自動車道の太郎山トンネルがあり、車のエンジン音がうるさい
花古屋城跡にちょっと寄ってみよう。堀切を渡って行ってみる
このあたりで歩みの遅いメンバー3名はA社長にお任せ(このチームは山頂~裏コース~下山)
中嶋氏とKさん私はどんどん上がっていく。
ここは上田城の石垣を切り出した場所という。
そのノミの跡が残っている
赤い大鳥居に
何度か来ているKさんは山頂を回避し西峠で合流しようということに
富士山のみえるところらしいが、今日は・・
太郎大神社には毎日参拝に登ってくる方が多くいて、5千回記念の木札などが掲げられていた
山頂1,164mと中嶋さんは「お地蔵さまと一緒に撮りましょう」シャッターを。
ここからKさんが舞っている西峠に下っていく
12:00西峠 ここで昼食タイム
ここから鹿島槍ヶ岳が見える
ダンコウバイの冬芽! というか春の準備ができている
野菊が一輪だけきれいに残っている
ガマズミ
↑ 白馬三山
↓ 鹿島槍ヶ岳
雪割草・オオミスミソウの葉でしょうか・・
カモシカ現る!
頚城山塊・・戸隠山・西岳~~高妻山
ナンジャモンジャの木
中央は高妻山~~右端は火打山?
菖蒲平から「ここからの和合城が一番見栄えがするよ」と。
明日行く葛尾城の山をズーム
石垣を撮る中嶋氏
主郭は石垣が積まれている
下の駐車場に迎えの車、オンジアース社長と手を振り合っている
この大石の近くに「サイカチの実」マメ科・ジャケツイバラ
昔のこと、ぬるま湯でもみだすと泡がたち、石鹸と同様に使われた。今でも絹の布を傷めないと使われていると。
16時、下山口で合流。休憩時間を入れて7時間だった。
中嶋氏に「早かったよ!凄いよ!」とお褒めの言葉をいただいた・・
川向うの山は??
2013年11月3日、山岳会の5人で和合城跡で
この時の歩行時間は今回とほぼ同じ時間だった
独鈷山 虚空蔵山山頂で
紅葉の一番いい時で、マユミの実も和合城近くの尾根に・・
↑ 中嶋 豊氏の絵図
18日から3日間上田市街地の北側にそびえる里山(太郎山山系)を
山の絵地図でお世話になっている、かの中嶋豊氏のガイドで歩きました。
今回は太郎山山系にある山城をめぐる晩秋の里山歩きでした。
オンジアース企画・実施 参加者5名と中嶋氏、オンジアース社長
< コースの概略 >
1日目;米山城跡~砥石城~本城跡~桝形城跡~~~~陽泰寺~櫓門
2日目;太郎山表コース~太郎山~~虚空蔵山~~和合城跡など
3日目;坂城神社~葛尾城跡~坂城神社~ふるさと歴史館など
過去は1度、2013年11月3日に山岳会で2日目のコースを縦走し、ブログにも残していた。
その時は紅葉の山歩きを楽しんだだけで、山城のことは適当に流していた。
今回、中嶋さんから詳細な資料をいただき、現地で、生の声でガイドをしていただいた。
が・・ここに正確に記すことは無理と思われので、中嶋氏には失礼ながら・・
印象に残っていることだけを書くことにしたい。
18日;米山城跡~砥石城~本城跡~桝形城跡~~~~陽泰寺~櫓門
城門もどきか・・
「切岸」の説明をする中嶋氏
山を切って急な土手を作り、敵が攻めにくいようにしている場所
向こうにしたアルプスがうっすらと
村上義清公碑
砥石崩れによって武田軍を退散させた村上氏でたったが、翌年(1551年)真田幸隆によって砥石城は乗っ取られた。次の年には義清が拠域としていた葛尾城(坂城町)も武田方に陥ち、東信濃に威勢を誇っていた村上義清を頼って越後に逃れた・・
城郭にはいくつかの段差、切岸とか堀切があった
晩秋の林には乾いたアケビ
ナデシコが残っていた
矢竹の竹藪。戦いに使う弓矢に使われたので「矢竹」と呼ばれている
向こうにのろしを上げた山城があります
ここから富士山が見えるというのですが・・今日は霞んでます
泥を塗りつけているのは鹿か猪か・・
水が湧き出る場所はイノシシのヌタバになっている。
砥石は戸石とも
砥石に使われた岩
庚申塔、二十三夜塔、道祖神が祀られ、金剛寺集落の中心的な場所であった・・
洞源寺;南北朝時代の1332年海野氏22代兵庫頭幸則の開祖と伝えられる
上田市のマンホールは六文銭と