東京MXというテレビ局があり、木曜の夜に取り上げていた、
「あの子は 2、3年で出てきてしまう その後のことが考えられていない」
「その際の まわりにいる人たちのことも 配慮してやるべきではあるまいか」
三人のなかにトマベチという学者がいるのだが、いつも冷静な意見を述べる、
「確率的に こういった子供がいるんです」
だから、K君に、
「見たかい」
「ちょこっとね」
すなおではない、
「東北に トマベチという地名がある その系統だろう」
「アイヌ語かい」
「東北にはアイヌ語の地名が多いね 芸術新潮に やはり トマベチという社員がいたが まだ いるのかな」
「新潮も おかしな出版社だな」
「三島を 祭り上げて ひとかせぎした」
「三島由紀夫は どうだい いや どうだったかい」
「スシはトロしか食べなかったらしい ちょっと理解できないところがあったね」
「近代の合理主義を探求して その不毛と虚無に直面した そういったところではヨーロッパ的で都会的だ」
その結果は。
「民族的な地平に回帰してしまったのかな」
「近代の本質がニヒリズムであることを理解していたことは確かだ そして 花がないなら花を咲かせよう・・・」
「成功したのかい」
「どうかな」
あの壮絶な最後は、いまだに花として受け止められていない、それでは、彼の文学はどうか、
「彼の文学は 観念の花だった 行間から自由の風が吹いてくるという境地ではない さらに 彼の仏教理解は せいぜいが輪廻思想(りんねしそう)で大乗仏教の妙味には到達していない 45歳ではムリだね 表面的だなあー」
「あんなに近代を意識するのは 近代を越えていないからだろう」
「結局 自分が好きだったんだよ よくいるね 50になっても60になっても どうしようもないナルシストで 自己愛を越えられないインテリが」
「村上春樹は どうだい」
「そこまでは 行っていない」